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#138 山科内蔵頭の賓客(前)

氏真イン京都。

天正三年(西暦1575年)三月十五日 京 山科(やましな)言継(ときつぐ)


 正二位(しょうにい)権大納言(ごんのだいなごん)。それが今年数え六十九を迎えた公家、山科言継の肩書である。

 官位もへったくれも無い民草からすれば、およそ公家と呼ばれる人種は総じて『偉い』もしくは『偉そうにしている』連中であるが、実際にはその中でも厳然たる『家格』が存在する。

 摂政(せっしょう)関白(かんぱく)太政大臣(だじょうだいじん)に昇任し得る摂関家(せっかんけ)五家を筆頭に、清華家(せいがけ)九家、大臣家(だいじんけ)三家と続き、ようやく山科の名が含まれる羽林家(うりんけ)二十三家の名が出て来る。

 羽林家に生を受けた者は大納言(だいなごん)まで昇任出来る(それ以上の任官は望めないとも言える)慣例だから、『権(員数外)』が付いているとはいえ、言継は成し得る限りの栄達を極めたと言える。

 世の乱れによって荒廃した内裏(だいり)を救うため東奔西走した実績もあって、摂関家を始めとした格上の公卿からも一目置かれ、天皇から(あつ)く信任される…『陰の実力者』と言って差し支えないだろう。

 さて、その山科言継の邸宅は禁裏御所に程近い一条烏丸下ル東側の、烏丸通りに面した場所にある。

 朝日に照らされた洛中が段々と賑わいを増す中、その一室で黙々と朝餉(あさげ)を口に運ぶ男がいる。

 四十路が近いとは思えない引き締まった体に直垂(ひたたれ)をまとう男の名は今川氏真、法名は宗誾(そうぎん)である。


「ようやっと朝餉かいな…毎朝毎朝飽きもせんと、よう稽古が続きはるなあ。」


 庶民臭い(なま)りを隠そうともせずに入室したのは、邸宅の主、山科言継だった。頭髪は真っ白に染まっているが、肌には張りがあり、腰もぴんと伸びている。

 氏真は素早く食事を中断し、言継に(ぬか)ずく。


「これは内蔵頭(くらのかみ)様、快眠を邪魔立てして申し訳ございませぬ。されど、一日とて怠り得ぬ習いなれば…。」

「構へん構へん、どうせわても日の出より前に起きてまうさかいな。せやけど大事無いんか?(みやこ)に入ってからこっち、毎日のようにあっちゃこっちゃ行って、夜は飲み明かして…んー、その食べ方…顔色…まだ昨夜の酒がちいっと残っとるのやろ。後で二日酔いに効く薬を調合したるさかい、落ち着いて食べえや。」


 正面に座った言継に自らの不調をあっさり見抜かれて、氏真は苦笑を浮かべた。


「流石…越庵先生の愛弟子(まなでし)には敵いませぬな。お手数をおかけして…。」

「何の何の。あんさんを無事に浜松に帰さなんだら、師匠(せんせい)にこっぴどく叱られてまうわ…それで、弾正忠(のぶなが)殿の為人(ひととなり)は掴めたんか?」


 氏真は湯吞を口に着け、白湯で口内をすすいでから改めて口を開いた。


「八分(80パーセント)…いや、七分(70パーセント)といった所にございましょうか。やはり一代で天下人にまで上り詰めただけの事はあるかと…ある者は空前絶後の有徳人(うとくにん)と褒め称え…ある者は前代未聞の極悪人と(ののし)る。ある者は日の本に無二の名将と褒め称え…ある者は天運を頼りに成り上がっただけの凡将と罵る。忠義者、謀反人。孝行者、不孝者…。」

「くっくっく…かっかっかっかっか…。」


 言継は持ち上げた袖口では隠しきれないほどの大口を開けて、快活な笑い声を漏らした。


「弾正忠殿も毀誉褒貶(きよほーへん)ちゅう言葉がよお似合う御仁にならはったゆう事やな。仕方の無いこっちゃ。世の中得をする(もん)がおれば損をする者もおる。美濃尾張を治めとる内は自分とこの領民を専一に(まつりごと)を行っておれば不都合は無かった、けんど…天下の政はそうは行かへん。彼方(あちら)を立てれば此方(こちら)が立たず、や。」

「馬上に()りて天下を得る、馬上を以て天下を治むべけんや…。」

「武勇で天下を取る事は出来ても、武勇で天下を治める事は出来ない…ちゅうこっちゃな。弾正忠殿も公方様(足利義昭)を洛外に追って、骨身に染みとるんとちゃうか?」


 他人事のように話す言継を凝視する事しばし、氏真は二か月前に上洛して以来、何度となく投げかけて来た疑問を口にした。


「やはり教えてはいただけませぬか。弾正忠殿と親しく交わる秘訣を…。」

「せやさかい…分からへんのや。意地悪(いけず)しとる訳やあらへんで。確かにわては弾正忠殿と気安う話せとる思うけんど…何が気に入ったやら、さっぱりや。一つ言える事があるとすれば…弾正忠殿っちゅうお方は存外、ご自分を偽るのが不得手なんちゃうか、っちゅう事くらいやな。」

「自分を偽るのが、不得手。」

「曲がりなりにも天下人にならはった御仁や、その場の情に流される事の無いよう、日頃から己を律しておられるのやろ。せやけど…一度抱えた恨みを水に流せへん、ちゅう所はあるんちゃうかな。身内を大事に思う余り、なんやろうけど。」


 氏真が言継の考察を噛み締めるように朝食を再開して程なく、使用人が部屋の外で膝を突いた。


「ご無礼仕ります。相国寺(しょうこくじ)より…織田弾正忠様の文が届きましてございます。」

「いよいよ、やな。」


 僅かに緊張を含んだ言継の言葉に、氏真は小さく頷いた。

氏真が京都に長期滞在していたというエピソードはそこそこ有名ですが、調べた範囲ではどこを常宿にしていたのか分からなかったため、今川のゴッドマザー寿桂尼の親戚にあたる山科言継の家にしました。

言継が薬学に通じていたのは史実ですが、架空の人物である臼川越庵に師事していたというのは勿論捏造です。

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