#153 慈しみの報酬(前)
2025年12月1日に間に合わせたい、その一心で執筆しました。
今月も連続投稿、頑張ります。
天正三年(西暦1575年)五月 遠江国 浜松
岡崎における反乱未遂事件――徳川家中では『大岡弥四郎謀反之一件』と呼ぶ事が推奨されている――が一応の決着を見てからしばらく経ったある日、私はお客様の接待を終え、玄関でお見送りをしていた。
「本日は誠にかたじけのうござった。我ら一同気を引き締め、氏真のお帰りまで留守を確とお守り致しまする。」
「同じく。」
「では、これにて…。」
お客様一同…今川家の数少ない正規家臣、朝比奈弥太郎泰勝殿、岡部三郎兵衛尉殿、蒲原助五郎殿がお辞儀をして帰宅の途に就いたのを見届けると、私は百ちゃんを連れて自室に戻り…あらかじめ敷いてあった布団にダイブした。
「ハァ~~~~~~~~~~~~…………ちかれた。」
「本日もご立派にございました。只今茶を点てますゆえ…。」
「ありがと…。」
それだけ言って、ただただ布団に身を委ねる。
今日の接待は、三人の宗誾殿に対する忠誠を繋ぎ止めるためのものだった。
宗誾殿は万一の場合に備えて家臣団を浜松に残し、ほとんど非武装で上洛したのだが、それからおよそ四か月が経過してしまった。上洛前に言い含めておいてはくれたが、こうも『出張』が長引けば皆不安になる。突然早川郷を飛び出して、浜松に移住した『前科』もあるし。
それでも、正妻が浜松にじっとしている間は良かったのだが、『大岡弥四郎謀反之一件』の後始末のために私が岡崎に行く事になりました~と連絡した時の動揺と来たらひどいものだった。
まあ、そんな不安定な環境下でも持ち場を守ってくれている皆さんに、お礼とお詫びを兼ねてささやかな宴会を開き、ご機嫌取りをしたという訳だ。
子供達――紬と竜王丸はと言うと、実は大人程動揺していない。
というのも、宗誾殿の上洛について『天皇に拝謁する極秘任務』などと大ボラを吹いた事を当人宛ての手紙で報告した所、それ以降の返信に子供宛ての手紙が同封されるようになったのだ。
ご丁寧に、紬には平仮名で書かれた恋物語――主人公は宗誾殿ではなく、洛中に住む身分差カップル、という事になっている――を。竜王丸には簡単な漢字と片仮名混じりで書かれた冒険活劇――真剣勝負の描写が真に迫っている――を。毎回それぞれ一通ずつだ。
どちらも百パーセント真実とはとても思えない内容だったが、二人は宗誾殿の手紙に夢中になっている。不思議な事に、自分で読むより私に読んでもらった方が楽しいらしく…そういう理由で呼び出される事もしばしばだ。
まあ、そんなこんなで公務から私生活まで大忙しだった四か月も、もうすぐお終いだ。
先月徳川領に進攻した武田軍は撤退の兆しなどまるで見せず、あちこちを我が物顔で蹂躙して回っている。これを受けて、宗誾殿は京から帰宅の途に就いた。もう尾張…いや、三河に入っている頃だ。
「百…ここの所毎日のように世話を焼いてくれて、本当に有難う。でも…本当に『これ』が褒美で良かったの?」
武田の謀略を暴くために駿河に潜入し、赤の他人に成りすまして首謀者に張り付くという、スパイ映画さながらの困難なミッションをこなしてくれた百ちゃんに、私は当然ご褒美をあげようと思っていた。だが、当人に希望を聞いた所、百ちゃんが要望したのは側付き侍女の輪番に積極的に加わりたい、という社畜じみたものだった。
てっきり『休暇』『金銀財宝』『賃金上昇』あたりが来るものと見当を付けていたが、それは大きく外れた訳だ。
「奥様が日々を恙なく過ごされるご様子を、お傍にて見守る事こそわたくしにとっての至福…どうかわたくしに構わず、思うままにお過ごしくださいませ。」
百ちゃんがお椀に点てて持って来たお茶を、布団にうつ伏せのまま上半身だけ起こしてズズズとすする。
「ん、ああ~…絶妙なお手前だこと…百は本当に、何でも出来るのねぇ~…。」
「お褒めに与り光栄の至り。茶売りに化けた事もございましたゆえ…。」
「それで本職並みに出来ちゃうんだからズルいわ…もしもこの先また没落、いいえ大没落したとしても…百さえいれば生きていけるかしらね~…。」
「…勿体無いお言葉。」
百ちゃんの返事が遅れたのは何故だろう、と視線を向けるも、当人は既に次の一杯に取り掛かっていた。
まあ百ちゃんだって二十四時間フルスペックで働ける訳ないよね、と一人で納得した私は、名門名家もクソも無いだらしない体勢で、お茶のお代わりを待つのだった。
氏真が子供達に書いた物語の内、恋物語は源氏物語のパクリで、冒険活劇は実際に体験した刃傷沙汰をアレンジしたもの、という設定で書いています。




