#125 木下秀長の長い一日(前)
長島殲滅戦の描写のため、木下秀長の視点を中心にお送りいたします。
なお、近年の研究で実際には信長に仕えてから本能寺の変の後に改名するまで「長秀」だった事が判明しましたが、丹羽長秀等との混同を防ぐため「秀長」と表記します。
天正二年(西暦1574年)九月二十九日 河内長島
「長島攻めもこれで終わりか…長かったのう。」
朝靄の中。織田信長の直臣の一人、木下小一郎秀長は、自陣に建てた矢倉の中でそう独り言ちた。
眼下には、二か月に渡って対峙して来た一揆衆の砦と、それを取り囲むようにはためく『木瓜紋』と『永楽通宝』の旗印、そして沖にひしめき合うように浮かぶ無数の軍船が見える。
「わしが一手の大将として一揆衆と斬り結ぶ事になろうとは…しかしこれなら、次に兄者にお会いした折に、少しは褒めてもらえるかのう。」
木下小一郎秀長は、近江長浜城主羽柴秀吉の弟である。
武働きとは縁遠い、野良仕事に精を出す日々を送っていた所、秀吉に半ば騙されるようにして織田信長に出仕する事になり…いつしか信長から『長』の一字を賜って、それなりの人数を統率する一隊の指揮官になっていた。
そして今回、突如として長島攻めに駆り出されたのだが…当初秀長は、自身が生きて帰れるかどうかさえ危ぶんでいた。信長の直臣として危ない橋を幾つも渡って来たが、河内長島には苦い思い出しか無かったからだ。
信長が大軍を催して攻め入ると、長島の一揆衆はすぐさま砦に引き籠ってしまう。二度目に攻め入った時は、川を天然の堀代わりに、一か月もの間籠城を続けた。織田軍の兵糧が尽きる前にと兵を退き始めると、待ってましたとばかりに水路や裏道を駆使してあちこちに回り込み、弓や鉄炮で撃ちかけて来る。
こうした一揆衆の手管に翻弄されて、秀長にとって目上も目上だった柴田勝家が負傷、氏家卜全が討死するなど、織田家は散々な目に遭って来た。
だが今回、信長は使える戦力を総動員して長島攻めに臨んだ。
高天神城の後詰に投入すべくかき集めた戦力を、複数の方面から叩きつけるようにして長島へと進軍。南からは九鬼嘉隆率いる水軍が攻め寄せ、長島は陸も海も完全に封鎖された。
秀長はというと、信長本隊の露払いとして、篠橋から打って出た一揆衆を蹴散らすなど、そこそこの戦果を挙げつつ長島の対岸に到達。以降包囲を維持し、兵糧攻めを続けて来た。
不思議な事に、これまでは長島を丸々囲い込めるような大軍が一つ所に集中していれば、一月としない内に兵糧不足の兆候が生じ始めるのが常だったのだが…今回に限ってはそんな兆しがまるで見えない。逆に、一揆衆の方が早々に音を上げてしまい、その一部は信長に降伏を申し入れて来る有様だった。
その時は降伏を許されなかったのだが、兵糧攻めがよほど堪えたのだろう、一揆衆は長島からの退去を条件に助命を申し出て、ようやく認められた。
そして、小舟に分乗して長島を退去する運びとなり…秀長を始めとした織田軍諸将は、合意が着実に履行されている事を確認すべく、眠い目をこすって監視に当たっているという訳だ。
「遮二無二根切りにしようとすれば、籠城している連中は死に物狂いで抗い続ける。ゆえに程々の所で手を打ち、実利を得るが上策、か…兄者の言った通りじゃのう。」
一隊の指揮官となって早幾年、戦場の条理が分からず右往左往していた頃の秀長では最早ない。一瞬の判断が生死を分ける修羅場にも、随分慣れた積もりだ。
だが、一揆衆に含まれるかつての同類――飢えに苦しんでいる事が遠目にも分かる、百姓と思しき子供や老人が視界に入るたびに、胸の奥で良心がうずくのを感じてはいた。
見ず知らずの人間を救うために信長に盾突く度胸こそ無かったが、恨み骨髄には程遠い。
お偉方が事あるごとに毒づいていた長島から一揆衆がいなくなれば、こんな陰惨な戦をする事も二度と無いだろう。
「小一郎様、小一郎様。大殿(信長)より下知が参りましてございます。」
後方からかけられた声に、秀長が振り返ると、隊の副官として頼りにしている男が矢倉台へとよじ登って来る所だった。
「下知?斯様な折に何事じゃ?」
「川沿いに鉄炮放と弓放を並べよ、鉄炮放には縄に火を点けるよう申し付けよ…との事にございます。」
「…は?」
織田家にあって、信長の命令は何よりも優先されるべきものだ。秀長はここ数年間の従軍経験を経て、その絶対性も、命令と現在の状況とを照らし合わせて先を読む必要性も、余さず理解していると言っていい。
だが…いや、それゆえに。
秀長は理解し、そして混乱した。
「い…射かけると申すのか?弓鉄炮を?長島を立ち退く一揆衆に?」
「まあ、そういう事にございましょうな。やはり大殿も腹に据えかねておいでにございましょう。一揆衆は虻や蝿も同然、生きている限り何度でも戻って来る…いっそここで鏖にした方が後腐れが無い、と、そう断じられてのご沙汰かと。」
平然とのたまう副官を前に、秀長は理解した。
自分は主君の執念深さと、冷酷さを本当に理解してはいなかったのだと。
だが、抗命――命令に背くという選択肢を選ぶ勇気は、無かった。
秀長の性格も言うまでもなく筆者の想像です。
実際には特に何の葛藤もなく、信長の命令に従っていたかも知れません。




