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#037 早川源吾、推して参る!(後)

北条氏政の心の中、ちょっと覗いてみませんか…?

 小田原城内の執務室で、複数枚からなる報告書に目を通し終えた北条左京大夫氏政は、眉間を揉みながら鼻から息を吐いた。

 報告書は北条と敵対する戦国大名、佐竹の動向を探ったものであり、末尾には『早川(はやかわ)源吾(げんご)』の署名があった。


「生きて帰って来れば上首尾と思うておったが…これだけの成果を持ち帰られては文句の付けようが無い。」




 今川上総介氏真が氏政の父、相模守氏康を思わせる不敵な面持ちで登城したのは、塚原卜伝の死去を聞いて取り乱し、自宅との往復を繰り返した翌日の事だった。

 氏政との面談の約束を半ば強引に取り付けた氏真は、氏政に再度鹿島来訪の許可を求めたが、その理由は前日とは全く異なるものになっていた。


「鹿島新当流の武芸者を装って、常陸国の物見に参りたく存じまする。卜伝先生の墓参りを『口実』として…。」

「昨日申し上げた通り、敵中奥深くへの物見を御身に託す訳には…。」

「否。この役目は拙者にしか務まりませぬ。何せ卜伝先生の墓前に(もう)でるからには、門弟のお歴々と話す事となりましょう。手合わせをする運びにもなるやも知れませぬ。…左様な折に、太刀打ち出来る鹿島新当流の手練れが、ご家中に何人おられましょう?」


 氏真の問い掛けに、氏政は思わず言葉に詰まった。

 家中の武士や風魔忍軍を洗えば、演技が得意な者は相応に見繕えるだろう。だが剣術となると一朝一夕には行かない。手合わせとまで行かなくとも、剣術の腕を披露するよう求められた挙句に無様を晒してしまえば、その時点で偵察は失敗となる。

 その点に限って言えば、鹿島新当流の鍛錬を積み、相応の技量を誇る氏真は適役という事になってしまう。


「…されど、上総介殿の身の上をいかにすべきか…。」

「それについても考えがござる。かつて卜伝先生が教えた門弟のそのまた弟子…つまり孫弟子という(てい)を装いまする。これなら卜伝先生や門弟のお歴々が知らずとも無理はないかと。」

「…人数の内訳は?」

「拙者の他に、信の置ける警固を二名。」

「鹿島まではいかにして参られる?」

「馬を三頭、用立て申した。左京大夫殿から手形を頂戴出来れば、江戸までは馬で移動し、そこからは徒歩(かち)国境(くにざかい)を越えて鹿島に向かいまする。」

「…念の為、相模守殿のお許しを得ねば…。」

「それなら、ここに。」


 自分との面談を前に、氏康への根回しまで済ませていた氏真の手際の良さに、氏政は目をつぶって嘆息した。


「…手形を用意するゆえ、しばし待たれよ。代わりに誓っていただきたい。(あた)う限り迅速に『物見』を済ませ、お戻りになる事。それと…多少の刃傷(にんじょう)沙汰(ざた)であればこちらで何とかいたしますゆえ…必ず無事にお戻りを。」

「承知した。…重ねて御礼申し上げる。」


 そう言っていつもの爽やかな笑顔を浮かべる氏真に、氏政は苦り切った表情で応じたのだった。




 かくして氏真は江戸城まで馬で移動する手形を入手すると、その日の内に小田原を出立し、鹿島へと向かった。塚原卜伝の孫弟子、『早川源吾』という仮の姿に身をやつして。

 それから四日間、氏政は氏真の安否が気に掛かり、落ち着かない日々を過ごした。

 長期的に見た場合、氏真とその一族郎党は北条のお荷物と言っても過言ではない。氏政の構想――軍事強国たる甲斐武田との関係を修復し、西方の脅威を排除した上で、小勢力が割拠する東方へと勢力を拡大する――からすると、面子にこだわって武田との交戦状態を継続する氏康(ちち)の方針は不本意に他ならないのだ。

 しかし個人的には、例え武田との和睦が成立したとしても、氏真とその一族郎党を処断したり、武田に引き渡したりする積もりは毛頭無かった。

 氏真を実の兄弟同然に思っていたからだ。

 大らかな人柄、仮にも数か国を治めた知見、前線指揮官としての手腕、連歌や蹴鞠などに通じた教養…他の重臣を差し置いて重用する事は(はばか)られたが、出来る事ならいつまでも傍に置いておきたい人材だった。

 だが今回、氏真はその籠の隙間をすり抜けるようにして鹿島行きを成功させてしまった。鹿島新当流免許皆伝相当の実力がある事は知っているが、万一の事があれば…。

 結局氏真は、そんな不安を鼻で笑うかのように、至極あっさりと小田原に帰還した。早川源吾として収集した佐竹の動向に関わる情報を携えて。

 今すぐ佐竹を転覆させる程の重大情報は無かったが、佐竹家中の序列や家臣の為人(ひととなり)は、調略の足掛かりにするには十分だった。

 …つまり氏真は、『塚原卜伝の墓参りを名目に佐竹の動向を探る』という役目を見事に果たした、と評価出来る訳だ。


「いつか貴殿を『義兄上(あにうえ)』とお呼びする日が来れば…否、気が早過ぎたな…。」


 思わず漏らした独り言を、氏政は首を振って打ち消したのだった。


拙作で順次触れて行きますが、氏真には一定以上の階層(公家や上級武士)から『憎めないヤツ』扱いされる才能があったようです。

家柄を過信して立ち回りを誤り、文字通り抹殺された名門がゴロゴロいる戦国時代を生き抜いたその生き様には学ぶべき所が大いにあると、つくづく思います。

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