#027 老兵、未だ去らず(後)
北条氏康vs今川氏真、Ready...fight!
屋敷の中庭を舞台に突然始まった北条氏康と五郎殿の手合わせを、私と本城御前様は縁側に座って見物していた。
手合わせと言っても使用するのは木刀。死人が出る事は万に一つも無い、筈だ。
「母上、なにゆえ父上は上総介殿との手合わせをご所望に?」
「さあ、何故かしら。」
事情を知っているのか、知らないのか、いつもと同じ穏やかな返事が返って来て、私はもう一度質問する糸口を見失った。
手合わせは一見、互角に進んでいるように見える。私はそこから二つの事を読み取った。
一つは、父上が私の予想を遥かに超える剣術の使い手であるという事。
五郎殿は当代随一の剣豪、塚原卜伝から直々に剣を習った凄腕だ。しかも父上より二回り程若い。にもかかわらず二人は互角に打ち合っている。
…そしてそれは、もう一つの事実を示している。五郎殿が手加減をしているという事実だ。
父上は気力十分とは言え、高齢で、しかも病み上がり。五郎殿が最初から全力で当たれば、すぐに決着がついていた筈だ。
だが、未だに打ち合いが続いているという事は…自分の打ち込みで父上の体調が悪化したりはしないかと、五郎殿が気を遣っているという事だろう。
「随分とナメられたモンだ…老いぼれに情けをかけようってのか、ああ?」
一旦五郎殿から距離を取った父上が、肩を上下させながら吐き捨てる。
「それこそ無礼千万よォ!弱みを見つけたら突き込んで、ほじくり返せ!次があるとは限らねえ、足腰立たなくなるまで打ちのめせ!それが武士の礼儀ってモンだろうが⁉」
父上の挑発じみた言葉に、五郎殿は木刀を大上段に振りかぶると、一気に距離を詰め――
「待った‼…俺の負けだ。」
次の瞬間…何が起こったのか理解出来ず、私は何度も目を瞬いた。
父上が握っていた木刀は弾き飛ばされ、中庭に転がっている。だが五郎殿の視線と木刀の切っ先は、父上ではなく、五郎殿の背後に向けられていた。
そこには、町人風の若い男性が、木刀を腰だめに構えたまま立ち尽くしていた。鼻先には五郎殿の木刀が突き付けられている。
…え、何、どういう事?あの人、どこから出て来たの?
私の脳内が疑問符で埋め尽くされている間に、謎の若者は木刀を放り捨てて中庭に跪き、五郎殿は隙の無い足運びで父上と若者を同時に視界に収める位置に移動した。
「か…上総介様!ご無事にございますか⁉一体…一体、何が…。」
「俺が上総介殿に騙し討ちを目論んだ。そこの若えのは風魔の忍びだ。庭木の陰に潜んでた。…上総介殿が全身全霊で俺に打ち込もうとする隙を突いて、背後から斬りかかる…そういう算段だったが、見破られた。俺も若えのも、上総介殿に負けた。」
父上は私の疑問に答えると、五郎殿に向かって浅く頭を下げた。
「面目無え。いつまた寝込む事になるかと思うと、居ても立っても居られなくてな…上総介殿の腕前、とくと見せてもらった。礼を言う。」
「ご心配、ごもっともにござる。されど…これにて得心頂けましたかな?拙者は『獣』ではなく『狩人』である、と。」
五郎殿の言い回しは私にとって難解だったが、父上はその答えを待っていたとばかりに含み笑いを漏らした。
「『狩人』はまず餌を用意する…目当ての『獣』の好物を、な。餌に食らいつくその瞬間、『獣』は最も隙だらけになる…『狩人』はそこをとっ捕まえるって寸法だ。」
つまり、父上は自分自身をエサにして五郎殿をワナにかけようとしたが…五郎殿はそれを見破って、ワナにかかったフリで風魔忍者をおびき出した…と、そういう理解でいいのだろうか?
「これで憂い事が一つ減った。これからも娘を頼んだぜ、上総介殿。」
「…無論。相模守殿のお覚悟、確と承りましてございます。」
真剣な表情で返答する五郎殿に対して、父上はどこか寂しそうな笑顔を浮かべていた。
後ろにも目をつけるんだ!




