#152 『大岡弥四郎事件』始末(後)
その罰は、重いのか、軽いのか。
「わたくしを、徳川家奥向きの差配から免じ…岡崎城奥向きの差配に専心させる、と?そ、そんな…何かの間違いでは?」
家康の出した結論に納得がいかないのだろう、愕然とした表情で食い下がる築山殿に、私は黙って首を横に振った。
「そ…その置文を見れば!三河守様の考えも変わりましょう!わたくしが謀議の首謀者だったと知れば…!」
「全て、承知の上にございます。私が、三河守様に讒言申し上げました。」
「は…?」
呆気に取られる築山殿を見ながら、私はパンチや張り手、蹴りや引っかき等々の物理的報復を覚悟した。まあ本当に危なくなったら百ちゃんが止めてくれるだろう。
「口寄せ巫女とやらが岡崎城の奥向きを通じて築山殿に取り入っている事。甲州勢の先手が足助城を攻めている事。これらの事から、武田が謀を以て岡崎を落とさんと目論んでいる…との推量に至り、三河守様に通報した所…謀反人の成敗を決心されたよし。そもそも、正月より武田の策謀を疑い、こちらの百を忍び入らせたのも私にございます。」
「ですから、それはわたくしが…。」
「『築山殿は口寄せ巫女の頼みを聞き入れ、大岡弥四郎らと談合する場を設けただけ』、『謀議の首謀者は大岡弥四郎であり、築山殿は口寄せ巫女が武田の手先とは知らなかった』…岡崎の重臣に調略の手が及ぶに至った不始末は見逃し難い、されど…謀反人には当たらない、というのが三河守様のご判断にございます。よって徳川家奥向きの差配を免じ、向後は岡崎城奥向きの差配にのみ専心させる…これが築山殿への『罰』にございます。」
まさかまた情報の隠蔽、歪曲に関与する事になるとは思わなかった。
私の手元には二つのカードがある。
一つは武田勝頼直筆の、武田の謀略を証明する書状だ。『都合のいい事に』築山殿の署名は無いから、これを表に出しても築山殿が謀議に加担していたという決定的証拠にはならない。
もう一つは築山殿直筆の、自身が謀議の首謀者であった事を告白する遺書だ。これを闇に葬れば、後は誰も築山殿の容疑を立証出来ない…当人がまた自白しなければ、だが。
「ちがう…ちがうちがうちがう!わた、わたくしが、わたくしに…なぜ、どうして…!」
死罪を免れたというのに、築山殿は喜ぶどころか泣きわめき、床を叩いた。まあ…その気持ちも何となく分かるが。
「…これでは一体、わたくしが何をして来たのか…まるで分かりませぬ。徳川の…いいえ、三郎殿のためと思い、謀議に加担した。その謀が破れた以上、弥四郎殿を始め多くの方々が厳罰に処される事でしょう。なのに、彼の人々を巻き込んだわたくしが…死罪を免れるなど。その上、岡崎城の奥向きにのみ専心するとなれば…もはや三河守様の正妻とは、名ばかりではございませんか…。」
築山殿の悲痛な独白を聞きながら、私は自分の推測が概ね的中していた事に若干の満足を覚えていた。
家康と築山殿は、かつて関口氏純殿の庇護下でイチャイチャしていた頃から遠く離れてしまった。物理的にも、精神的にもだ。
戦略上の都合から、家康は遠江の浜松に本拠を構え、築山殿は信康夫婦と共に岡崎に残った。ただ、浜松城の奥向きに関しても築山殿の権限は及んでおり…例えば築山殿は、昨年二月に浜松城女房衆の一人が産んだ双子の男の子を、家康の子として認知させないという主張をあっさり通している。
天寿を全うするのが難しいこの世の中、正妻とは別に二号さん、三号さんに子供を産ませる必要性が生じる事は、私も築山殿も承知している。
しかし、デキちゃったから認知して、では順序が逆だ。最悪の場合、家中の派閥抗争の火種にもなりかねない。
子供たちには同情したくもあるが、元はと言えば築山殿の承認を得ていない女房の『お万』さんにムラムラしてやっちゃった家康が悪い。個人的な愛憎については知る由も無いが、この件に関しては築山殿の対応は妥当だったと思う。子供たちも一応元気に育ってるらしいし。
…話が逸れたが、要するに築山殿は、謀略が失敗したら死ぬ積もりだったのだろう。家康の正妻として。
だが家康は死罪を命じる代わりに、徳川家全体の奥向きの統括という立場から築山殿を降ろすという判断を下した。それは築山殿にとって、ある意味死ぬより辛い事だろう。
「三河守様と築山殿が結ばれてより、幾年月が経ちました事やら…お二人の間柄も、在りし日のようには参らぬものと存じます。されど…三河守様は未だ御身を慈しんでおられるのではないでしょうか。」
「そんな…けれど…だって…。」
「築山殿。一昨年の事、覚えておいででしょうか。増長した五徳殿をたしなめた『貸し』を、ここで使いたく存じます。」
可及的速やかに、かつ焦っているように見られないよう注意しながら、私は上座を立ち、五徳殿の前に膝を突いた。
「どうか、自刃を諦め…生きていただきたく存じます。そして、三河守様と…文など、交わしてみてくださいませ。」
「…何の返事も、無かったとしたら?」
「その折は、私にご一報を。力になれるかは分かりかねますが…恨み節をお伺いする事くらいは出来ましょう。」
「…そう…それは…心強うございますね…。」
泣き笑いを浮かべる築山殿から離れ、上座に戻った私は、家康宛ての遺書をつまみ上げた。
「時に…こちらはいかがいたしましょう。斯様なものをご覧になっては、三河守様も肝を潰すものと思いますが。」
築山殿は泣き笑いの表情のまま、首を小さく横に振った。
「いいえ、どうか三河守様にお届けください。或いはそれで…文の一つもくださるやも知れませぬゆえ。」
こうして一連の反乱未遂は、大岡弥四郎を始めとした不満分子が全責任を負う形で幕を閉じた。
私は家康と築山殿が、かつてのようにとは行かなくとも、ちょうどいい関係を再構築出来ますようにと祈りながら、浜松への帰路に就いた。
Q1.大岡弥四郎が築山殿の関与を騒ぎ立てても大丈夫?
A.首から下を埋められた謀反人が何を言っても、その場しのぎの言い逃れにしか聞こえません。悔しかったら証拠を見せてくださいよ、ショーコ。
Q2.認知されなかった双子って?
A.後の結城秀康と、永見貞愛の兄弟です。割と近代まで双子は不吉、とされていたのに両方とも育てられているので、待遇はともかく真っ当に扱われた部類に入ると思います。
次回から、いよいよ長篠の戦いのプロローグといった感じになっていくと思います。
もしまた一~二週間空いたらすみません。




