#126 木下秀長の長い一日(中)
長島一向一揆殲滅戦、開幕。
「「「「「南無阿弥陀仏。」」」」」
鉄炮が火を吹く。
「「「「「南無阿弥陀仏。」」」」」
ボロボロの衣服をまとい、痩せこけた人間達が、ぱたぱたと倒れていく。
「「「「「南無阿弥陀仏。」」」」」
男も、女も、老いも若きも、隔てなく…。
「「「「「南無阿弥陀仏。」」」」」
「…ちろうさま!小一郎様!」
副官の声で正気を取り戻した時、小一郎秀長は矢倉台の窓の縁を握り締め、戦況を食い入るように見つめていた。
…より正確に言えば「見ているだけ」で、脳が理解を拒んでいたのだが。
「ああ…どうした?」
「どうしたもこうしたも…ご覧の通りにござる!一揆衆の牢人足軽がこちらに斬り込んで参りました!弓鉄炮も三間半も恐れる様子がまるで無く…死狂いにござる!備えが次々に切り崩されて、このままでは大殿の身も危ういかと…!」
そうだろうな、と。他人事のように秀長は考えた。
信長の『奇襲』は成功した。長島からの退去と引き換えに助命されたと信じて疑わなかった一揆衆は、遮蔽物が存在しない小舟の上で矢と鉄炮玉の雨を浴び、先を争うようにして水中へと没していった。
だが、弓鉄炮の斉射一回で一揆衆全員を射殺出来た訳ではない。
最初の斉射を生き延びた面々は死兵と化し…裸同然の格好で川に飛び込み、対岸まで泳ぎ着いて、織田の軍勢に斬りかかって来たのだ。
まさか信長が、一揆衆が反撃に打って出る可能性を全く考えていなかったとは思えないが…少なくとも前線の将兵は捨て身の反撃に慌てふためき、質(装備)量(兵数)共に絶対的優位にありながら、一部が恐慌状態に陥っている。
一揆衆の一部は信長の一門衆がいる筈の陣にまで到達しており、放っておけば彼らの命すら危ういだろう。
「至急、大殿をお守りせねば…!」
「待て。…今の我らに左様な余力は無い。弓放と鉄炮放を柵の内側まで下がらせ、近寄る一揆衆のみ射殺すよう伝えよ。」
事実上、信長本陣の救援を放棄するという秀長の決定に、副官は一瞬呆気に取られた後、自身の上役に憤怒の表情で詰め寄った。
「大殿を見殺しにされると⁉」
「下を見よ…こちらにも一揆衆の死狂いが押し寄せておる。このまま本陣へ助太刀に向かっても、殿の敵を増やすだけよ。ここで死狂いどもを引き付け、横槍を入れる方がよほど殿のお役に立てるであろう。」
はて、自分はいつの間にこれ程の口達者になったのだろう?
秀長が小首をかしげていると、うつむいて目玉をぎょろぎょろと動かしていた副官が再び口を開いた。
「…軍監の目に留まりでもしたら、如何になされます。大殿の不興を買う事があれば…。」
「見た所、その軍監も死狂いどもの相手で手一杯のようじゃ。そもそも…千草の峠越えといい、江口の渡しといい、武田信玄の寿命といい…殿は天に守られておいでではないか。我らがその身を案じるなど、却って不遜の所業であろう。」
秀長は詭弁を並べ立てているに過ぎないが、原理原則で食い下がって来ないあたり、副官も死狂いとまともに組み合いたくはないのだろう。
そんな読みを裏付けるように、副官は矢倉台の昇降口へと踵を返した。
「大殿の身に危機があろうと、なかろうと…腹を切る支度を整えておかれるがよろしいかと。」
そんな捨て台詞を残して。
「…ふう。わしもここまでかのう。」
矢倉台に一人残った秀長は、諦観混じりのため息を吐いた。
信長は才覚ある者を身分の別なく取り立て、功あれば気前よく知行を分け与える反面、分相応の働きをしない者、自己研鑽に消極的な者を容赦なく責め立てる。秀長はただでさえ要領が悪く、一手の大将という重責を騙し騙し務め上げて来たものの、近年そろそろボロが出るのではないかと肝を冷やす日々が続いていた。
いっそこの辺りで信長の直臣から外れ、秀吉の配下としての役目に専念させてもらえないものかと淡い期待を抱いていたのだが…。
「望み薄じゃな…お役目怠慢の廉で首を刎ねられるが精々であろう。兄者にはすまぬ事をした…。」
自分は『何かをした』のではなく、『何もしなかった』のだと秀長は自覚している。
飢えに苦しんだ挙句、弓鉄炮に倒れた一揆衆を救おうとしなかった。
一揆衆が反撃に打って出ても、進んで食い止めようとしなかった。
もしこれらの行動に意味があるとしたら、『秀長隊の損耗は最小限に抑えられた』…その程度だろう。慈悲も勇猛もあったものではない。
「されど、叡山に続いて河内長島も滅ぼされるとは…殿の前には御仏も形無しじゃのう。」
他人事のように呟きながら、眼下の戦況を見守る。
ちょうど織田軍の中枢へと斬り込んだ一揆衆が、信長の本陣を目前に勢いを失い、雲散霧消する所だった。
太田牛一の「信長公記」によれば、反撃にでたのは七、八百人。
鎧ナシ、武器は刀のみという軽装備で、フル装備だった筈の織田軍を切り崩し、信長の親類衆を多数死に至らしめたとの事です。
しかも(全員ではないでしょうが)包囲陣の手薄な箇所を突破して無人の小屋に入り、支度を整えてから大坂方面に逃亡したとあるので、『死狂い』の恐ろしさがよく分かります。




