#134 亭主元気で留守がいいワケねえだろ!(後)
作者はボードゲーム全般不得手ですが、上級者が一手目から気を遣っている事くらいは一応知っています。
将棋やチェスでまずどの駒を動かすか、囲碁でどこに最初の石を置くか…それで勝負の流れがある程度決まるとなると、感心しきりです。
「さて…これは一体何を企んでいるのかしら。」
子供達が退出した部屋で一人、私は文机に広げた宗誾殿の手紙を読み返していた。
さっき読み聞かせた最新のものではない。岡崎を出立した直後に書かれたものだ。
基本的に宗誾殿の手紙は二部構成で、前半に身の回りで起こった事を世間話の体で書き散らし、後半では出費の内訳を箇条書きで明記している。
後半については、有り体に言って浪費の極みだが、約束通りきっちり報告されているし、想定の範囲内に収まっているので文句は無い。問題は前半…宗誾殿が岡崎城や築山邸で見聞きした事だ。
松平三郎殿…家康の嫡男、信康殿と、織田信長の娘である五徳殿との夫婦仲は思ったより良好らしい。武田の猛攻にも動じない信康殿を、五徳殿が頼もしく思っているとか…まあ政略結婚が大前提の武家夫婦の仲が良いというのは、基本的にいい事だ。それはいい。
宗誾殿がさり気なく違和感を指摘したのは、築山殿…家康の正妻で信康殿の実母、瀬名殿の言動だ。
今年で数え16歳になった亀姫様――両親を同じくする信康殿の妹だ――は、奥三河の国衆の一族である奥平家との縁組が成立しているが、築山殿はどうも乗り気では無いらしい。
「そもそも奥平は奥三河の雄ではあったが、武運つたなく敗退し、今や昔日の勢威無し。この事を不満に思っての事かと思い、いっそ縁組を破談にするよう御屋形様(家康)に働きかけてはどうかと申し上げた所、その必要は無いと仰せになった。」
宗誾殿は手紙でそう記している。…『必要は無い』とはどういう事か。
武家の結婚が政略と切り離せない以上、離縁や再婚は決して珍しくはない。だが結婚式には相応の出費を要するし、出産適齢期が現代より短いこの時代にそうそう安易な縁組は出来ない筈だ。
何より亀姫様は家康と瀬名殿の間に産まれた娘、情勢次第では名門名家や大大名に嫁いでいても不思議は無かった。それを奥三河の国衆を味方に付ける材料に使い、挙句その奥平が武田にボコボコにされたとあっては、家康も縁組を早まったかと後悔しているかも知れない。
問題はこうした情勢に対する瀬名殿の態度だ。
奥平家がどうなろうと亀姫様を送り出すというのなら、宗誾殿の提案に不快感を示すなり、適当にあしらうなりすればいい。
逆に縁組を取り消したいなら、多数派工作のためにも宗誾殿に気を持たせるような発言をする筈だ。
だが――『必要は無い』。それではまるで、奥平家への亀姫様の輿入れが、放っておいても無かった事になる、と言っているようにも聞こえる。
「甲斐の口寄せ巫女と関わりがある…と考えるのが妥当よね。」
今年に入ってから、甲斐国出身の口寄せ巫女が多数三河を訪れ、武士、町人、百姓農民と、相手を問わず『商売』をしている。出身からして怪しいが、お坊さんや旅芸人といった『俗世の外』にいる人々はどこでもフリーパスというのが原則だ。
原則があれば例外もあるので一概には言えないが、甲斐国出身だからという理由だけでは拘束も尋問も国外追放も出来ない。では潔白かと言えばそうとも言い切れない…宗誾殿が打った布石がここで生きて来ている。
江川英長殿にくっついて岡崎城内に出入りしている沓谷衆の調べによれば、口寄せ巫女の一部が岡崎城の奥向き――要は信康殿の生活空間だ――で勤務する女性達に、ただ口寄せをするだけでなく、金品を渡して上層部に取り入っている。明らかにただの霊媒師の行動ではない。
わざわざ岡崎城の奥向きから取り入っているという事は、最終目標は徳川家の奥向きを統括する瀬名殿と接触する事だろう。金品の中に甲州金が混ざっていたとなれば、ほぼクロだ。
だが、それでも。
まだ決定打に欠ける、まだ言い訳が効く。
「結局、最後は百ちゃんが頼りね~…。」
百ちゃんは…この世で一番頼りになる人物ナンバーワンを日々宗誾殿と争っている彼女は今、家にはいない。目下、極秘任務の真っ最中である。
と、百ちゃんのそれとは似ても似つかない、コミカルな足音が近付いて来たため、私は急いで居住まいを正した。案の定と言うべきか、滑り込むように縁側に膝を突いたのは、そんじょそこらの男より図体がでかい事でお馴染みのベテラン侍女、お栗だった。
「御前様、大変でごぜえます!美濃からお客様が…織田の奥方様がお越しで!何の前触れも無しで…はあ大変だ、どうすべえ…。」
「落ち着いて、お栗。上役には伝えた?織田の奥方様は今どこに?」
「へ、へえ。雛菊様にお伝えしましただ。お客様は客間にてお待ちで…。」
「そう…すぐに向かうわ。」
さて、私もたまには背伸びしてみましょうか。
次回、濃姫来襲。




