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#042 由比ヶ浜にて(後)

次の質問はラジオネーム『庶民派プリンセス』さんからです。

「北条氏康は天下を狙った事は無いんですか?」との事ですが…氏康さん、そこのところ、どうなんですか?

「天下を望んだ事はねえか、だと?」


 こっちに顔を向けて軽く首をかしげる父上に、浅く頷き返す。

 前世の私は歴女には程遠かったが、サブカルや歴史の授業を通じて戦国大名のメジャーどころは一応押さえていた。織田、豊臣、徳川に始まり、武田、上杉、毛利など…だが北条が実在する戦国大名である事に気付いたのは、転生してから10年以上経ってからの事だった。

 それまで私はマヌケにも、この世界を『北条という架空の戦国大名が存在するパラレル戦国時代』だと思い込んでいたのだ。

 それは一旦置いておくとして。


「武田、上杉に一歩及ばずとは言え…北条の兵は精強、将も粒揃い。(まつりごと)は民の心を捉え、領内は諸国を騒がす一揆と無縁の楽土。その上歴代当主は信心(しんじん)(あつ)く、風流を解するとあれば…北条が率兵(そっぺい)上洛(じょうらく)し、天下を鎮護する役目を担っていれば、万民が『禄寿応穏(ろくじゅおうおん)』の御旗(みはた)の下、心安らかに生きられる世を創る事が出来たのではないか、と…。」


 希望的観測と過大評価コミコミで言い募ると、父上は気まずそうに海へと顔を戻し、片頬をポリポリとかいた。


「実の娘にそこまで褒められると、誇らしいってより面映(おもは)ゆいな…しかし率兵上洛か。里見に上杉、武田に佐竹と強敵だらけで考えた事も無かったが…。」


 にやり、と。父上は口の端を吊り上げて笑う。

 肉食獣が獲物を前に舌なめずりをしている――そんなイメージを、私は一瞬だけ幻視した。


「そうさな、この世に武士として生を受けたからにゃあ…天下に号令をかける夢を追いかけるのも、悪くなかったかも知れねえ。人の和(組織力)は手前で整えるとして…美濃(岐阜県南部)あたりに本領を構えてりゃ、或いは…。」


 だが、と一息入れた父上から、圧迫感が霧散していく。


「それで母ちゃんと夫婦(めおと)になれねえとしたら…つまらねえな。」

「…左様にございますね。もし私も、五郎殿と夫婦になれなかったらと考えると…。」


 そこで言葉を切ると、私は父上と顔を見合わせて微笑み合った。

 もしかすると、錯覚かも知れない。でも私はこう思った。

 やっと本当の意味で父子(おやこ)になれた――と。




 その後、私と父上は取り留めのないお喋りを続け…日が傾き始めたタイミングで母上の所に戻った。

 親子三人揃って玉縄城に戻ったのは日没前。昨日と同様に夕食をご馳走になり、一泊。翌朝早くに出立し、小田原への帰路に就く。

 途中、馬の足を緩めた父上が、輿(こし)(すだれ)越しに私の名を呼んだ。


「なあ、結。」

「いかがなさいました?」


 簾を持ち上げて顔色を窺うと、父上は面白い事を思いついた、という顔をしていた。


「昨日の話だがよ…『天下人』にならなくても『武家の頭領』にはなれるんじゃねえか?」

「え?」


 父上の言葉で今更気付く。私は無意識に、『天下(近畿一帯)の統治者』と『日本全国の武士のリーダー』を混同していたのだ。

 無理からぬ事だとは思う。だって室町幕府は(みやこ)に本拠を置いているし、3年前に率兵上洛を果たした織田信長も、着実に『天下人』への階段を登っているのだから。


「初代鎌倉殿(源頼朝)は伊豆で旗揚げし、鎌倉に本陣を構えた。室町殿の開祖(足利尊氏)は京に本陣を構えたが、武家の頭領になったのは鎌倉を(おとしい)れてからだ。てこたあ…武家の頭領になるには、むしろ坂東の覇者になるのが近道って事じゃあねえか?」


 …どうしよう、凄い説得力だ。

 考えてみれば、最終的に戦国時代を終わらせた徳川家康も、江戸を中心に関東一円を統治する大大名になってから征夷大将軍になるというステップを踏んだ…いや、踏む事になる筈だ。…北条が豊臣秀吉に滅ぼされた後に。


「こいつは面白え!新九郎(氏政)か、その子か、はたまた孫か…いずれ北条が武家の頭領になるかも知れねえってか!ハッハッハッハッハ…親父殿への土産話が出来た、礼を言うぜ!」


 上機嫌で行列の前の方に戻る父上に、否定の言葉をかけるタイミングを見失い、私は黙って簾を降ろした。

 まだ機会(チャンス)はある。

 次は貸し借りとかじゃなくて、私から何かお誘いしよう…そう密かに決意しながら。




 父上が再び病に倒れたのは、私達が小田原に戻った、翌日の事だった。

親孝行、したい時には親は無し(まだ死んでない)。

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