#127 木下秀長の長い一日(後)
今回、実際には存在しなかった民間信仰『御結様』が登場します。
宗教団体と言えるかどうか怪しい緩い繋がりですが、こうした『宗教』も世代を重ね、世俗権力と結びつくうちに組織化され…結局はカルト集団になったり、既得権益を抱え込んだりするのかも知れません。
いずれにしても、最初から存在しない信仰なので無用の心配ですが。
「向後は秀吉の与力として、江北(ごうほく=滋賀県北部)での務めに専心せよ、か…望外の沙汰じゃのう。」
すっかり陽が落ちた夜。やはり矢倉台にいた秀長は、信長から送られた書状に目を通し、無感情に呟いた。
灯りは必要ない。一揆衆が立て籠もっていた中江と屋長島の砦が、着火から半日は経とうというのに、未だに燃え続けている。
中には一揆衆が二万人はいる――いや、「いた」。
当初の段取りでは早朝に退去した同輩に続いて立ち退く予定だったのだが、先に出た連中の末路を見て怖気づいたのか、一人として出て来ようとしなかった。そこで信長から各隊に下されたのが、両砦に火を放ち、残る一揆衆を焼き殺せ、という命令だった。
一瞬、何かしら理由を付けて辞退する事も考えたが…一揆衆の反撃による混乱は昼前にはとっくに収束しており、この状態で信長に背くのは事実上不可能だった。
そこで秀長は、厳重な包囲環の中で身動きが取れなくなっている一揆衆の砦に火矢を放つよう兵に命じ…炎上させた。
最初の内は悲鳴や怒号、怨嗟の声がとめどなく続いていたが、炎が砦全体を包み込んだあたりで聞こえなくなった。
だが、唇がべたつく不快な感触と独特の臭いは、秀長の記憶にしっかりと刻み込まれた。
砦の炎上を見届けた信長や重臣達は既に岐阜へと引き上げており、秀長は後始末を担当する殿軍の一員として、砦が燃え尽きるのを待っている。
「猶予をお与えくださる、という事かのう。ハハ…業が深いのう、武士の道は…。」
秀長も頭では理解している。
自分一人が、今更仏心を見せた所で何にもならない。滑稽なだけだ。
第一、今の暮らしを捨てられるかと問われれば否と答えるしかない。今の秀長は妻も子もある身、百姓農民に――支配される側に戻るなど、考えただけで身震いがする。
では、神仏に救いを求めるのか。神はまだしも…叡山の坊主も、長島の一揆衆も救えなかった御仏に?
「小一郎様、行商の者がお目通りを願い出てございますが。」
答えの出ない思索を断ち切るように、矢倉の下から部下の声が上がった。
「追い返せ。」
「それが、そのう…結構な『土産』を携えておりまして…。」
歯切れの悪い返事に、秀長は思わず舌を打った。行商人とやらは自分のみならず、番兵に渡す賂もたっぷりと用意して来たのだろう。
正直全く気乗りがしないが、「木下小一郎は賂を持って行っても会わない奇人である」などと噂が広まれば今後の活動に支障をきたす。…会うしかないだろう。
「木下小一郎様にお目通り叶い、恐悦至極…それがし、御結本社に所縁ある渡りの商人、熊三と申しまする。」
矢倉台に上り、膝を突いたのは、ぼさぼさの頭髪に伸び放題の髭、獣の皮を身にまとった、名前通り熊の化身のような男だった。秀長は、あえて見下すように向かいに立つ。
「拙者のごとき軽輩に、一体何用か?」
「恐れながら、此度の戦で落命したお歴々の弔いと、この場に新しく市を開く許しをいただけるよう、織田のご家老衆にお口添えいただきたく…。」
秀長はしばらく沈思黙考してから口を開いた。
「お主は…本願寺の手先か。虚けにも程があろう、この有様を見て…まだ長島に寺や市を構えたいと申すか。」
「否、それがしは一向宗門徒ではございませぬ。仮に門徒であったとして、己の信心を偽る門徒に何の値打ちがございましょう。」
「…では、御結本社とやらの題目は如何に。」
「まずもって、各々の信心を妨ぐるべからず。そして、日々の生計に先んじるもの無し。智慧に窮さば、御結様の像に一心に念じるべし。」
「やはり像があるではないか。」
「御結様は御仏の弟子にあらず、神格は天照大神に遠く及ばず…ただ現世を懸命に生きる人々に寄り添い、気紛れに知恵をお貸しくださるのみにございます。」
問答に一区切りがつくと、秀長は小さく唸った。
オムスビサマとやらは一般的な神仏とは一線を画しているようだ…この熊男の言い分を信じるならば、だが。
「それで…この地に新たな市を開いて、オムスビサマに何の得がある。」
「何も。ただ…この長島は四方に通じる要所。そこに市の一つも無ければ、諸国の民は皆迷惑いたしましょう。是非とも織田家よりお代官様を遣わしていただき、その差配の下で商いに励みたく存じます。」
ここまで話した時点で、秀長は事実のみを上層部に報告し、細かい決定を丸投げする方針に心を決めた。
既に職務怠慢の疑いがかかっている自分が何を言おうと、まともに扱ってもらえる可能性は皆無に等しい。
河内長島が本願寺とは無関係な商いの場として復旧するにしろ、荒れ放題の浮島として朽ち果てるにしろ、自分には最早関わりの無い事だ…。
そんな捨て鉢な思考の中で、かすかに秀長の胸を揺さぶったのは、熊三の発言の一節だった。
『オムスビサマは御仏の弟子にあらず、神格は天照大神に遠く及ばず…ただ現世を懸命に生きる人々に寄り添い、気紛れに知恵をお貸しくださるのみにございます。』
胸の中にわだかまっていたものが少し軽くなったような、そんな気がした。
数日後。
岐阜に戻り、上役に宛てて報告書を送付した秀長は、織田家の首脳部が下した決定を知った。
「熊三とやらの望み通り、河内長島に代官を配し、その監督下で自由な商いを許す。」
その知らせに口元をほころばせながら、秀長は長浜に移転する支度を進めるのだった。
木下秀長が怪しい民間信仰に帰依していたという史実はありませんが、信長の直臣として活動していたのは長島殲滅戦の頃までで間違いないようです。
一般論として、普段から信長の目の届く所で活動していた方が功績が目に留まりやすく、出世に繋がりやすいのですが、この段階で事実上秀吉の直臣になった事が、結果的に後の大出世に繋がったのだと思います。
それが当人の自発的行動によるものか、信長の気紛れによるものかは分かりませんが。




