#151 『大岡弥四郎事件』始末(前)
すみません、取り急ぎご報告まで。
月曜(2025年11月17日)から体調を崩して、感想等への対応が出来なくなっておりました。
金曜日にアップされる分まで予約掲載設定してあるので今週分は問題なくアップされると思います。
体調が回復次第活動を再開します。
天正三年(西暦1575年)四月十九日 三河国 岡崎
岡崎城下で大捕り物があった翌日、私は築山殿の屋敷を訪れていた。
百ちゃんを従えて気まずげな使用人達に案内された先は応接間…そこでは屋敷の主、築山殿が、下座に座って待っていた。
本来ならば、今川家を庇護している徳川家の正妻を下座に据えるなど有り得ない事だが、築山殿が異議を唱える事は無かった。
「ご健勝のようで、安堵いたしました。」
上座に座った私が言うと、築山殿は顔をこわばらせた。
「わたくしも武門の生まれなれば、恥も誉も心得てございます。恥を忍んで生き長らえたは、わたくしの不始末で迷惑を被る方がいらしてはならないと、その一心にございます。」
私は思わず微笑んだ。皮肉と捉えられても仕方無い私の第一声に対して、築山殿が気丈な返答を寄越してくれた事が嬉しかったからだ。
「ますます安堵いたしました。己一人の始末に囚われず、お家を思えばこその堪忍…その深慮に、心より御礼申し上げます。」
私の言葉が想定外だったのか、築山殿は沈黙する。すかさず居住まいを正した私は、ここからが本番とばかりに声を張った。
「改めまして…三河守(家康)様より此度の仕置を五分ばかり仰せつかりました、北条結にございます。」
「五分ばかり…とは?」
「此度の騒動につきましては、三河守様が既に大方の仕置を決心されておいでです。私の一存で差配出来る事など、高が知れています。」
「では、なにゆえ貴女様がお越しになったのでしょう。」
「築山殿と互角に渡り合える女性として、白羽の矢が立ったがゆえにございます。さて…既に聞き及びの事かと存じますが、足助城が落ちました。」
つとめて事務的に報告すると、築山殿は僅かに動揺したが、取り乱すには至らなかった。
「これに呼応して甲州勢を引き入れる謀議に加担していた謀反人は、松平三郎(信康)殿がことごとく召し捕ってございます。三河国に忍び入っていた武田の忍びも同様に。」
「そこまで!…どうか、そこまでに。進んで謀反人の成敗に向かわれた事からも、三郎殿が謀議に加担していない事は明らか。奥勤めの女中達も、わたくしのために良かれと思ってあの者達を…武田の手先を引き入れたのです。どうか、どうか…成敗するのはあと一人、このわたくしのみにて…。」
信康殿と配下の女中達を庇う供述を展開してから、築山殿は懐から一通の書状を取り出した。
「万が一に備えて、三河守様に宛てて認めた置文にございます。これをご覧いただければ、此度の企ての首謀者がわたくしであると、ご納得いただける筈。何卒お目通しを…。」
私が指示を出すまでもなく、百ちゃんは隙の無い身のこなしで築山殿に近付き、置文とやらを持って来てくれた。
慎重に開封すると、そこには謀議に加担した経緯――まあ、三河遠江の過半を押さえられていれば不安にもなるだろう、私のように史実知識も無い事だし――から、謀議に加担したメンバーの一部氏名、謀略の概要と続き、家康の武運長久と家族の健康長寿を祈る文章で締めくくられていた。
ん~…思わぬ収穫というやつだろうか?これはこれで大事な物証だ、ありがたく頂戴しておこう…まあ結論には影響しないが。
「他に、仰せになる儀はございますか?」
一応確認すると、築山殿は唇をキュッと引き結んで、首を横に振った。
じゃあ、まあ…あんまりいたぶるのも良くないし、結論と行きますか。
「では、三河守様の仕置をお伝えします…築山殿、徳川家奥向きの差配から貴殿を免じるものとする。向後は岡崎城奥向きの差配に専心すべし…以上にございます。」
「…は?」
理解できない、という築山殿の顔に、私は僅かに胸が痛むのを感じた。これはある意味、死ぬより辛い罰であり…物理的にも精神的にも離れてしまった一組の夫婦の、一つの終着点なのだ。
…やっぱりこの役目、誰かに押し付けた方が気が楽だったかも知れない。
戸惑いを隠せずにいる築山殿を前に、私は小さくため息を吐いた。
近年の研究で、事件の通称とは裏腹に、『大岡弥四郎事件』の中心には築山殿か松平三郎信康がいないと不自然だという事が判明して来ました。
家康はそれに気付かなかったのか、気付いていたとしたらなぜ厳罰に処さなかったのか…作者なりの解釈を次回お見せ出来ると思います。




