#204 恩讐の彼方へ(中)
松井忠次=松平康親の『罪』とは。
今からおよそ十五年前。東条松平家の家老、『松井忠次』は、とある城攻めに参陣した。家康がかつての主家、今川家に反旗を翻し、その領国を三河国全域へと拡大しようとしていた頃の事だ。
攻略目標は鵜殿長照が籠る上之郷城。長照は今川方であり…当然と言うべきか、康親は家康方だった。
城攻めは比較的短期に終結したが、それは長照が愚鈍だったからでも、彼我の戦力差が隔絶していたからでもない。長照の家臣を調略し、上之郷城の防備を崩壊させる計略が図に当たったからだ。
その筋書きを立てたのが家康の腹心、本多佐渡守正信。正信の指示に従って調略の実務を担ったのが、康親だった。
(あの頃のわしの思い上がりと言ったら…たかだか一度の調略に味を占めて、一端の謀将になった積もりであった。)
それが全くの思い違いであると康親が悟るのに、それ程時間はかからなかった。上之郷城を攻略して以降、同様の任務が二度と回って来なかったのだ。最大の理由は、『使える』地縁血縁が康親にろくに残っていなかったためだ。
以来、康親は家忠の補佐と戦場での武働きに専念しており、それ自体に鬱屈したものを感じていたのだが…十五年が経った今になって、頭痛のタネが一つ増える事となった。それが、今回家康から下された通達…牧野城主となる今川氏真の与力になれ、という命令だ。
(あの時の遺恨を宗誾殿が忘れていないとすれば…此度目上の立場となったのを幸い、何か無理難題を押し付けられるやも知れぬ。せめて殿に無用の心労を与える事の無いよう、立ち回らねば。)
春の穏やかな夜風に乗って、軽妙な音楽が響き渡る宴の席にあって、松井忠次…いや、松平康親は息を吞んで正面の相手、氏真を見据えた。
康親が上之郷城の一件を気に掛けているのは、その際に城主、長照を死に追いやったからではない。長照の息子二人を交渉材料に、当時駿府に人質に取られていた信康を取り返す事で、家康が今川に真っ向から歯向かう態勢を整えられたからだ。
あえて『松井』と呼んで来たという事は、上之郷城の一件を忘れていない、と…そうほのめかしているのだろう。
次はどんな悪口雑言が飛び出すのかと、康親が身構えていると…氏真は家忠に用意された徳利を手に取り、「一献」と囁いた。
家忠がおずおずと酒杯を持ち上げると、氏真はそこになみなみと清酒を注ぐ。康親が戸惑いながら見守っていると、氏真は今度は康親に酌をした。
「これよりは牧野城にて一蓮托生…心一つにして役目に臨んで参りましょうぞ。」
「これはこれは、宗誾殿より申し出ていただけるとは有難い…されど聞き間違いでなければ、拙者の名をお間違えでは?」
康親がやんわりと探りを入れると、氏真は「ほっほっほ」とわざとらしい笑い声を立てた。
「儂はまだ耄碌してはおらぬ…かつて三河国の争乱を治めんと儂が奔走しておった折、その目論見を根底から突き崩した…その立役者こそ貴殿ではないか。」
「…お言葉ながら。拙者は主家に忠節を果たすべく、手立てを尽くしたのみ。その善悪を論じると仰せであれば…恐れながら、宗誾殿の器量を疑わざるを得ないかと。」
自分は自分の役目を果たしただけ。康親がそう虚勢を張ると、氏真は能面のような無表情でしばし沈黙し…次の瞬間、破顔一笑した。
「ほっほっほっほっほ…全くその通り!左近将監殿の申される通りじゃ!」
「え…。」
てっきり過去の行動を非難されるものとばかり思っていた康親は、氏真の発言に今度こそ戸惑いを隠し切れなかった。
「拙者を恨んではおられぬ、と?」
「さてのう…それ程の大器の持ち主であれば、儂は斯様に落ちぶれてはおるまい。悪人であろうと、謀反人であろうと、進んで受け入れ…天下人になっていてもおかしくなかろう。詰まる所、儂の器量はそれまでであったという事…ゆえに、手練手管を選んではおられぬ。忘恩の輩に頭を下げ、親の仇に頭を下げ…全ては本領を取り返すため、事の理非善悪など詮無き事よ。」
そう言い放つと、氏真は再び真剣な顔付きになって家忠と康親の顔を順に見つめた。
「我らがこれより向かうは、駿河国との境目…徳川にとっては敵地の奥深くへと踏み入る階なれば、武田四郎にとっては目の上の瘤となるであろう事、疑う余地も無い。そこに『神輿』たる儂を据えるは止む無しとして…防備までも飾りでは話にならぬ。即ち…三河守様は貴殿らを家中有数の猛者と見込めばこそ、儂の与力に任ぜられたのであろう。」
気が付けば、家忠と康親は氏真の弁舌に聞き入っていた。
「改めて…これよりは共に牧野城を守る者同士、手を取り合って参ろうぞ。松平甚太郎殿、それに…松平左近将監殿。」
氏真の真剣な表情と声色に、康親は黙って酒杯を掲げた。家忠もそれに続く。
「困難なお役目となるであろう事、疑いようも無い。この左近将監、存分に腕を振るってご覧に入れる。」
「この甚太郎、病弱と見くびっていただいては困る。必ずや宗誾殿の役に立って見せよう。」
二人の宣言を聞いた氏真は、いつの間にか片手に持っていた酒杯を掲げた。もっとも、そこに注がれた液体から酒の匂いはしなかったが。
「徳川に…三河守様に。」
三人が酒杯を合わせる音が、静かに、厳かに響いた。
戦国時代に限らず、源平合戦の頃から武士団同士の引き抜き、寝返りは『よくある事』だったので、『裏切りの作法』や『裏切り者への応対』については全国の武士の間にノウハウが蓄積されていたと思います。
後は『裏切り者』に利用価値があるか、家臣団や主君の感情と折り合いが付けられるかが『裏切り者』の生死やその後のキャリアを決したのでしょう。




