#143 謀略のカウントダウン(前)
今回もどうにか間に合いました…。
かまってちゃんとかでは断じてないです…。
読者の皆様が拙作を読んでくれているお陰です…。
いつも本当にありがとうございます。
天正三年(西暦1575年)四月十六日 遠江国 浜松
「御前様。赤羽陽斎、罷り越しましてございます。」
すっかり春。私は自室に陽斎殿を呼び出していた。
一応、密通疑惑を避けるために侍女の一人、お栗を同席させている。
「実は、徳川家にかかる大事について陽斎殿に伺いたい儀がございます。」
「あ、あのう…そんな大事な場におらも同席してよろしいんで…?」
お栗は逃げ腰だが、彼女はこういう時にも頼りになる。便利使いしている、とも言えるかも知れないが。
「お栗にこそ同席してもらいたいの。これを…。」
そう言って二枚の書状を取り出し、お栗に渡す。それぞれ陽斎殿とお栗に宛先人を指定した小切手だ。
「それで、この場で話した事を他言無用にしてほしいの。額は十分かしら?」
「へ、へえ。助かりますだ。家はとかく飯代がかかるもんで…。」
「ははは…牛吉殿もお栗殿も、よく食べ、よく働いておられますゆえな。拙者も、額面に不服はございませぬ。」
お栗の手を経て陽斎殿にも小切手が渡ったのを確認して、いよいよ本題に入る。
「陽斎殿、単刀直入にお伺いします…此度の武田の狙い、奈辺にありましょうや。」
陽斎殿を呼び出したのは、未だに全貌が掴めない武田軍の動きと目的について、軍事のプロフェッショナルの見解を聞きたかったからだ。
私も兵法書をそれなりに読んではいるし、実戦経験もある事はあるが、やはり『本職』には遠く及ばない。本当なら宗誾殿に相談したい所だが、彼はまだ京にいて、帰宅は当面先になる。そこで、陽斎殿の知恵を借りようと考えた訳だ。
「ふむ…お栗殿、御世論の駒を持って来てくれぬか。」
そう言って、陽斎殿が胸元から取り出して畳に広げたのは、徳川家の領国――三河遠江と、周辺地域が書き入れられた地図だった。
前世で地図アプリやら気象予報図やらを手軽に使っていた身としては、未だに形状に違和感を覚えて仕方無いが…まあおおよその位置関係が分かるだけヨシとしよう。
「まず、ここ浜松。東三河の吉田城。そして松平三郎(信康)殿のおわす岡崎城。この三城を守り通せば、徳川は何度でも巻き返しが叶いましょう。」
陽斎殿が解説しながら置いた三つの駒をじっと見る。この三か所が、徳川の最終防衛ラインか。
「既に武田四つ菱は遠江と奥三河の過半にまで翻り…そして昨日、岡崎の北にある足助城に攻め寄せた。ただし、その軍勢に武田四郎(勝頼)は不在…去る十二日は信玄公の三回忌法要、それを済ませてから出馬するとの算段にございましょうな。」
岡崎城の上の方に、足助城を示す白い駒が一つ、それを囲む黒い駒が三つ置かれる。
この白い駒がひっくり返った時、岡崎城を守る盾は消滅する…。
「武田四郎殿の狙いは、西三河?」
「さて、それは…本陣の所在が明らかにならねば、何とも言えませぬな。西三河に目を引き付けておいて、遠江に討ち入る、という事も…。」
陽斎殿は勿体ぶっているというより、本当に分からなくて困っているように見えた。
実際問題、武田の機動力は異常と言っても過言では無いだろう。
一人二人の雑兵足軽ならともかく、千人万人の『軍勢』を動かすとなれば、ふつうはそれなりに整備された道…例えば東海道を使うのが定石だ。しかし武田は――何万にも上る主力は流石に無理だが――ある程度まとまった戦力を、山道を通じて動かす事が出来る。
つまりこの場合、本来なら自然の要害として利用出来る筈の山脈が、まるで当てにならないと言っていい。だから、徳川は基本的に常に受け身に回る事になる。
武田軍がどこそこに現れた、迎撃しなくては――で、行ったら行ったでそこには武田が準備万端待ち構えていて、兵力を損耗し、城も奪われる。
大体このパターンだ、いい加減にして欲しい…勿論武田が。
「陽斎殿…問いを変えてもよろしいでしょうか。」
散々迷った挙句、私はいつもの行動原理に従う事にした。
どうやったら最高の成果を得られるか、ではなく…どうすれば最悪の事態を避けられるか、を考える。
「武田四郎殿が打つ最善の一手…即ち、徳川にとって最悪の一手とは、何でしょう。」
逆に考えるんだ、『どうしたら成功するか』ではなく、『どうしたら失敗せずに済むか』を考えるんだ。




