#141 相国寺の会見(中)
書き終わってから思った事:少なからず孔明の大論陣の影響を受けてるな、自分…。
「…ほう。これは当世に二人とおらぬ腑抜けじゃ。親の仇に額ずいて、罵られながら…刀に手を伸ばそうともせぬとはのう。」
ようやく顔を上げた氏真の穏やかな表情を見た信長の罵倒に、若干の苛立ちが入り混じっている事を信忠は感じ取った。
「左様、儂は海道一の腑抜けにございます。更に申せばかつての家臣(家康)、親の仇(信長)に頭を下げて悪びれもせぬ恥知らずにございます。されど…不心得者にも望みはございます。それは我が身一代の栄華に非ず…今一度駿河に今川の家を興し、子々孫々に望みを託す事にございます。」
負けた。そんな言葉が脳裏をかすめた事に、信忠は思わず叫びそうになるのをぐっとこらえた。
負けた、何に?そんな筈が無い。誰がどう見ても、織田は時流に乗って隆盛を極める勝者であり、今川は時流に乗り損なって没落した敗者だ。
その筈なのに…。
「恐れながら、弾正忠様も同心ではございませぬか?御身一代に留まらず、子々孫々にまで続く栄華をお望みなのでは?」
「…だとしたら?」
心なしか身を乗り出す信長につられて、信忠は耳をそばだてた。
「権大納言、右近衛大将になられませ。」
「…何が子々孫々か。其方は、当家を三代にて断絶せしめる積もりか。」
氏真の進言を咀嚼した信忠は、信長の言葉が意味する所に気付いて青ざめた。
およそ全ての武士が手本と仰ぐ『源氏の棟梁』、源頼朝は、かつて朝廷より権大納言と右近衛大将に任ぜられ、これを辞した後、改めて征夷大将軍の位を得た。
だがその嫡流を汲む者は一人としていない。頼朝を始めとして、僅か三代で絶えたのだ。
教養豊かと評判の氏真が、それを知らない筈は無い。
「されば、弾正忠様…当世の『武家の棟梁』は何処にあらせられる。」
「…備後(びんご=広島県東部)の鞆の浦である。」
一度は足利義昭を担ぎ、結局は力づくで排除した信長だったが、その命を奪う事は出来なかった。義昭の兄、義輝を抹殺し、諸国の大名を敵に回した三好家の二の舞を避けたのだ。
その代償として、『室町幕府』は未だに存続しており…諸国の大名に隠然たる影響力を保持している。
「弾正忠様がご存命の内は織田も安泰にございましょう。されど…菅九郎様の代には如何に?武威を以て六十余州(日本全域)を平らげたとて、公方様の血脈ある限りはその泰平、累卵の如しにござる。」
自分の名前が呼ばれた事に驚きながら、信忠はろくに考えた事も無かった『信長の死後』に思いを馳せた。
自分より年上、政戦に渡って経験豊富な老将達を、果たしてまとめ上げる事が出来るのか。或いはその内の何人かは、自分の器量に見切りを付け、義昭の、或いはその子を担いで謀反に走るのではないか…。
「公方様を討たずして天下人となる、これ如何に…即ち、権大納言並びに右近衛大将となり、織田が武家の棟梁たるを、朝廷の威を以て四方に示すのでございます。一度天下人となられた後、これを菅九郎様に譲る。さすれば天下人は常に織田の嫡流が継ぐものとの前例となり…末代に至るまで織田は安泰。いかがにございましょう。」
「…其方は公方様の係累であろう。武家の棟梁となる好機を自ら逸すると申すのか。」
信長の下問に、信忠は再度ハッとした。
足利の分家である吉良、そのまた分家である今川。
足利の嫡流が京を追われ、吉良家の現状も不明瞭な現在、やりようによっては今川が義昭に取って代わる事も不可能ではない筈だ。
「栄枯盛衰は世の理…平相国(平清盛)、位人臣を極めれど世乱れ、代わって鎌倉殿(源頼朝)世を治める。嫡流絶え、得宗(鎌倉北条氏)が政を司るも平らかならず。よって初代室町殿(足利尊氏)、これを討つ。弾正忠様、父君(織田信秀)の代より尊王の志篤く、外にあっては朝敵を斬り伏せ、内にあっては上下万民の父の如し。これ即ち、織田こそ次の天下人なるべし。」
信忠はすっかり氏真の弁舌の虜となっていた。
そうだ、これまでも徳を失った『天下人』は真に徳ある者に取って代わられて来た。
足利の次に織田がその名を連ねるのだ――。
「其方がその仲立ちをすると申すか。」
「いやいや、儂にそのような力量は。ただ摂関家や清華家のお歴々と付き合いがあるだけの事…。」
「噂は聞いておる。何と申しておった。」
「皆様、家政不如意につき徳政をお望みとか…弾正忠様と蹴鞠をしてみたい、とも仰せにございました。」
徳政令と蹴鞠。それで公卿の支持を得れば、織田は名実共に天下人となれる――!
自然と荒くなる鼻息を抑えるのに苦労しながら、信忠は父の横顔を窺った。
「成程…面白い。其方の望み通り、武田より取り返した暁には、駿河一国を与えよう。」
信長が表面上は冷静を装いながら、少なからず興奮している事に気付いた信忠は、一瞬高揚し、次いで生唾を飲んだ。父の悪い癖がまた出るのではないか、と警戒したのだ。
その予感は当たっていた。
「されど…それだけで良いのか?金、銀、日の本に二つと無い名物…より多くの報奨を与えても構わぬぞ?――其方の正妻、早川殿を余に差し出す事が出来れば、な。」
ゲームや近現代の行政手続きとは異なり、『幕府』(この言葉が産まれたのは幕末~明治だそうです)の発足や『天下人』への就任は多分にアトモスフィア的というか、「偉い人が認めるし、みんな従ってるし、そう…なんじゃね?」みたいにふわっとした所があったようです。
だからこそと言うべきか、先例を重んじる公家や教養ある上級武士に認めさせるのに一番手っ取り早いのは、やはり「誰の血を引いているか」「どんな官位官職を歴任しているか」だったようです。




