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#140 相国寺の会見(前)

いよいよ、戦国好きなら大抵の人が知っていると言っても過言ではない、氏真が信長に詫びを入れるシーンに入って参ります。

信長公記にも載ってはいるのですが、至極あっさりした記述に留まっているため、実際は短時間であっさり終わった可能性も十分あります。

でもこれは小説なので、妄想フルスロットルで参ります。

天正三年(西暦1575年)三月十六日 京 相国寺


 織田(おだ)信忠(のぶただ)。今や日の本に冠たる大大名となった、織田弾正忠信長の長男である。仮名(けみょう)菅九郎(かんくろう)、数え十九にして朝廷より従五位下(じゅごいのげ)に列せられている…が、依然として『嫡男』の地位を固めたとは言い切れない、些か不安定な立場にある。

 第一に出自だ。

 信長の正妻、鷺山殿(さぎやまどの)の養子という事は、『信長の息子の中で最年長である』に過ぎない。

 第二に信長の性格だ。

 これまで信長はここぞという局面で常軌を逸した決断力を発揮し、圧倒的不利と思われた戦況を覆して来た。それは家中の統制に関しても同様で、人材登用や人事の基準、目的がよく分からない事がしばしばある。

 例えば、もし信長がより家格の高い女性との間に息子をもうければ、序列が引っ繰り返される可能性も無いとは言い切れない…。

 そんな不安に頭を悩ませながら、信忠は相国寺の廊下を、父の背中を追うようにして歩いていた。信長が呼び出した亡国の主、今川宗誾氏真との面談に同席するためである。


(宗誾は今や(みやこ)を追われた公方様同様に非力。その上、父上は宗誾の父の仇…なにゆえ父上はわざわざ召し出し、わしに同席せよと仰せられたのか…。)


 疑問と不満を胸中に抱えたまま客人が待つ部屋に入った信忠は、下座に先んじて着座していた氏真の姿に、思わず目を見張った。

 伸びた背筋と豊かな胸筋は、四十路が近いとは思えない若々しい肉体を幻視させる。肩幅はがっしりと広く、それでいて口ひげを生やした顔には、内裏(だいり)勤めの公卿に似た貫禄がある。

 何より驚くべきは、到着から優に一刻(二時間)は経っているにもかかわらず、氏真が一瞬たりとも離席した形跡が見当たらない事だ。


(これが亡国の暗君の姿か?父上のごとき逞しさ…『海道一の弓取』(今川義元)も、このようなお方であったろうか。)


 氏真への興味をかき立てられた信忠は、上座中央に胡坐をかいた信長(ちち)の斜め後ろに座り、二人の対談の行く末を見守った。

 氏真が平伏すると、信長が口火を切る。


「其方が治部大輔(じぶたいふ=今川義元)の子…であるか。」

「ははっ、今は剃髪して宗誾と名乗ってございます。」


 信忠は早速眉根を寄せた。通常であれば、まず上位者――この場合は信長――が下位の相手に(かお)を上げる事を許し、それから徐々に本題に入っていく…その筈だ。

 だが、信長はまだ「(おもて)を上げよ」とは言っていない。必然的に、氏真は床に(ぬか)ずいたまま話さざるを得ないのだ。

 (はた)から見ても、それはひどく屈辱的な光景に見えた。


「城も領地も失って楽隠居とは、羨ましいのう。()は天下の逆賊を討ち果たすため、日夜合戦に明け暮れる日々よ。其方のように歌を詠み、茶を点てて日暮らすように生きられれば、どれほど気が楽であろうのう…。」


 信長が暗に、「負け犬はヒマでいいな、自分は忙しくて仕方無い」と氏真を挑発した事に、信忠は胃が縮み上がるような心地だった。


「これは過分なお言葉…されば、儂も微力ながらお力添え叶うかと。この宗誾、弓は小笠原流を修め、剣術指南役に塚原卜伝先生をお迎えして鹿島新当流の教えを授かってござる。かつては二万の兵を率い、越後の上杉、甲斐の武田とも渡り合い申した。槍を取れば一騎当千、采配を振るえば機略縦横…この宗誾、織田弾正忠様に徳川三河守(家康)様への帰参をお認めいただければ、向後は三河守様の手となり足となって、弾正忠様の覇業をお助け申し上げる所存…。」


 氏真が長広舌を振るう最中、誰かがしゃくり上げるような嘲笑を漏らし…それはやがて哄笑に変わった。それが出来るのはこの場でただ一人…信長だけだ。


「ハッハッハッハッハ!見たか菅九郎、世にも珍しい猿楽じゃ!老いた(ましら)が、一廉(ひとかど)武士(もののふ)気取りで(さえず)っておる!」


 氏真は顔を上げ――ない。

 およそ家格に見合った待遇を受ける事もなく、熱のこもった訴えも嘲笑される。

 自分が受ければ到底耐えられないであろう仕打ちに、信忠は思わず顔を背けたくなった。


(父上の…こういう所が分からぬ。)


 信長は礼儀知らずの野蛮人ではない。公家や僧侶、神職といった相手に応じて、相応に礼儀を尽くしている。

 だが、ひとたび敵と見なした相手や格下と認識した相手には、やたらと尊大に振る舞うのだ。


「しかし、先程から声が聞きにくいのう…おお、忘れておった。面を上げよ。」


 わざとらしい信長の許しを得て、氏真がようやく上半身を起こす。

 その瞬間、信忠は自分の目を疑った。

 氏真の顔が、仏像のように穏やかだったからだ。

今川氏真、反撃開始。

今更ですが、信忠が同席していたという史料的裏付けは一切ございません。

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― 新着の感想 ―
信長:なんだ〜〜その緊張したかまえは!まだやる気かァ!あがいても あがいても人間の努力には限界があるのさ!弓だの剣だの修行努力など無駄無駄無駄ーーーっ! 猿(モンキー)が人間に追いつけるかーッ おまえ…
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