#148 心せよ、亡霊を装いて戯れなば(前)
いよいよ『大岡弥四郎事件』のクライマックスに入ります。
読者の皆様に(いい意味で)ビックリしてもらいたい、そんな思いを込めて書いています。
天正三年(西暦1575年)四月十八日 三河国 岡崎
足助城が武田軍に攻略されようとしている、との噂は岡崎城下に広く知れ渡り、町民は落ち着きを失いつつあった。
人間の都合などお構いなし、とばかりに燦燦と降り注ぐ陽光の下、老いも若きも余裕の無い顔付きで行き交う道の真ん中を、悠然と歩く三人の男女がいる。歩き巫女の九十九を先頭に、手下の菖蒲、『唐人医』の西慶という順番である。
三人は築山屋敷の正門をくぐり、待たされる事も無く応接間へと通された。上座には既に築山殿が着座し、少しぎこちない微笑みを浮かべている。
「ようこそおいでくださいました。九十九殿、菖蒲殿、西慶殿…。」
三人が着座するより早く、築山殿は労いの言葉をかける。
九十九は迷う事無く下座の中央に陣取り、菖蒲と西慶はそれぞれ左右の斜め後方に座った。
『西慶は日本語が分からない』という建前ゆえだろう、菖蒲が頭を下げたのは九十九の後、西慶に素早く耳打ちしてからだった。
「早速ですが、体に悪しき所は無いか、西慶殿に診ていただきたく…皆、いつも通り座を外しなさい。」
築山殿の指示を受けて、周囲に控えていた侍女や女中は退出し、警固の侍達は外から障子を閉める。やがて薄暗い部屋の中には、築山殿を始めとする四人だけが残された。
「さて大奥様…此度は如何な御用にございましょう。」
西慶の診察を名目に、密談を執り行う支度が整った事を確認した九十九が促すと、築山殿は緊張を含んだ微笑のまま、僅かに身を乗り出した。
「わたくしに代わって種々お働き、かたじけのう存じます。いよいよ事は大詰め…皆様の馳走が実を結ぶ日も近いでしょう。ついては、起請文に名を添えさせていただきたく…。」
「それは重畳、では早速…。」
「ただ。」
申し出に喜びを隠し切れない九十九に冷水を浴びせるように、築山殿は断固たる口調で待ったをかけた。
「己の歩む道に誤りが無いか、是非を明らかにしていただきたいのです…我が父、関口刑部少輔殿に。」
「それは、つまり…我らに、口寄せをせよと仰せで?」
ゆっくりと頷く築山殿を前に、九十九は舌打ちをこらえるのに強力な自制心を必要とした。
(この期に及んで何を世迷言を…町奉行はおろか、三郎の家老まで抱き込んだというのに、今更止められる道理があるものか!南信濃の国衆どもが足助を落としさえすれば、否も応も無く謀を進められるものを…。)
既に謀議に加わった面々への根回しは済んでおり、後は足助落城の知らせが岡崎に届けばそれぞれが事前の打ち合わせ通りに行動を開始する。
最大の懸念事項と言っても過言では無いのが、謀議に欠かせない人材でもある築山殿の変心だ。もし彼女が怖気づいて家康に通報でもすれば、謀議が発覚し、岡崎城の奪取が著しく困難になってしまう。
いっそ口封じをしたい所だが、信康を徳川家の新当主に据える形で西三河を押さえた後は、再度の離反を防ぐための保険として築山殿を甲府に護送しなければならない。
つまり、この中年女の機嫌を取って、是が非でも心変わりを防ぐより他に道が無いのだ。
(だが…まさか神仏の類ではなく関口刑部少輔をお望みとは…どうする?親姉妹について一通り調べては来たが…下手に芝居を打って臍を曲げられては…。)
「九十九様。」
相応の修行を経ていない九十九が出来るのは、口寄せの真似事に過ぎない。
下手な演技で不信を招くより、別の方法で築山殿の歓心を買うべきか、と考えていた九十九の片袖を、後方の菖蒲が引き寄せ、囁いた。
「これは天の巡り合わせかと。駿府で西慶殿を拾った頃、かつて刑部少輔殿に仕えていたと仰るご老体の話を伺いました。それを以てすれば…。」
「…確かなのね?」
「確かとは…されど、しくじるのがわたくしであれば、まだ立て直しが効くかと。」
築山殿の前で長々と内緒話を続ける訳にもいかない。九十九は期待と不安を一瞬で天秤にかけ、決断した。
「お待たせしました、大奥様。こちらの菖蒲が、是非にと申しておりますゆえ…お任せしてもよろしゅうございますか?」
「…ええ、お願いします。」
築山殿の許しを得た菖蒲は手早く荷物を解き、口寄せの支度を始める。
頼りになる手下を呼んでおいて良かったと、九十九は密かに安堵するのだった。
エピソードタイトルの『心せよ、亡霊を装いて戯れなば』は、コアな人気を誇る漫画『HELLSING』でも用いられた一節です。
本当は深い意味があるのですが、とりあえず作者はハロウィンの仮装が怖くなったチキンです。




