#149 心せよ、亡霊を装いて戯れなば(中)
歩き巫女菖蒲の降霊術、とくとご覧あれ。
「では、只今より関口刑部少輔様の口寄せを始めまする。」
最前の位置から九十九の前に場所を移し、殿方のように胡坐をかいた菖蒲が、くぐもった声で言った。目と口の部分に穴が空いた老爺の面で顔を覆い、首には勾玉をあしらった首飾りを下げている。
「口寄せをしている間、わたくしの体は微妙な均衡を保っておりますゆえ…皆様けして手を触れる事なきよう。」
「分かりました。では菖蒲殿…。」
築山殿に促された菖蒲は、両手を組んで印を形作り…聞き取れない程の早さで何事かを呟く。
次の瞬間、陽光が一瞬暗くなり、暴風が障子を揺さぶって、ガタガタと音を立てた――少なくとも九十九はそう感じたが、二、三度瞬きを繰り返すとそこには変わらぬ光景が広がっていた。
「オ…オオ…そこに見えるは、もしや…瀬名、か…?」
老爺の面の奥から漏れ出た声に、九十九は思わず息を呑んだ。
菖蒲のものとは似ても似つかない、老いた男の声だったからだ。
(元々口寄せ巫女の修行に付いて行けず、歩き巫女に移ったと聞いていたけれど…まさか今になって真の才覚に目覚めたのかしら。)
訝しむ九十九を尻目に菖蒲は立ち上がり――その所作も、節々に痛みを抱える老将そのものだった――築山殿に歩み寄る。
「立派になったのう…最後に会ったのは先代様(今川義元)が討たれて間も無い頃の事…あれから幾年経ったのであろう…。」
「じゅ…十五年になるかと。あの、菖蒲殿、いえ父上、どうかそこまでに…。」
築山殿は見るからに動揺しながら、反射的に距離を取ろうと上半身をのけ反らせるが、菖蒲はお構い無しに近付き…自分から築山殿の両肩に手を置いた。
「そうか、十五年になるか…竹千代殿は?亀姫様はお元気か?婿殿は何処に…。」
(よくやってくれたわ、菖蒲…。)
築山殿の目が潤み始めたのを見て、九十九は成功を確信した。
恐らく築山殿の要求はただの気まぐれではなく、こちらの誠意を推し量るためのものだったのだろう。だが、この調子であれば…もはや家康への通報など、考える余地すら無いに違いない。
「して、幽世よりわしを蘇らせたは…何か一大事でもあったのか?」
築山殿が手短に近況報告を終えると、築山殿の隣に腰を据えた菖蒲が問い質した。
「実は…徳川は今や存亡の危機にございます。これを乗り切るには三河守、あ…次郎三郎様を見限り、武田に膝を屈するより道は無いものと思い、謀反の企てに同心いたしました。されど…これが真に正しき行いであろうか、と…。」
菖蒲は小さく首をかしげ、数瞬の間沈黙した。
「ふううむ…わしは既に亡者なれば…現世の事にあれこれと口を出す訳には参らぬ…ただ一つ、言える事があるとすれば…お主はもう、立派な乙名じゃ…そのお主が悩み抜いた末に決めた事であれば…誰が異論を申し立てられよう…それがお家のためと信ずるならば…お主の思う通りにするが良い…。」
「~っ、は…はいっ。有難きお言葉、痛み入ります…!」
涙声で菖蒲に礼を言った築山殿は、懐から取り出した懐紙で鼻をかみ、目元を袖口で拭った後、下座の九十九に向き直った。
「お待たせしました。起請文を…。」
「はい、ここに…。」
九十九は待ってましたとばかりに小刀を引き出し、柄ではなく鞘の先端を捻った。一見、何の変哲も無かったそこに切れ目が生じ、鞘の先端が外れると、そこから細く折り畳まれた書状が滑り出る。
すかさず受け止めた九十九が書状を広げると、そこには築山殿と信康が武田の軍門に降る際の取引に関する詳細が列記されており、末尾には花押があった――武田四郎、と。
「××××!」
「…は?」
降って湧いた男の声に九十九が振り返ると、いつの間にか西慶が立ち上がり、起請文を指差して何やらわめいていた。
「×××、××××、×××!」
「…はあ、この期に及んで…菖蒲、西慶殿は何か思い違いをなさっているご様子。落ち着かせて――」
九十九が言葉を切ったのは、呼ぶまでもなく、菖蒲が傍らに立っている事に気付いたからだった。
菖蒲は無言でしゃがむと、呆けて口が半開きになっている九十九の顎を少し持ち上げ――九十九の口内に袖口を突っ込んだ。
「…⁉むうっ、んぐう~っ!」
突然の暴挙に動転しながら、九十九は必死に突破口を探る。『何故』は後で構わない、とにかく、この窮地を乗り切らなければ――
抵抗しようとする九十九を、男の――西慶だろう――腕が羽交い締めにする。刻一刻と悪化する状況に、九十九の思考が真っ白になりかけた瞬間、口の中から巫女装束の袖口が引き抜かれた。
反射的に大きく息を吸う――刹那、九十九は深く後悔した。体の自由を奪う薬物特有の、甘ったるい匂いを嗅ぎ取ってしまったからだ。
「か…菖蒲…これは、一体…。」
機密保持のため、舌を噛み切る事すら叶わない。
せめてもの抵抗として、かろうじて動く足で蹴りを繰り出し、菖蒲の仮面をはぎ取った九十九は愕然とした。
「お前…誰…。」
それを最後に、九十九の意識は闇の中へと落ちていった。
分かる人には分かると思いますが、作者はテレビドラマ、映画の『コンフィデンスマンJP』シリーズが好きでした。
今回のトリックも、本家には及ばないながら『コンフィデンスマンJP』シリーズを参考にしています。
次回、種明かし編です。




