#003 年上義妹、母性マシマシ(前)
のっけからまあまあ強烈な個性を持つキャラが登場します。
資料が少ないので作者の想像による所大です。
元亀元年(西暦1570年)四月 相模国 早川邸
「ところで奥様、わたくしの勘に誤りが無ければ、そろそろ貞春尼様がいらっしゃる頃合いかと。」
自室でひとしきりゴロゴロしていると、百ちゃんがおもむろにそう言った。
貞春尼――貞春様は私の夫、五郎氏真殿の妹だ。
私より四歳年上で、今川、武田、北条が手を結んだ駿甲相三国同盟の際に武田家に輿入れしたが、色々あって実家に戻り、出家した。
それ以降、私や五郎殿のサポートに回ってくれている。
「ん、そう…竜王丸殿はもうお休みかしら。」
渋々布団から身を起こし、手早く身なりを整えていると、障子の向こうから控え目な足音が近づいて来る。
程なくして、廊下で待機していた侍女の影が動いた。
「奥様、貞春尼様がお越しにございます。」
「噂をすれば…通しなさい。」
許可を出すと、障子が開き…次の瞬間、私の視界は真っ暗になった。
しかし私は慌てない。
年上の義妹による過剰なスキンシップ――正面からのハグ&頭なでなでを食らったのだと理解しているからだ。
「よーしよし、お義姉様、お疲れでしょう。この貞春に思う存分甘えてくださいませ~。」
理性をとろかすような美声で大人の女性をダメ人間にしようとしてくるこの尼僧が、数え29歳の義妹、貞春尼その人である。
「お気持ちだけ、有難く…竜王丸殿はもうお休みに?」
このまま理性も尊厳も投げ打って全てを委ねたい――そんな欲求に逆らって、そっとハグから抜け出すと、貞春様は残念そうに下座に腰を下ろした。
「奥様は今日も気丈でいらして…辛い事があったら、いつでもこの貞春に寄りかかってくださいませ。」
「勿論。頼りにしておりますわ。」
お世辞や社交辞令ではない。
貞春様は今川家にとってなくてはならない逸材なのだ。
五年前(永禄8年)、貞春様の夫――武田信玄の嫡男である義信殿が、父親に謀反を企てた疑いで幽閉され、二年後に謎の死を遂げた。その間、貞春様の立場は非常に不安定なものとなったのだが、これは五郎殿にとって二重の意味で大問題だった。
第一に、義信殿と貞春様の婚姻が三国同盟の前提である以上、義信殿の失脚がそのまま同盟の破綻に直結しかねないという外交問題。
そして、実の妹が異郷の地で心細い思いをしているのではないかという個人的な心配である。
武田家との新しい婚姻関係をスムーズに構築できれば丸く収まったのだが、今川も武田もちょうどいい人材が払底しており…貞春様は誰とも再婚する事なく帰国する運びとなった。
この一件が要因となって、今川と武田の関係は悪化していき、ついには同盟の崩壊と武田による駿河侵攻を招いた…という経緯を振り返ると、『たかが』妹にこだわって信玄の機嫌を損ねた五郎殿は政治家失格と言われても仕方ないのかもしれない。
だけど私は、あの時の五郎殿の決断が百パーセント誤りだったとは思っていない。
「竜王丸殿は輿の中で寝入ってしまわれて…今はお部屋でお休みになっておられます。後ほどご様子を伺いますわ。」
貞春様がそう言って、五郎殿に似た美しい顔立ちに微笑みを浮かべる。
さっきから話題にしている『竜王丸殿』とは、何を隠そう私と五郎殿の間に産まれた長男の幼名だ。
「叶う事なら、紬姫様の面倒も見て差し上げたいのですが…城内でお守りいただいている以上、我儘というものにございますね。」
ちょっと困ったような表情になった貞春様に、肯定の意を込めて頷いた私の顔は、同様の表情を浮かべていたと思う。
改めて整理すると、現状私が産んだ五郎殿の子供は二人。長女の紬と、弟の竜王丸だ。
しかし紬は小田原城内で、竜王丸は早川郷で育てられる事になっている。
なぜ姉弟が別々に養育されなければならないのか、と言えば…究極的には、今川家が北条家の支援を受けている現状に起因していた。
お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、某競走馬擬人化コンテンツのキャラクターを、貞春尼のキャラ作りの参考にしています。