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#041 由比ヶ浜にて(中)

前回までのあらすじ:結ちゃんのゆいは由比ヶ浜のゆい。

「まずは礼を言う。俺が倒れた時に越庵先生を寄越してくれてな…お陰でくたばる前に五体満足で鶴岡八幡宮詣でが出来た。」

「お、おやめください!そんな、縁起でもない…。」


 流木に並んで座るなり、遺言めいた話を始めた父上に、私は面食らった。

 邪険に扱った対応を謝ろうとした矢先に、機先を制された形になってしまった。


「いや、早いに越した事あねえ。俺ももう歳だ、中風(ちゅうぶう)で倒れるなんざ夢にも思わなかった。次は何があるか分かりゃしねえ…黄泉路に思い残しの無えようにしてえのよ。」


 …こういう時、自分はどこまでいっても転生者なのだと痛感させられる。死生観とか、優先順位とか…理屈としては分かっても、同意や共感まで行かないのだ。

 そういう意味では、掛川城籠城戦で追い込まれた際、五郎殿が一族郎党討死ではなく逃亡からの再起を選ぶタイプで本当に良かったと思う。


「あの日…河越から小田原に戻ってお前の顔を見た時、な。この由比ヶ浜の情景が思い浮かんだ…それでお前を(ゆい)って名付けたって訳よ。」


 しみじみと語る父上の横顔は、噓をついているようにはとても見えなかった。つまり、今回の鶴岡八幡宮参詣に私を巻き込んだのは…『私』のルーツを、私に見せるため、でもあったのか。


「真に…真に思い残しはございませんか?」

「あるに決まってら…信玄の野郎から駿河を獲り返してやれなかった、そいつがでっけえ心残りだ。」

「それは…有難い仰せにございますが…正直に申し上げて、私共が北条の重荷になっているのでは、と。武田と和睦して東に兵を集めた方が、より多くの領地を手に入れられたのでは…?」

「武田の不義を座して見過ごすは、北条相模守の名に泥を塗るも同じよ。確かに武田は強い。俺も新九郎(氏政)も信玄の采配に右往左往させられた。だが…あの時武田と手を切った決断を悔いた事は一遍も無え。」


 言い切った父上の横顔は、険しくも厳かで…とても病み上がりの老人には見えなかった。その威容は、私にとある誘惑をもたらす。

 氏政兄さんが上杉家との同盟破棄、並びに武田との関係修復を狙っている…という噂を吹き込めば、父上が氏政兄さんを問い質し、北条に武田との対決姿勢を継続させる事が出来るのではなかろうか。


「時に父上。先だって不穏な雑説(ぞうせつ)を耳に入れたのですが…。」


 そう前置きして氏政兄さんの背信(容疑)をチクると、父上はゴロゴロと喉を鳴らした。


「…成程な。新九郎の考えそうなこった。大方、俺がくたばるのを虎視眈々と待ってんだろうよ。」

「では、今のうちに父上から左京大夫殿を説き伏せていただいて…。」

「そいつは出来ねえ相談だ…済まねえな。」


 ショックで言葉が出ない私をチラ見しながら、父上は理由を口にした。


「第一に、新九郎が俺に背いてるって証拠(あかし)が無え。北条が武田との戦で手を抜いた(ためし)が無え以上、あいつの叛意を証明するのは無理筋だ。」


 た、確かに…五郎殿の話を聞く限り、氏政兄さんの命令に不自然なものは今の所見当たらない。和睦が成立するまでは全力で戦う、という事か。

 しかしそれで和睦出来るのか…いや、今同盟してる上杉家とも直前までバチバチにやりあっていた点を考慮すると、『昨日の敵は今日の友』理論が武家のお付き合いというものなのかもしれない。


「第二に…こっちが肝要だな。北条の当主は新九郎だ、言うまでも無くな。その差配に隠居爺が口を出せば家中の和を乱すし何より…(スジ)が通らねえ。」


 筋が通らない…父上らしい物言いに、思わず笑ってしまう。口から漏れたのは空気が抜けるような、弱々しい音だった。


「あー…その、な…駄目だ、何を言っても言い訳にしかならねえ。…重ねて詫びる。非力な親父で、済まねえな。」

「い、いえ、そんな…。」

「代わりと言っちゃあ何だが、な…俺あ手前と上総介殿については、然程(さほど)心配しちゃいねえんだ。」


 弾かれるように父上を見上げると、そこには安心したような、それでいて寂しそうな老将の横顔があった。


「上総介殿は、一国の主の器じゃなかったかも知れねえが…いつまでも早川郷で(くすぶ)ってるタマじゃねえ。いつか、そんじょそこらの英雄豪傑には逆立ちしたって出来ねえような…とんでもねえ事をやり遂げる、そんな気がしてんだ。…お前の夫に相応しい、な。」

「わ、私はそれ程大層な者では…。」

「何言ってんだ、俺の娘がよ…それと、新九郎だが…俺がくたばった後もお前らを粗略には扱わねえだろうと踏んでる。あいつは上総介殿を血の繋がった兄弟同然に慕ってるフシがあるからな。これまで同様、丁重に遇してくれる筈だ。」


 父上は、自分が死んだ後の事までしっかりと考えてくれていた。

 その事実に胸がほんのり温かくなると同時に…疑問が湧き上がる。

 どうしてこんなに凄いひとが、未来の歴史ではモブ同然の扱いを受けているんだろう?


「父上は…天下を望んだ事はございませんか?」


 気が付くと、私はそう問いかけていた。

なぜ北条は最大版図の広大さや歴史の深さ、内政能力の割に注目度が低いのか?

1、『信長記』や『太閤記』のように稀代の英雄が一代で連戦連勝して成り上がるような華やかさが無い。

2、近代国家に引けを取らない組織管理によって少数のエース武将が活躍しにくい体制になっていたため、派手なエピソードが残りにくい。

探せばまだまだ出て来るかも知れませんが、書いていて悲しくなって来たのでこの辺で…。

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― 新着の感想 ―
勝者の徳川にとって書かれたストーリーによる影響なのかも。 家康が負けた武田は弱くできないし、豊臣は滅ぼしたから悪役になって貰おう、の流れで 関東に善政を敷いていた北条を良く書き難かった。 他にも北条の…
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