#157 決戦前に、ひと休み(後)
信長の援軍キタ!
これで勝つる。
「お!…織田の援軍が間に合ったのですか?」
喜びの余り大声を上げそうになり、私は慌てて声量を抑えた。
そもそも勝頼が徳川領内で好き放題しているのに信長が援軍を寄越さなかったのは、当人の気分がどうこう以前に、大坂一帯の敵対勢力に対する大規模攻勢にかかりきりだったためだ。宗誾殿が手紙で伝えた所によれば、『だからこそ』その隙を狙って勝頼は徳川領に進攻した、という事になるのだが。
「いや、弾正忠殿は岐阜から一歩たりとも動いてはおらぬ。」
宗誾殿の肩透かしに私は宙を舞ってひっくり返り、『なんでやねん!』とツッコミを入れ――たくなるのをぐっっっっと我慢した。
「…されど、織田の加勢はある、と…そう信じてよろしいのですか?」
「うむ。弾正忠殿は武田信玄、四郎の二代に渡って東美濃に攻め入られておるゆえ…汚名を雪ぐ務めがある。先の摂津、和泉攻めで三好らを打ち払ったゆえ、当座は上方の情勢に気を揉む事も無い。加えて、三河守様の使者と会えば…弾正忠殿と言えど心穏やかではいられまい。」
「三河守様の使者とは?」
「浜松に帰る前に、吉田城で三河守様にお目にかかったのじゃが…そこで伺った。本多佐渡守(正信)殿の発案で、弾正忠殿への使者にこう言わせたそうじゃ。『このまま加勢が無いようであれば、武田と和睦するより他に道は無し』とな…。」
私は思わず音を立ててツバを飲み込んだ。
この状況下で武田と和睦するという事は、織田との同盟を破棄するのとほぼ同義だ。これまでは織田に背中を預けて東に兵を向けていた徳川が、今度は武田に背中を預けて西に兵を向ける…幾ら圧倒的国力を保持する信長と言えど、可能ならば避けたい展開だろう。
「武田四郎は信玄に劣らぬ戦上手なれど…『勝ち過ぎた』。その上、まだ勝ちを求めておる。三河の諸城を陥れながら、長篠を囲んで生殺しにしておるのがその証よ。」
「三河守様を相手にこれ程の勝ちを重ねながら…まだ足りぬと?」
「戦えば勝つのが当然、となれば…誰しも知らず知らず慢心し、『どう勝つか』ばかりを考えるようになるものよ。まして謀を以て岡崎を経略する策が頓挫した以上…長篠を餌に三河守様を釣り出す、という手立てに拘るのは必定。されど一所に留まり続ければ…手の内が徐々に明らかになって来る。」
解説を続けながら、宗誾殿は地図上の長篠城を囲むように、黒い駒を四つ置いた。
「武田四郎の軍勢は二万に届くかどうかといった所…無論、これとて三河守様が動かせる軍勢の二倍、三倍ではあるが…ここに弾正忠殿の加勢があれば話は変わってくる。」
今度は白い駒が置かれる。
家康がいる吉田城と、信長が徳川領に入る際に経由するであろう尾張国に、だ。
「摂津、和泉攻めに上方の諸将を用いたゆえ、弾正忠殿が加勢に出せる人数は…一万は下るまい。五万、には届かぬとすると…三万か、二万は固いであろう。」
暫定で、織田徳川連合軍の兵力が三万七千。
武田勝頼の兵力が二万。
これは…もはや勝ったも同然なのではなかろうか。
「残る難題は…弾正忠殿の加勢が参られるまで長篠が持ちこたえるか、否か。そして、長篠城の囲みをいかに打ち破るか、じゃな…。」
宗誾殿の真剣な声で、有頂天になっていた私は現実に引き戻された。
勝頼が長篠城を包囲してから既に一週間あまり、武田軍が本気を出していればとっくに陥落していても不思議ではない。それが今日まで続いているのは、そもそも徳川軍本隊を吉田城からおびき出すのが勝頼の狙いだから、だが…長篠城主、奥平信昌殿が長期籠城戦のストレスに耐えかねて、恥も外聞もなく降服してしまえば、全ては水の泡だ。
まあ、長篠城には増援兼監視役として松平景忠殿が入っているらしいので、どの道信昌殿に降服の選択肢は無いだろうが。
それにもまして重要なのは、長篠城救援の方法だ。
兵力で劣勢であっても、地形や障害物を活用すれば兵力の差を埋められるという真理は、掛川城攻防戦で宗誾殿自身が証明した事だ。長篠城の周りは険しい地形が広がっているらしいから、そこに立てこもられたら幾ら信長でも…ん?
あれ?
長篠の戦いって、勝頼が攻め掛かって来たのを織田徳川が迎え撃ったんじゃなかったっけ?
どゆこと?
「…結よ。一つ確かめたい儀がある…沓谷衆の中に、長篠の地勢に通じた者はおらぬか?」
「は…長篠で生計を立てている者が十人ばかりおりますが…?」
「では――」
この時の私は予想だにしなかった。
宗誾殿の依頼が、長篠の戦いの行く末を左右する事になろうとは。
次回から長篠の戦い本番に迫っていく…予定です。
ちょっとこのペースだと年内に一区切り、とはいかなさそうで、まず間違いなく年をまたぐ事になると思います。
今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。




