表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/66

#019 今川氏真の帰還(後)

※注意!

直接的な描写はありませんが完全に事後です。

 薄闇の中、布団にうつ伏せになり、心地良い疲労の余韻に浸っていた私は、ぴたりと閉じた障子を透かして畳を照らす月明かりの角度が変わっている事に気付き、体感時間と実際の経過時間とのズレに小さな驚きを覚えた。


「ふう…いかがした、結。水を飲むか?」


 まだ落ち着かない呼吸音と一緒に投げかけられた、五郎殿の言葉に身を起こす。

 振り返ると五郎殿は、寝間着の胸元を大きく開け、乱れた前髪をかきあげながら、ぐちゃぐちゃになった掛け布団の上で胡坐をかき、湯吞に注いだ水を飲んでいた。

 それがまたサマになっていて、私は胸が高鳴る音を聞いたような錯覚に陥った。


「有難く頂戴します。…それにしても驚きました。大層お疲れの事と思っておりましたが…んっ、んっ、んっ…まさか今夜早々に、とは…。」


 五郎殿に注いでもらった水を飲みながら、率直な感想を口にする。

 ぶっちゃけ私も昼に五郎殿のにおいを嗅いで以来、そこはかとなくムラムラ、悶々としないでもなかったのだが、どうしても我慢出来ない程ではなかった。

 五郎殿も疲れているだろうし、今夜はじっくりお風呂に入ってぐっすり寝て疲れを取ってもらおう、と思っていたのだが、予想に反して五郎殿から熱烈なお誘いをいただいてしまった。そこで久し振りに「夜の夫婦生活」に臨んだわけだが…相変わらず物凄いエネルギーである。

 前世における異性との交際経験がゼロに等しい私の武器はと言えば、フィクションで学んだ実用性が怪しいテクニックだが、戦国(この)時代ではそういう知識が普及していないため、五郎殿を喜ばせる事が出来ている。

 少なくとも、今の所は。


「武士たる者、死に際を見誤る訳には参らぬ…裏を返せば、軽々に生害(しょうがい=自殺)仕るも不覚なり。戦場で窮地に陥った折は、お主の事を念じて気を高めておった。」

「窮地…此度の戦は、それ程危うかったのですか?」


 汗がひいて少し冷えた肩を隠すように寝間着を着直すと、五郎殿は少し暗い顔で小さく頷いた。


「武田の兵は神出鬼没。風林火山の旗印に恥じぬ見事な用兵よ…物見(偵察)の知らせで、秘訣は馬にありと睨んだが…分かった所でどうにもならぬのう、どこに駒場(馬牧場)があるかすら分からぬ。」

「武田の用兵の秘訣が、馬…?やはり、武田の騎馬隊は強いという事にございますか?」


 私の質問に、五郎殿は一瞬目を丸くした。


「騎馬隊が、強い…?それは、馬上の侍が隊列を組んで戦うような手立てを申しておるのか?」

「…お許しを。何分戦については知らぬ事が多く…。」


 あれ?なんか致命的な認識のズレがある?

 ちょっぴり冷や汗をかきながら頭を下げると、五郎殿は「気に病むな、顔を上げよ」と言って少し考え込んだ。


「騎馬隊、のう…戦の成り行き次第では、馬を持つ侍達が騎乗して敵中を駆け巡る事もあるが…日頃から調練に励む訳にはいかぬのう、馬上ともなればそれぞれ役目もあるであろうし…。」


 五郎殿の回答に、私は小さく頷いた。

 言われてみればその通りで、この時代、馬に乗れるのは一定以上の身分の人間だけだ。その「一定以上」の中には当然武士が含まれるが、彼らには大抵何らかの役目がある。部隊の指揮官とか、本陣の警備とか。

 それを無理矢理まとめて騎馬隊を編成すれば指揮系統に支障をきたすだろうし、そもそも普段から連携訓練を施すのも難しいだろう。大名の馬廻と前線の国衆ともなれば、普段は顔を合わせる事さえまずないだろうし。


「儂が申したかったのは、小荷駄に用いられる馬の事じゃ。」


 五郎殿の話によると、武田の機動力の一端には武田領内で育成される馬が関わっているのだそうだ。

 この馬は現代の競走馬のようにスラッとした体型ではなく、背が低くて足も短い品種なのだが、重い荷物を背負って山道を歩く事が出来る。つまり武田勢は、世間一般の軍勢が通れないような山道をも通過して、敵の城に奇襲を仕掛ける事が出来る訳だ。


「それが、武田の強さの一端…。」

「うむ、されど万能ではない。平地の道を通らぬという事は、即ち禁制や乱暴狼藉で兵糧を確保出来ぬという事じゃ。畢竟(ひっきょう)、小荷駄の中身は大半が兵の兵糧となるであろう。」


 補給を馬で運ぶ小荷駄に頼りながら山道を踏破する部隊は、十分な装備抜きで戦闘に臨まなければならない、という事か。


「それに、馬は毎日大量の草を食べねば飢えて死んでしまうゆえ…一度(ひとたび)出陣すれば一所(ひとところ)に長くは留まれぬ。留まるとなれば、小荷駄奉行がいずこかより草を調達する他あるまいな。」

「雑兵足軽に食わせる兵糧を運ぶ馬を食わせるために、小荷駄奉行が草を刈り集める…。何だか奇妙な話に思えて参りました。」


 率直な感想を口にすると、五郎殿は抑えた声量で愉快そうに笑った。


「はっはっは…お主の申す通りじゃのう。されど、一手の大将が常に頭を悩ませるは、いかに手勢を食わせて行くか…じゃ。儂も大平城で随分知恵を絞ったが、皆に少なからずひもじい思いをさせた。こうして早川郷に連れ帰り、膳を共に出来た事は真に仕合せじゃ…。」


 そう言って湯吞を脇に置き、両手を広げる五郎殿に、私はそっと身を預けた。


「上総介様の帰る場所は、この私がいつでもお守り申し上げます。心置きなく、采配を振るってくださいませ。」


 五郎殿は返事の代わりに、大きな手で優しく私を抱きしめてくれた。

 こんな素敵な旦那様の妻になるという、二度目の人生最高の幸運に心から感謝しながら、私は五郎殿の胸に頭をこすりつけたのだった。

「戦国時代に騎馬隊は存在したのか」というテーマにサラッと回答する内容になりました。

筆者の考えとしては、「状況によっては一定数の武士が騎乗して突撃する事例はあった」が、「近代陸軍のように一般兵まで編成、訓練を施した『騎兵隊』は無かった」という見解になります。

次回から今川氏真と結がセットで登場するシーンが多くなると思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ