#200 朝比奈備中捕物控
祝、第二百話到達!
特別編というか、番外編というか、趣味全開のお話をお送りいたします。
世界一有名な怪盗三世と、日本一有名な下町のお巡りさんをミックスしたような感じです。
天正三年(西暦1575年)十二月 武蔵国 江戸
江戸。後世『東京』と名を改め、名実共に日本の中心となるこの土地は、ある時突如として百万都市に成長した訳ではない。
京を舞台に巻き起こった『応仁の乱』に先駆けて坂東に戦乱をもたらした『享徳の乱』。その最中、扇谷上杉氏によって江戸に城が築かれ…北条がその支配者となって以降、政治的、軍事的要衝として重要視されてきた。
陸上、水上の交通の便に秀で、大量の将兵が行き交うこの地には自然とヒト、モノ、カネが集まり…駿府、小田原といった大都市には及ばずとも、『村』と呼ぶには広すぎる居住区域が形成されている。
見ず知らずの人間同士が密集すれば、自然と揉め事は増える。こうした城下町の治安を維持するため、北条は奉行所を設置し、輪番で任務を遂行させているが、ここ数年の間町民から絶大な支持を獲得している奉行がいる。
その名は朝比奈備中守泰朝…かつて今川氏真の臣下として、遠州掛川城の主を務めていた男である。
「待あ~て~~~~!待たんか、栗田勘吉!」
「ひええ~~!勘弁してくだされ、太原殿~~!」
冬の空の下、大勢の人が行き交う道のど真ん中で、壮絶な『追いかけっこ』が繰り広げられている。二人の男が叫びながら走り去るその様子に、誰もが一瞬立ち止まり…ある者は『またか』と苦笑して立ち去り、またある者は見物に走る。
逃げているのは、がっしりとした体に眉毛、胸毛…とにかく体毛という体毛が黒々と茂る、山猿のような中年の男。これを追うのは、顔に年齢相応の皺を刻みながら、逃亡者に劣らぬ速度で走り続ける壮年の男。
二人に共通しているのは、形は違えど髷を結っている点。そして、揃いの羽織――黒地に白で『朝』と染め抜かれた、朝比奈泰朝の配下である証を身にまとっている点だ。
つまりこれは、犯罪者を巡回の警察官が追いかけているのではなく…泰朝の配下同士が追いつ追われつしている、という事だ。
「ちょっ…本当に勘弁してくだされ!あっしは今日非番ですぜ、ひ、ば、ん!」
「では何故その格好で賭場に出入りしておったのだ!備中守様の顔に泥を塗る積もりか!このバカ者!」
大の大人同士の逃亡劇を目の当たりにする見物人の反応は、まるで見世物を見るように賑やかだった。
「勘吉っつあ~ん!頑張れ!逃げろ!」
「何言ってんだい!悪いのは勘吉っつあんじゃないか!太原殿、もうひと踏ん張り!」
町民達の声援を浴びながら、勘吉と太原は懸命に走る。
そして、太原を撒こうと勘吉が十字路を曲がった次の瞬間――
「でぇい!」
「ぬわわあーーっ⁉」
待ち構えていた男――二人と同様に『朝』の一文字を背負った、逞しい顎の持ち主が、勘吉の足を払って転ばし、すかさず片腕をねじり上げた。
「い…いでででで!い…鋳形の父っつあん!どうやって先回りを!」
「がーっはっはっは!この辺りの地勢とキサマのクセを照らし合わせれば、赤子の手をひねるより容易いわ!」
「おお、鋳形殿!助かった…さあ勘吉、奉行所まで来い!」
江戸町奉行所。北条が設立したこの施設は、現代で言う所の役所と警察署、裁判所を兼ねている。その他の民政部門が充実していないのは、何よりもまず治安維持が優先されているからである。自然、町民の福利厚生は町民自身に委ねられており…奉行の言動いかんでは町民が不平不満を抱く火種にもなりかねない。
だが現状、江戸の町民は北条の統治にさしたる不満を抱いてはいない。
それは第一に目安箱など、庶民の意見を吸い上げる北条の政治姿勢が評価されているから。第二に、北条本家から任ぜられた三人の奉行が、総じて好評を博しているからである。
中でも名奉行として名高いのが、執務室の上座にどっしりと構え、下座で頭を垂れる栗田勘吉を見据える男…朝比奈泰朝である。
「鋳形、太原、大儀であった。これよりわしが直々に説諭を施すゆえ、お主らは市中巡察に戻るがよい。」
「ははっ。」
「これに懲りたら賭場通いを控えるのだぞ、勘吉。」
勘吉を連行して来た二人が退出すると、下座で両膝を突いていた栗田は媚びるような笑顔で泰朝を見上げた。
「へへ…あの、お奉行様?」
「分かっておる、楽にせよ…首尾はどうであった。」
「へへ、そりゃもう…この通りでさ。」
勘吉はヘラヘラと笑いながら、胸元から取り出した紙片を泰朝に差し出す。
泰朝は鷹揚に頷いて紙片を受け取り、開くと、二三度深々と頷いた。
「うむ…やはりお主の読み通りであったか。これで備える事が出来よう。」
「こいつは重畳!…じゃ、あっしはここらで失敬をば…。」
「待て。…賭場で随分と使い込んだようじゃな。」
そそくさと退出しようとする勘吉を、泰朝が見逃す事は無かった。
「探りを入れるために奉行所の経費を用いるべし、とは確かに申した。されど…私費を投じてはならぬ、とも申し渡してあった筈じゃが?」
「う。…そ、そのう。思ったよりも負けが込んじまいまして…もう一勝負、もう一勝負と挑んでいる内に、つい…。」
「その分の説諭はさせてもらう。さあ、戻って参れ。」
「く、くそう…もう賭け事はコリゴリだぁ~~~~…。」
数日後の夜。江戸の浜辺に音も無く忍び寄る小舟の一団があった。
房総半島に勢力を張り、長年に渡って陸上、海上で北条との戦いを続ける戦国大名…里見家に所属する水軍の一派、珍平党である。
「お頭。ここまでは手筈通り…でやすね。」
「おう。あとは渡りを付けた商人がいる筈だが…んむ。」
腰に打刀を差した珍平党の構成員達は小舟を降り、辺りを警戒しながら内陸へと歩を進めていく。その先には、頬かむりで顔を隠した猫背の男が揉み手をしながら待っていた。
「へへへ…お待ちしておりやした。約束のモノはこちらに…。」
手下を引き連れ、猫背の男の後に続いて歩く珍平党の頭領は、静まり返った江戸の街並みを横目に小さく舌打ちをした。
(北条め…我らを散々虐げておきながら、のうのうと…だが、それも今日までよ。全て焼き尽くしてくれる…!)
珍平党の任務は破壊工作――端的に言えば、江戸の城下町に火を放つ事だった。
被害の大小は問題ではない。里見水軍が北条の警戒網をすり抜け、江戸を襲撃したという事実が重要なのだ。その報告が小田原に届けば、北条は兵力を分散せざるを得なくなる。
その目的のためであれば、武士でも雑兵足軽でもない町民が犠牲になるという可能性から目を逸らす事は容易だった。
「さ、さ、ご所望のものはこちらに…。」
猫背の男が両手で示したのは、左右に並べられた幾つもの長持だった。
珍平党の頭領が片手を挙げて合図すると、手下達は素早く長持の蓋を持ち上げ…揃って困惑の表情を浮かべた。
「何だ?この布――」
「かかれえーーーーーーーっ‼」
どこからともなく雄々しい男の声が響き渡ると、長持の中の布が突然めくれ上がり…中から『朝』一文字の羽織を着込んだ男達が飛び出して、珍平党に襲い掛かった。
「な…てめえ、寝返りやがったな!」
奉行所同心の第一撃を逃れた珍平党の一人が、素早く抜刀して猫背の男に横薙ぎの一撃を浴びせる。
猫背の男は――それを上下の歯で噛んで止めるのみならず、「ふん!」と気合いを込めて、首を曲げるだけで打刀をへし折ってしまった。
「な⁉おま、え⁉なん、何だその、馬鹿力…。」
その疑問に応えるように、猫背の男は頬かむりを脱ぎ捨て、『朝』一文字の羽織をまとい…次の瞬間そこには毛むくじゃらの男が、栗田勘吉が立っていた。
「江戸の太平を乱す者は、どこの誰だろうと許さねえ!全員とっ捕まえてやらあ!」
予想外の展開に慌てふためきながら、珍平党の半数は乗って来た船に戻り、沖に出ようとする。
だが、退路は既に塞がれていた。江戸に住まう船乗り達が、大小様々な船を漕ぎ出して沖合を封鎖していたのだ。
「おおっと、こっちは行き止まりだぜ!」
「勘吉っつあん、やっちまえ!」
進退窮まった珍平党に、左右から同心の小隊が突入する。それぞれの指揮官は、太原と鋳形だった。
「御用だ、御用だ!」
「徒に罪を重ねるな!神妙にお縄に付けえ!」
次々に手下が捕らわれる中、珍平党の頭領は強引に包囲網の突破を試み…ただ一人、他の同心とは異なる出で立ちの男と相対した。
「てめえ…まさか町奉行の朝比奈備中守か!」
「いかにも。」
泰朝の返答を聞いた頭領は、歪な笑みを浮かべて抜刀すると、泰朝に斬りかかった。
「城を追われて北条の手下に成り下がった負け犬が…!俺が引導を渡してやるぁぁ!」
「その意気や、良し。されど…遅い。」
一瞬の交錯。白目を剥いて倒れたのは、頭領の方だった。
「片輪同然のわしとも渡り合えぬようでは、『あのお方』には到底敵うまい。この江戸の太平のため…裁きを受け入れるがよい。」
泰朝は些かも息を乱す事なく、いつの間にか抜いていた刀を納める。
珍平党の面々はことごとく捕縛され、江戸の浜辺の大捕物は収束へと向かっていった。
月が沈み、日が昇る。
江戸にいつもの朝が来る。
戦国乱世とは思えない、吞気で凡庸な朝が。
「待あ~て~!」
「待たんか、勘吉!」
「ぎええ~っ、父っつあん、太原殿、勘弁してくれ~!」
勘吉が逃げ、鋳形と太原が追い掛ける。
その様子を見ながら、見物人達がはやし立てる。
或いはそれを――『平和』と、人は呼ぶのかも知れない。
『同心』とか、『御用だ』とか、時代劇の中でしか使われていなかったかも知れないですが、分かりやすさを優先してあえて使わせていただいております。
江戸の行政がどうだったかは何とも言えませんが、北条滅亡後に家康が進駐した際に江戸が過疎地だった、というのは一種の神話だったようです。
何千何万という将兵が出入りする重要拠点である以上、城下町も相応に発展していた事に間違いは無いでしょう。




