#036 早川源吾、推して参る!(中)
今川氏真、反省タイム。
「むう、そうか。鹿島は佐竹の領内であったな。それでは北条の世話になっている儂が乗り込むのは難しいのう…。」
平穏な昼下がりから一転、帰宅と登城を繰り返した五郎殿を自宅で迎えた私は、ようやく冷静になった五郎殿と差し向かいで話していた。
「ええ、残念ながら…。」
内心の呆れが表に出ないよう表情筋を意識しながら、五郎殿の様子を見守る。
坂東一帯の大まかな勢力図。自身を取り巻く環境。それらは全て五郎殿の頭の中に入っていて、平静であれば瞬く間に最適解を導き出していた筈だ。
しかし五郎殿は…しばしば冷徹な損得勘定よりも、個人的な人間関係を優先して行動する傾向がある。武田家との同盟を破綻に向かわせた、貞春様の実家への引き取りもその一例と言っていいだろう。
…まああの場合、先に義信殿を死に追いやって同盟を揺るがしたのは信玄の方だったので、百パーセント五郎殿が悪いとは言い切れないのだが。
それに、いかなる状況にあっても機械的に最適解を出し続けるロボットみたいなひとだったら、多分私は五郎殿を愛する事が出来なかっただろう。だからこれは、五郎殿の長所でもあり、短所でもあると納得するしかない。
…それはさておき。
「どうにかならぬものかのう…そうじゃ、単騎で真っ向から佐竹の領国に乗り込み、師匠の墓参りを済ませて戻って来る…のはまずいな、うむ。分かっておるぞ。」
本当に分かってるんでしょうね?という眼差しを向けると、五郎殿は慌てて強硬策を取り下げた。
「儂とて北条の益にならぬ事をする積もりは無い…師匠の墓参りを済ませた後は、卜伝先生の門弟に探りを入れて佐竹の動向を探ろうと考えておった。」
「左京大夫(氏政)殿や相模守(氏康)殿にもそう言上されたので?」
「無論じゃ。されど…『上総介殿は御一家衆も同然、左様に貴い立場のお方に物見をさせるなど前代未聞。物見であれば他の者で事足りる』と言われてしもうてな…。」
…まあ、二人の言い分ももっともだ。
今川家の家督は名目上氏政兄さんの息子である国王丸殿が継いでおり、その後見人には氏政兄さんが収まっている。極論、五郎殿がいつ討死しても武田から駿河国を奪還する戦いから大義名分が失われる事は無い。
しかし国王丸殿は未だ幼く、最盛期より随分減ったとはいえ今川家臣団を率いる事など出来る訳が無い。つまり、当面は引き続き五郎殿が今川家臣団を統率してくれた方が、北条にも都合がいい筈だ。
要するに、今回は五郎殿に卜伝先生の墓参りを諦めてもらう…のが妥当ではある、のだが。
「そうじゃな…師匠を悼む事は何処にても出来よう。いつの日か、北条と佐竹が和睦すれば…誰にはばかる事無く鹿島を訪れる事も出来るであろうし…。」
自分に言い聞かせるようにボソボソと呟く五郎殿を見ながら、私はこっそりため息をついた。散々五郎殿のやる気を削いでおいてなんだが、五郎殿にはもっと伸び伸び過ごしてもらいたいのだ。
駿河にいた頃…没落の一途を辿る今川家を立て直そうと、五郎殿は必死で頑張っていた。打った手が裏目に出ても、努力が報われなくても、ただ懸命に…。
私はそんな五郎殿を可能な限り全力で応援したいと思っている。目的が駿河国の奪還だろうと、卜伝先生のお墓参りだろうと。
正しいとか間違っているとかじゃない。こんな素敵なひとが、やりたい事も出来ずに鬱屈しているのが見るに堪えないのだ。
「逆…にしてはいかがにございましょう。」
「逆?」
怪訝な顔付きで聞き返す五郎殿に、頷いてみせる。
正直言葉遊び、詭弁みたいな論法で、どこまで氏政兄さんに通用するか分からないが…もしかしたら、五郎殿の鹿島行きが許可されるかも知れない。
「上総介様でなければこのお役目は務まらない、と…左京大夫殿と相模守殿に得心していただけるよう言上するのです。」
逆に考えるんだ。
氏真じゃなくても偵察は出来ると言われたら、『いいや!「限界」だッ!押すねッ!』と答えるんだ(錯乱)。




