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#145 岡崎の三(悪)人(前)

エピソードタイトルに『三悪人』と付いていますが、(ある意味)悪人に該当する人間はまだまだ登場します。

便宜上、主要メンバーを三名ピックアップしています。

天正三年(西暦1575年)四月十七日 三河国 岡崎


「九百九十一、九百九十二、九百九十三…。」


 岡崎町奉行三人衆の一人、大岡(おおおか)弥四郎(やしろう)の朝は、自宅の中庭での木刀の素振りから始まる。岡崎城のかつての主、家康に、近習(きんじゅう)から取り立てられて以来、一日とて欠かした事の無い日課だ。いつ実戦に及ぶ事になっても、不覚を取る事の無いように…その一念で。

 だが、町奉行は町奉行。家康が兵を率いて東奔西走する間も軍役を課される事は一度として無く…最後に戦場に立ってから六年が経とうとしている。

 家康に同行して浜松に移った同輩、軽輩が武功を挙げ、出世街道を邁進する中…弥四郎はずっと町奉行のままだ。


「九百九十九…一千。ふう…。」


 木刀を下げ、心地良い疲労感に浸っていると、待機していた使用人が、水を張った(たらい)と手拭いを持って近寄る。


「旦那様、今日はいつにも増して精がでていたようにお見受けしましたが…。」

「応、お主にも分かるか。」

「へえ、長い事ご一緒して参りましたので…しかし、これ程熱心に剣術の稽古をなさって…いつか大殿(徳川家康)にお引き立ていただければよろしゅうございますな。…旦那様?」


 主からの返答が無い事を訝しむ使用人に、弥四郎は人好きのする笑顔を向ける。


「お主の申す通りじゃ。日々鍛錬に励み、務めをこなしておるわしが、取り立てられぬのは道理に合わぬ。そうなればお主も引き立ててやるゆえ、引き続き励むのじゃぞ。」




 朝食を済ませた弥四郎は奉行所に出勤する。前任者からの引き継ぎのためだ。

 奉行所の執務室で弥四郎を出迎えたのは、松平(まつだいら)新右衛門(しんうえもん)。岡崎町奉行三人衆の一人で、弥四郎ともう一人、江戸(えど)右衛門七(えもんしち)と輪番で奉行の務めに当たっている。


「こちら、未決の申し立てにござる。」

「相分かった。お役目、確かに引き継いでござる。」


 町奉行の仕事は地味で神経を使う割に、やりがいがあるとは言い難い役目だ。やれ商人同士の権利争い、土地争い、町民からの普請(公共工事)の嘆願…今日明日で結論が出るとも限らない案件が次から次へと舞い込み、それらを一件一件片付けていかねばならない。

 その上、どれだけ汗水垂らし、骨を折っても、戦場での鑓働きのように評価される事は無い。家康はおろか岡崎城主(信康)に褒められる事すら無いのだ。

 それでも弥四郎と新右衛門は懸命に役目を果たして来た。いつか自分達の働きが報われる日が来ると信じて…それがいよいよ現実のものとなりつつある。


「足助城は遠からず落ちましょうな。」


 いかにも武士の世間話といった風で、新右衛門が言った。


「左様、遠からず…なれど、拙者が町奉行の役目に当たる内は、岡崎も安泰…共に手を携えて参りましょうぞ。」

「然り。どうやら右衛門七殿は些か…頼り甲斐が無いようにございますれば。」


 同僚を非難する物言いを注意するでもなく、弥四郎は薄笑いを浮かべる。


「立身出世の意気込みに乏しいお方なれば…日々の務めを漫然と果たしているだけでは、世に出る好機は掴めませぬ。」

「確かに…苦節六年、ようやく運が巡って参りましたな。もうすぐ――」

「新右衛門殿。今は、そこまでに…。」


 新右衛門が慌てて口を閉じるのを確かめて、弥四郎はゆっくりと頷いた。

 声を大にして笑うにはまだ早い。そう、『まだ』。




 新右衛門に代わって執務室の主となった弥四郎は、書類の中に紛れ込んだ子供の落書きに目を留めた。

 落書きは二枚。一つは漢字、片仮名、平仮名が滅茶苦茶に並んでおり、およそ文章の体を成していない。もう一つは漢数字が、これまた滅茶苦茶な順番で書き連ねられている。


「書いたのは…ああ、『九郎(くろう)判官(ほうがん)』殿か。」


 九郎判官…源義経(みなもとのよしつね)の名を騙るなど、悪ふざけにしか見えない。だがこの場合、双方にその名前がある事が肝要だった。


「ふむ…『ア』…『す』…『け』…『落』…『城』…『し』…『第』…『テ』…『筈』…『通』…『り』…か。」


 暗号文の解読を終えた弥四郎は、二枚の『落書き』を丸めて硯に溜まった墨に漬け込み、程よく染まったのを確認してからクズ籠に捨てた。


(既に武田四つ菱の幟旗を百本、用意してある…足助城が落ちたらこれを岡崎の南に並べ、甲州勢が回り込んだと城兵に早合点させる。『我ら』が城の守りを請け負い、城兵を南に向かわせ…間髪入れずに甲州勢を北口から城内に招き入れる。これで岡崎は武田四郎様のものじゃ。今度こそは四郎様の下で、城持、国持になって見せようぞ…。)


 溢れる野心をおくびにも出さず、弥四郎は黙々と町奉行の務めを再開した。




 三悪人の一人…立身出世のため鞍替えを目論む野心家、大岡弥四郎。

大岡弥四郎は諱も分からない程痕跡が残っておらず、よく言えば自由度の高い人物です。

僅かな手掛かりとして、元々低い身分だったのが家康に取り立てられ、岡崎町奉行になった…所で出世が止まった、という経歴から、ステップアップの快感が忘れられず、謀反に走った…という設定にしました。

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― 新着の感想 ―
弥四郎:何?三両を拾って届けたところいらないと言われた?ならば貰っておけばよかろう?え?人から金を恵んでもらう程落ちぶれてない?面倒な…奉行所で没収しておけ ??:それぞれに二両渡して受け取っておけば…
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