#034 北条氏規の秘密と誠実(後)
戦国時代には南蛮人との交易があったにもかかわらず、どうして『南蛮船』(外洋航行が可能な大型帆船)のコピーが積極的に造られなかったのか?
可能性1.実際の交易には間に中国人が入っていたため、日本人が本物の『南蛮船』を見る機会が少なかった。
可能性2.日本の海賊・水軍は沿岸での戦闘を基本としていたため、機動力に乏しい『南蛮船』に魅力を感じなかった。
とりあえず以上二つの可能性があり得ると思います。
『大和黒船』――南蛮船をコピーした国産帆船の建造。
恐らく北条家中でもトップシークレットに該当するであろう情報に、私は目を丸くした。
「南蛮船を模した軍船…にございますか⁈…んんっ、御免…しかし一体どうやって…。」
「北条領に漂着した南蛮人の手を借りて、な…完成はまだまだ先じゃが、出来上がれば現状の軍船を遥かにしのぐ船が出来よう。これまでより遠くの海を、何日にも渡って進める船が、な。」
どことなく熱のこもった氏規兄さんの説明に、私は反射的にゴクリと唾を飲んでから、帆船の設計図を観察した。
例によって専門的な事はさっぱりだが…主要部分はオリジナルを踏襲しつつ、日本人向けの改良が幾つか加えられているようだ。『日本人は南蛮人より背が低いので天井は低く』とか、『大砲調達の目途が立たないので砲座は鉄炮の銃座か櫂を出す場所に』とか、『ハンモックで寝るのは大変なので布団で寝られるように』とか、書き込みから試行錯誤の形跡が見て取れる。
「…よろしいのですか?このような大事を私に聞かせて…。」
「さればこそ、詫びの証となろう。いずれお主の役に立つであろうしな。…ついては一つ、頼みがある。この船に名前を付けてほしい。」
「は?」
最初は国産南蛮船という響きの良さに興奮していたものの、トップシークレットの開示というお詫びの品にしてはまあまあ扱いに困る情報を得てしまったという現実に気付き、ブルーな気分が差し込み始めていた私に、氏規兄さんは更なる爆弾を放り込んで来た。
「な、なにゆえ私が軍船の名付け親に…?」
「うむ。まず奥がお主に迷惑をかけた。その詫びとしてわしはお主に軍船の事を教えた、が…今にして思えば、いささか軽率であった。お主に他言無用の戒めを課してしもうたしのう。よって此度はその詫びじゃ。日の本初の大和黒船の、名付け親になってもらいたい。」
…一見筋が通っているようで、巧妙な罠にはめられているような…。
「この件はまだ公に出来ぬゆえ、上総介殿が戻る前に頼む。」
やられたチクショウ!
いきなりカウントダウンを始めて、私の選択肢を狭める作戦だ!
「あ、え…左様で、ございますか…。」
突然の提案に、私は急いで思考を巡らせた。
軍船の名前なんてどう付ければいいものか…いっそ『早川丸』とか『今川丸』…ダメだ、名付け親が即バレする。
『下田号』、『韮山号』…地名と混同するかも?
えーと、えーと…。
「は、はや…『疾風』というのはいかがにございましょう?名は体を表すとの例え通り、水面を滑るように奔る船になるかと…。」
クイズ番組の解答者になったようなプレッシャーの中、どうにか答えを絞り出すと、氏規兄さんは「まあいいだろう」みたいな顔で頷いて軍船の設計図を仕舞った。
五郎殿が客間に戻って来たのは、その直後の事だった。
「やはり驚かなんだな。」
小田原を出立して三崎城に向かう途中、馴染みの寺に宿泊していた氏規は、暗い寝室で寝床に寝そべり、天井を見上げながら一人呟いた。
「頑丈な竜骨を礎に組み上げていく工法は当世の日の本では異端も異端…されど、あの設計図を見ても結は驚かなんだ。船とはこうして造るものとでも言わんばかりに…。」
結の存在は、氏規にとってある意味救いだった。
幼い頃から自分が異質な人間であるという自覚を持って生きていた氏規は、幼少期から年齢不相応の知性を覗かせる結に親近感を抱いていた。その『正体』が何であるのか、そこまでは理解していないし無闇に探る積もりも無い。
ただ、しばしば求めた助言が往々にして道を開き…時に覆しようのない筈の運命さえひっくり返して来たという経験から、氏規は結に、家臣や妻に寄せるのとは別種の信頼を寄せていた。
「『疾風』か、良い名じゃ…いずれお主達の助けとなろう。遅くとも二年後には完成させておかねば…。」
氏規はそこで口をつぐみ、上半身を起こした。何者かの気配が障子の前で止まる。
「多嘉にございます。夜分のご無礼、平にご容赦を…。」
「何を遠慮する事がある。入れ。」
氏規が許可を出すと、夫同様に寝間着に身を包んだ多嘉はおずおずと入室し、氏規の前で膝をついた。
「今宵は久方振りに、同じ部屋で就寝を、と思ったのですが…今にして思えば、布団の支度が無く…迂闊にございました、これにて…。」
「待て。…窮屈でなければここで眠るがよい。」
氏規がそう言って自分の寝床を軽く叩くと、多嘉は一瞬啞然としてから徐々に赤面した。
「で、では…お言葉に甘えて…。」
おずおずと距離を縮める多嘉を半ば引きずり込むようにして、氏規は妻と一つの布団を共有する。
脳裏に一瞬浮かんだのは、かつて愛した少女の顔と、信頼する妹の顔。
(紫吹殿を忘れる事は生涯あるまい。されど…今わしが慈しむべき女子はここにある。)
氏規は、微笑みながら涙を流す多嘉を抱き寄せながら、明日からまた始まる務めにその身を捧げる覚悟を新たにするのだった。
自分で書いておいて、氏規がそこそこなクズ男みたいになってしまった現状に困惑しています。
元カノを思い出しながら今カノに愛を囁くってお前…。
一応、最終的なカップルだけが相思相愛で、それ以外は不本意だったみたいな説明を避けた結果ではあります。




