#146 岡崎の三(悪)人(中)
今回、『口寄せ巫女』と『歩き巫女』に関する作者なりの解釈があります。
学術的に立証された区分ではございませんので悪しからず。
岡崎の中心部から離れた街角に、うらぶれた宿がある。
その一室に、向かい合って白湯をすする二人の巫女がいた。
「知らせはまだなのね?菖蒲。」
「はい、九十九様。催促の文を出しますか?」
九十九と呼ばれた女は一瞬だけ考える素振りを見せてから、首を横に振った。
「どこかで三河守(家康)の手先や、今川のネズミに見付かっては面倒な事になる。最初の取り決め通りに知らせが届くのを待ちましょう。」
「は…申し訳ございません、出過ぎた事を…。」
「貴女が謝る事ではないわ。…私も少しのぼせ上がっているのかもね。これ程の大仕掛け、一体何年ぶりになるかしら…。」
甲斐国出身の巫女には、大別して二種類が存在する。『口寄せ巫女』と『歩き巫女』だ。
前者は口寄せ…降霊術の一種を生業としており、後者は前者を装って武田の情報戦に従事して来た。
本格的な修練を積んでいない歩き巫女でも、事前の情報収集や先達より叩き込まれた観察力、話術を以てすれば、口寄せの真似事は出来る。そのため、他国の侍達は口寄せ巫女と歩き巫女の区別が付かず、強権的な摘発に乗り出せずにいるのが実状だ。
九十九は歩き巫女の中でも中堅と呼び得る実力者であり、菖蒲は直属の部下だった。
今回九十九が任されたのは、西三河を一夜にして切り取る秘策…岡崎城勤めの不満分子を抱き込み、本格的な攻城戦を経ずして城内に武田軍を招き入れる道筋をつけるという謀略だ。
本来ならば年単位の仕込みを要する所、新当主(武田勝頼)の厳命により今年に入ってから数か月で成果を上げる必要に迫られたため、少なからず強引な手も使ったが…不穏な動きに眉をひそめる三河武士はいても、その真の狙いに気付いている者はいない。
勝頼から直々に拝命した指令の詳細は、九十九が自身の胸の内に秘匿し、誰にも――歩き巫女の中では最も信頼する菖蒲にすら――明かしていないのだから、当然と言えば当然だが。
「菖蒲が西慶殿を連れて来てくれて助かったわ…お陰で『お月様』と込み入った話をする際に、易々と人払いが出来るものね。」
同じ宿の別室に宿泊する中年男、西慶は、中国から渡海して来た医者…という事になっているが、実際は中国語どころか日本語もまともに話せない浮浪者だ。
シワだらけの顔が、厳しい修行と旅路を乗り越えて来た唐人医に見えなくもない…と見込んだ菖蒲が、駿府で拾い上げ、浜松に連れて来た。
当人は九十九と菖蒲の指示通りに演技をして小銭をもらっている、程度の認識で、自身が謀略に加担している自覚すら無いだろう。
「九十九様、明日も西慶殿を連れて『お月様』のお屋敷へ…?」
「ええ、貴女も来てちょうだい。西慶殿に妙な真似をされて、仕掛けを台無しにされてはたまらないもの…彼の御仁も、いい加減腹を括ってもらいたいものだわ。まあ、その思慮分別があればこそ、『浜松の御方』に知らせずにいてくれたのだから…痛し痒しといった所ね。」
『お月様』は築山殿…関口瀬名。『浜松の御方』はその夫、徳川家康の隠語だ。
この数か月間、九十九と菖蒲は時に口寄せの真似事をし、時に賂を渡しと、あらゆる手を尽くして岡崎城の奥向きに取り入り、築山殿と直接面会する好機を手に入れた。そして彼女を謀略の糸で絡め取り、奥向きを通じて岡崎城勤めの不満分子と接触、家康への謀反に踏み切るよう仕向けて来たのだ。
後は岡崎城を守る最後の砦、足助城が落ちれば、家康の論功行賞に不満を持っていた連中が事前の打ち合わせ通りに動き出す。
ただ…計画の中心にある『お月様』の決心がこの期に及んで揺らいでいる事が、九十九にとって最大の不安要素だった。
「今更『浜松の御方』に通報などされては、これまでの苦労が水の泡…とは言え、事が上首尾に運んだ後も『お月様』には役目があるのだから、ここで口を封じる訳にも行かない…。」
「承知しております。仔細は九十九様の胸の内なれど…ここで『お月様』を落とす訳にはいかない、と。」
「ええ、そうよ。くれぐれも早まった真似はしないように。ああ、でも…事が終わったら、西慶殿には『お帰り』願おうかしら。」
九十九が苛立ちをぶつけるように嗜虐的な笑みを浮かべると、菖蒲はかしこまって平伏した。
「その際はわたくしにお任せを。確か、天竺まで参りたいと仰せだったような…抜かり無く、お届けして参ります。」
「そう、天竺まで…ふふっ。着けるといいわねえ、ふふふ…。」
相変わらず菖蒲は自分の好む言い回しを心得ている、と、九十九は悦に入った。
自分達のように汚れ仕事を担う者は、どれ程務めを果たしても称賛される事は無い。であるならば、こうして気の置けない者と共に『お楽しみ』に興じる程度の自由はあって然るべきだ――。
邪悪な微笑みを巫女装束の袖口で隠しながら、九十九は声を殺して嗤った。
三悪人の一人…乱世の舞台裏で暗躍する歩き巫女、九十九。
『唐人医西慶』も武田の謀略に関わっていたとされる人物ですが、どこから来たのか、どんな人物だったのか、事件の後どこに行ったのか、まるで分かりません。
大岡弥四郎同様に、自由度が高いとも言えますが。




