#128 功名餓鬼、二人(前)
小栗又一と井伊虎松、『頂点』に挑む。
天正二年(西暦1574年)十二月 遠江国 浜松
すっかり寒くなったある日、私は宗誾殿と縁側に座り、中庭の様子を見守っていた。
中庭には普段着にたすき掛けをして袖を絞った三人の男達。徳川家中でも『武の本多』と名高い平八郎忠勝殿と、『又もや一番槍』の小栗又一忠政殿、そして来年、井伊家の復興という大役を背負って元服する虎松殿だ。
忠勝殿と忠政殿は持槍を手に向かい合い、虎松殿は手に弓、背中には矢筒を背負って、忠政殿の背後で片膝を突いている。
「では、参りまする。」
「いつでも参られよ。」
短いやり取りを挟んで、忠勝殿と忠政殿が槍の穂先を向け合う。
これから始まるのは、忠政殿と虎松殿の『昇段試験』だ。忠勝殿から模擬戦で一本取れたら合格という、なかなかにハードルの高い内容となっている。
まあ、宗誾殿が負けイベントのような試験をやらせるとも思えないし、色々と考えてはいるのだろうが。
「一番槍はもらったァァァ‼」
と、忠政殿が奇声を上げながら忠勝殿に打ちかかった。
『突く』のではなく、『振り下ろす』、槍の利点を最大限に活かした攻撃。だが、そんな模範解答が忠勝殿に通じる筈も無く、あっさり受け止められ、跳ね返されてしまう。
「くっ…まだまだァァァ!」
忠政殿は跳ね返されても踏みとどまり、忠勝殿に打ちかかる、何度も何度も。
それは一見、何の成長もしていない証のようで…しかし忠勝殿は、実際の戦場に立っているかのように鋭い目付きのままだった。
「――ッ!」
何度目かの打ち込みを跳ね返そうとした忠勝殿の態勢が、不自然に崩れる。突如として飛来した矢を避けるためだ。
矢を放ったのは他でもない、いつの間にか立ち上がり、忠勝殿の側面に陣取っていた虎松殿だった。
「一時に一人ずつ、との取り決めは無かった筈!平八郎殿、お覚悟!」
忠政殿が槍で打ちかかり、隙を見て虎松殿が矢を射かける。さり気なく私の前に移動した宗誾殿の肩越しに、私は二人のコンビネーションを見守った。
「らああァァァーーーッ!」
「ふん!」
「そこっ!…チイッ!」
流石、と言うべきか。二人がかりの奇襲を食らっても、忠勝殿は全く動じる様子を見せず、大きな隙がまるで見えない。その内に、虎松殿の矢が無くなってしまった。
「ぐ…又一殿!」
虎松殿が一声発すると、忠政殿は一旦忠勝殿から離れ…槍を腰だめに構えてから、鋭い突きを放った。
忠勝殿の脳天を狙った一突きはしかし、軽く顔を傾ける動作であっさりかわされ、逆に槍の柄を掴まれてしまう。
「又一殿、窮したか⁉」
忠勝殿の叱責より早く、忠政殿は愛槍を手放していた。そして正面から忠勝殿に組み付く。
「虎松殿、今こそ…!」
事前に綿密な打ち合わせがあったのだろう、忠政殿が最後まで言い終わらない内に、虎松殿は弓を捨て、あらかじめ地面に置いてあった木刀を拾って走り出す。
正面に大きな荷物を抱える形となった忠勝殿は身動きが取れず、虎松殿の接近に成す術無し、かと思われたが…。
「見事也、されど…甘い!」
忠勝殿は一喝すると、両手の槍を放り捨てる。そして自身に組み付いた忠政殿の脇をがっしりと掴み、力ずくで引き剝がすと…音が聞こえそうな程重い膝蹴りをその腹に見舞った。
「ぐあ…!」
しがみついていた忠政殿の握力が弱まるや否や、忠勝殿はその体を軽々と持ち上げ…すぐそこまで迫っていた虎松殿に投げ落とした。
「う、うわああ⁉」
「ぬおお!」
高速道路を走行中に突然の落下物にぶつかった車のように、虎松殿は忠政殿を真正面から受け止め、仰向けに転んでしまった。
起き上がろうともがく二人に忠勝殿は容赦なく近付き…左右それぞれの腕を二人の首に絡ませて、引き上げる。
丸太のような剛腕が容赦なく二人の首に食い込む、忠政殿も虎松殿も一言も発せないまま、手足をばたつかせる事しか出来ず、そして――
「勝負あった!平八郎殿の勝ち!」
宗誾殿の裁定が下ると、平八郎殿が腕の力を抜き、二人は地べたに尻を突いた。
「げほッ…クソッ、クソッ、クソおおおーーーッ!」
虎松殿は悔し涙を流しながら地面を叩き。
「はーーーっ…これが平八郎殿の武…感無量じゃ…。」
忠政殿は憧れのアスリートに握手をしてもらったファンのように顔を輝かせる。
「さてお三方、汗を拭き次第中へ…平八郎殿、此度は誠にかたじけのうござった。」
宗誾殿の言葉に、勝者である筈の忠勝殿は険しい表情を崩さず、おもむろに口を開く。
「貴公が殿の下に参られた事…天の配剤に相違なし。」
簡潔ながら熱意のこもった褒め言葉に、宗誾殿は曖昧に微笑むだけだった。
本多忠勝は戦場で傷を負った事が無く、甲冑も軽装だったとか。
「弓鉄炮を避けるのに重いと動けない」からって…それが出来るのは貴方くらいだと思います。




