#030 戦国メンヘラ物語(前)
今回のゲストは隠れ有能武将、北条氏規夫妻です。
追記:2025年6月1日、不自然だった箇所を修正しました(お多嘉殿が私を呼んだ→お多嘉殿が兄さんを呼んだ)
勘吉殿とお藤さんが江戸への帰路に就いてから数日後、早川郷の屋敷を別の夫婦が訪れた。今度は正真正銘の武士…北条家現当主、氏政の弟、氏規と、その妻、お多嘉殿である。
「此度、二人して小田原を訪れる用事がございまして…この機にお目通りすべきと思い、お伺いした次第にございます。」
「うむ、左馬助殿、多忙の身でよう参られた。どうであろう、酒と膳を用立てるゆえ、今宵は泊まって行かれては…?」
先日同様、私と一緒に上座で胡坐をかいた五郎殿がそう提案すると、日焼けで浅黒い肌に似合わない、洗練された所作と表情を併せ持つ武将…私の一つ上の兄である氏規兄さんは、首を横に振った。
「面目ない、明日には三崎城に戻らねば…それと上総介殿、どうか拙者の事は『助五郎』とお呼びくだされ。」
「…かたじけない。お主の厚意に甘えさせてもらうぞ、助五郎。」
なぜ五郎殿が、お世話になっている北条家の当主の弟を格下扱い出来るのかというと――うん、何だか最近過去を振り返ってばかりいる気がするが勘弁して欲しい――あれは十数年前にさかのぼる。ぽわぽわぽわ~ん(効果音)。
五郎殿は一人っ子ではないが、男の兄弟はいなかった。そんな彼が兄弟同然に付き合っていたのが、輿入れ当時幼少だった私の価値を補填するために送り込まれていた氏規兄さんと、松平竹千代…後の徳川家康である。
五郎殿は立場的にも年齢的にも『長男』的ポジション、あとは年齢の上下や出自の上下が微妙な二人が『次男』になったり『三男』になったり…まあ事あるごとにつるんでいた疑似三兄弟だった。
五郎殿の父、義元殿は、御一家衆の関口刑部少輔家を介して氏規兄さんと家康殿を取り込み、五郎殿が心を許せる『兄弟』を用意しようと画策していたが…桶狭間の戦いで義元殿が討死すると、その計画は破綻へと向かっていった。
まず、義元殿と重臣多数が討死したために不安定化した三河国を立て直すため、大きな裁量権と共に三河岡崎城に赴任していた家康殿が、今川から離反して織田信長と和睦。五郎殿と交戦状態に入る。
一方の北条は、上杉謙信率いる大軍が毎年のように侵攻してくる『越山』に悩まされており、氏規兄さんの帰国を今川家に求める圧力を、日に日に強めていた。結局氏規兄さんは実家の要請に従って帰国し、北条家中でも屈指の精鋭、『玉縄衆』の長である北条綱成の娘を妻に迎えて、北条家のイチ武将として功績を積む人生を歩むに至った…という次第だ。
こうしてバラバラになった『三兄弟』を再会させたのは、戦乱の数奇な運命だった。三河国の再領有を狙う五郎殿と、自主独立を狙って勢力拡大を図る家康殿は掛川城攻防戦に至るまで何度も交戦。私達が一族郎党で北条領に後退してからは、武田勢と戦うために転戦する氏規兄さんと顔を合わせる機会も自然と多くなった。
とは言え、氏規兄さんはとある特異な事情から、近頃は今どこにいるのかさえ曖昧だったのだが…。
「三崎城にて三浦衆を差配しながら、伊豆韮山城にもしばしば在城しておると聞いたが…陸の戦と海の戦を立て続けにこなすとは、相変わらず器用な武士よ。」
「お褒めにあずかり、光栄にございます。」
何も無しで帰すのは申し訳ない、という五郎殿の主張に押し負けて、氏規兄さんはお菓子をつまみながら雑談に興じていた。
五郎殿が言った通り、氏規兄さんは三浦半島を本拠として普段は北条水軍を指揮、対岸の房総半島で勢力を張る里見家と対峙しているのだが…同時に少数ながら機動力に優れた遊撃部隊の指揮官をも兼任しており、武田が侵入したとなれば、上野だろうが武蔵だろうが伊豆だろうが駆り出される。
しかし地上戦において、軍の総大将は大抵氏政兄さんであるため、氏規兄さんの活躍の場は少なく、苦労が報われる事はほぼ無いのだ。
もし私が同じ立場だったとしたら…どうだろう、多分キレる。氏政兄さんは氏政兄さんで立派に当主をやってるからクーデター、までは行かないが…もうちょっと知行増やせ、或いは水軍か陸戦のどちらかに専念させてくれ、くらいの要求はしていたと思う。
それをせずに八方丸く収められるから氏規兄さんは今でも『海兵隊司令官』をやっていられるし、氏政兄さんもそれに甘えているんだろうけれども。
「助五郎様、少し、よろしゅうございますか…?」
あれこれ考えながら五郎殿と氏規兄さんのトークを見物していると、それまで沈黙していたお多嘉殿が兄さんを呼んだ。数えで22歳、氏規兄さんより5歳年下で、夫とは対照的な青白い肌に思いつめたような表情を浮かべている。
「いかがした、お多嘉。」
「奥向きの事について早川殿から内密に伺いたい儀がございまして…ご両人、よろしゅうございますか。」
「結が良いのであれば儂は構わぬが…。」
「私でお役に立てるのであれば…。」
という訳で立ち上がり、お多嘉殿を連れて部屋を出る寸前、氏規兄さんがにわかに「結」と声を上げた。
「東条源九郎は息災か?」
「…ええ、恙なく。」
短いやり取りの後、お多嘉殿を連れて自室に入る。
「それで?…何をご所望で?」
振り返ると、お多嘉殿は幽鬼のような表情で立っていた…右手に抜き身の短刀を携えて。
「貴女のお命を…頂戴したく。」
はっきりと史料で言及されていないだけで、戦国時代にもメンヘラやストーカーはいたと思われます。
それを表現する適切な言葉が見つからなかったり、社会的に認められなくて誰にも言えないまま一生を終えたりした人も結構いたのではないでしょうか。




