#029 栗田夫妻いらっしゃい(後)
※栗田勘吉の眉毛は太いですが繋がってはいません。
私が栗田勘吉という人物と出会ったのはそう…14年前、弘治三年(西暦1557年)の初秋。五郎殿の父、義元殿が存命で、今川家に色々な意味で余裕があった頃の事だった。
当時東国では疫病…平たく言えば感染症が蔓延しており、駿河国内でも無視できない問題となっていた。中でも状況が悪化していたのが、義元殿の義母である寿桂尼様の所領で、北条領に程近い沼津だった。
すったもんだの末、事態を収拾するための責任者として、私が沼津に単身赴任する事になり…疫病自体は数か月で収束した。
そんな中、一晩で米百俵を盗むという離れ技を披露したのが勘吉殿だった。野生むき出しの見た目に反して、勘吉殿は器用で広い人脈を持ち、その上声真似などの特技も持っており、それらをフル活用したのだ。
だが、米を盗んだのは自分が食べるためではなかった。悪党に騙し取られた町人達のお米を、本来の持ち主に返すためだったのだ。
それを知った私は、勘吉殿と取引し…勘吉殿に軽い刑罰を与える代わりに、悪党を壊滅させる事に成功した。
ここで登場するのが、お藤さんと当時の沼津代官――朝比奈泰朝殿である。
お藤さんは沼津で一番の人気を誇る遊女――下品な言い方をすればお水の女王――で、勘吉殿と悪くない関係にあった。しかし二人の間には大きな障害があった…お金、厳密には勘吉殿の借金である。
主に思い付きで始めた商売がコケて、或いは一発逆転を狙ったギャンブルで大損、たまに知り合いの窮地を救うために。そういった理由で積み重なった借金、合計五百貫文。ちょっとやそっとでは返済出来ない金額である。
だからこそ、二人は冗談交じりに約束を交わした。勘吉殿が借金を全額返済する事が出来たなら、夫婦になろう、と…。
その約束を知らず知らずのうちに叶えるアシストをしてしまったのも、私だった。
疫病の収束を祝うと同時に、移住者の比率が高い沼津の町民の結束を高める目的で泰朝殿が主催した秋祭り。その締めくくりとして行われるイベント、『俵担ぎ競走』を一位で通過した者には、賞金五百貫文が支払われるよう資金提供を行ったのだ。
体力自慢の勘吉殿は単身出場して見事一位通過。賞金で借金を返済し、約束通りお藤さんと結婚したのだった。
勘吉殿やお藤さんについての話は一旦ここまでとして、朝比奈泰朝殿の事である。
昨年大平城で五郎殿と共に戦った朝比奈兄弟とは別の一族の跡継ぎである泰朝殿は、縁戚関係にある寿桂尼様の代理人として沼津代官を務め上げた後、父の跡を継いで掛川城主となった。
その後も一貫して五郎殿に忠誠を尽くし、武田信玄の駿河侵攻とそれに伴う重臣達の離反で窮地に追い込まれた今川家に掛川城を提供。西から侵攻して来た徳川勢に抗戦するフィールドを整えてくれた、当時の『戦友たち』の中でもトップクラスの功労者だ。
掛川城での籠城戦は、今の所私が身近に体験した唯一の実戦である。
敵はかつて今川家に従っていた徳川家康率いる三河勢。
味方は五郎殿を総大将に、朝比奈泰朝殿を始めとした今川残留組、北条家から派遣された精鋭部隊…そして、五郎殿や私に恩義を感じて自発的に参陣した、駿河や遠江の百姓町民だった。
その百姓町民の中に、沼津の若者達をまとめ上げて馳せ参じた、勘吉殿がいた。
装備は貧弱だが、腕力に秀で、本業に裏打ちされた特技を持つ沼津の若者達は、戦のプロである武士には思いも寄らない戦術を次々と繰り出して、数で勝る三河勢を翻弄していた。
さて、籠城戦自体は今川の優勢で進んでいたのだが、領国全体で見れば明らかに劣勢だった。そこで五郎殿は氏政兄さんの仲介で徳川と和睦、一族郎党で北条領に退避する運びとなったのだが、勘吉殿を始めとした『義勇兵』の皆さんはここでそれぞれ別の道を選ぶ事になった。
遠江から参戦した若者の多くは、今回の軍事行動に関する処罰を免除するという徳川の保証を得て、徳川領となった故郷へ帰還。
しかし駿河――中でも沼津から参戦したメンバーのほとんどは、五郎殿に同行する道を選んだ。武田勢が駿河東部に進出している現状、その手が沼津にまで及んだ際に、自分達に危険が及ぶ可能性があると考えたためだ。
その後、五郎殿と共に武田との合戦に臨んでいた朝比奈泰朝殿は重傷を負い、右腕が自在に動かなくなってしまう。そこで五郎殿は泰朝殿のこれまでの献身に何としても報いようと、氏政兄さんに文字通り土下座して、泰朝殿の次のポストを用意してもらった。
それが、北条領内でも指折りの要衝にして比較的前線から遠い、江戸の町奉行である。
勘吉殿ら、沼津からの移住組も、港湾都市沼津に似た所がある江戸への移住を決断。江戸の新しい町民の一人としての生活を、新たにスタートさせた、という訳だ。
「ホントこの人ったら、お奉行様 (朝比奈泰朝殿)のお手を煩わせてばっかりで…この上、市中の刃傷沙汰さえ仲裁出来ない穀潰しだったら、アタシらとっくに江戸を追い出されてますよ。」
何人もの子供を育てながら江戸で人気の料亭を経営し、その稼ぎで勘吉殿の借金を埋めるという獅子奮迅の働きを見せているお藤さんがため息混じりに言った。
どういう訳か、二人の子供の内、男の子は総じてわんぱくで毎日のように騒ぎを起こしており、その後始末をするかのように女の子は大人しくて面倒見が良いのだそうだ。
「ほっほっほ…夫に対して手厳しいのう。大方の所は儂も聞いておる。勘吉が来てから江戸が騒々しく…笑い声の絶えぬ町になった、とのう。備中守(泰朝)も気苦労は多かろうが、その分助けられてもいよう。いずれまた、皆の力を借りる日が来るやも知れぬが…まずは皆、壮健であれ。それが儂の何よりの願いじゃ…。」
五郎殿がかけた言葉に、勘吉殿とお藤さんは完璧なタイミングで平伏する。
何だかんだで仲のいい二人と、その子供達が、これからも幸せな人生を送ってくれるよう、私は願わずにはいられなかった。
念のため申し上げますと、作者は『こち亀』『ルパン三世』の利益関係者とは一切関係ございません。