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#035 早川源吾、推して参る!(前)

念の為申し上げますと、またオリジナルキャラが登場する訳ではありません。

既出のキャラが偽名を使うお話です。

元亀二年(西暦1571年)三月 相模国 早川郷


 氏規兄さんとお多嘉殿が来訪して数日が経過したある日、私は自室で早川郷の庄屋さんから届いた手紙を読みながら、平穏な午後を満喫していた。

 手紙の内容は昨年の年貢免除に対するお礼に始まり、稲作を無事に始める事が出来たという報告に続き、また小田原城下が焼き払われる事態に備えて年貢を免除してもらえないか、という打診で終わっている。

 まあ気持ちは分かる。

 小田原は関東随一の大大名、北条の本拠地で、本来ならそんじょそこらの村より安全な筈なのだ。ところが十年前には上杉謙信に、二年前には武田信玄に攻め込まれてしまっている。現状北条と武田が交戦中の駿東(駿河国東部)や伊豆国ほどじゃないが、不安になるのももっともだ。

 …だが、それで困るのは私達である。不労所得でメシを食う後ろめたさはそれなりにあるが、今更スローライフはやめられないのだ。

 ただ、化学肥料や農薬みたいな便利なものが無い戦国時代、敵襲が無くても不作はあり得る。よって私の返事としては…。


『皆様の不安ももっともですが、甲州勢が相模国を易々と(おか)せないのは北条の武威があればこそ。その武威を支えるためにも例年通りの年貢米を納めていただきたく存じます。詳細は追々、秋の出来栄えを見ながら相談して決めましょう。』


 農民の皆さんが安心して暮らせるのは北条のお陰なんだよ、と恩を着せ。原則として規定通りの年貢米を納めてくださいね、と釘を刺しておく。不作だったら減免もあり得る、という含みを持たせて…と。

 まあ、庄屋さんも年貢減免を引き出せれば儲けもの、位に思っているだろう。向こうは向こうで、唯々諾々と年貢を納めていたら際限なく搾り取られると危惧しているのだ。

 それを防ぐには毎年何のかんのと理由を付け、減免を申し出ておかないとナメられる。少なくともお百姓さん達はそう思っている筈だ。

 こういう折衝を毎年のようにやるのはそれなりに骨が折れるが、それでお互いの利害調整が出来ていると思えば全くのムダとは言えまい。表面上は従順なフリをしておいて、溜まりに溜まった不平不満を土壇場でぶちまけられたりしたらたまったものじゃない。

 …と、後で五郎殿に確認してもらう返事に問題が無いか読み返していると、玄関の方が騒がしくなった。


「…い!結!大変じゃ、一大事じゃ!」


 普段の様子からは想像も出来ない荒々しい足音を響かせながら、小田原城に登城していた筈の五郎殿が部屋に駆け込んで来る。

 両目を大きく開き、汗だくになって肩で息をするその姿は、普段の泰然自若とした様子から大きくかけ離れていた。


「いかがなさいました?小田原で何事か、変事が…?」


 五郎殿のただならぬ様子に体がこわばるのを感じながら、手早く衣服を整えて姿勢を正す。

 五郎殿がここまで慌てているとなると、武田信玄がまた小田原を目指して進軍を開始したか、或いは北条氏康(ちちうえ)がまた倒れたか…。

 しかし、五郎殿の口から飛び出したのはそのどちらでもなかった。


師匠(せんせい)が…塚原卜伝(つかはらぼくでん)殿が、身罷られた!」


 私はひゅっ、と短く息を呑んだ。

 塚原卜伝は――歴史に疎い私は全然知らなかったのだが――鹿島新当流(かしましんとうりゅう)の開祖にして、この時代でもトップクラスの剣豪であり、五郎殿の剣術指南役だった。

 元々天賦の才を授かっていた五郎殿に、上には上がいるという事実を身をもって知らしめ…その成長になくてはならない働きをしてくれた、大恩人…だった。


「いつ、どこで…。」

故郷(ふるさと)の鹿島にて…二月に亡くなられたそうじゃ。長らく床に伏せておられたらしい…不覚じゃ、師匠の死に目に間に合わぬなど…!」


 五郎殿は悔恨に身を震わせているが…卜伝殿の危篤を知っていたとしても恐らく間に合わなかっただろう。二月と言えば伊豆国に出陣していた北条軍に、五郎殿も加わっていた筈だ。それを放り出して師匠のお見舞いに行っていたら、無責任の(そし)りを免れない。

 第一、鹿島は…。


「こうしてはおれぬ…左京大夫(氏政)殿に直談判して、師匠の墓前に線香を上げて来ねば…!小田原城に行って参る!」

「へ?あっ、ちょっ…!」


 突然の決断に反応が遅れた私を背に、五郎殿は畳を蹴って立ち上がると、部屋を飛び出して行った。




 夕方、帰宅した五郎殿は、家を出た時とは打って変わって憔悴していた。


「…左京大夫殿にはお許しの言葉をいただけなんだ。相模守(氏康)殿なら或いは、と思うたが…こっぴどく叱られてしもうた…。」

「それは…。」


 そうでしょうね、という言葉を私は慌てて飲み込んだ。五郎殿の無念には大いに共感出来るが、いくら何でも無理が過ぎる。

 なにせ鹿島は常陸国(ひたちのくに)――現在の茨城県あたりに存在しており、そこは北条と敵対する佐竹氏の勢力圏(ホームグラウンド)なのだ。

戦国北条氏は同時代のライバルと比べて人気や知名度に劣りますが、戦国佐竹氏もその戦歴に比べて評価が低いように感じます。

北では反伊達連合を主導して政宗の南進を阻み、南では北関東の小勢力を束ねて北条の東進を阻んでいるという実績を鑑みると、日本史の経緯に少なからず影響を及ぼしているかも知れません。

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