#122 韮山からの来訪者(後)
江川英長、再就職を目前にして退去勧告(大ピンチ)。
「は…帰る?拙者が、下田に?」
私の言った事が理解出来なかったのか、英長殿は一瞬ポカンとしてから、慌てて私の方に向き直った。
「お…お戯れを!拙者は既に北条領への立ち入りを禁じられた身、今更下田に返されたとて、行く宛てなどございませぬ!」
知ったことか。
「北条助五郎殿は貴殿が徳川へ仕官する事をお望みのようですが…当の本人が徳川に何ら望みを抱いておられないのであれば、私共が幾ら骨を折ったとて無駄な事。潔く下田に戻り、腹を召される(切腹する)がよろしいかと。」
あえて突き放すように言い放つと、英長殿は顔を青くしたり赤くしたりしながら、ぶるぶると震え始めた。
「…ざけるな…欲まみれの年増が…」
「何か、仰いましたか?」
ぼそぼそと悪態を吐き始めた所で、煽るように大きな声で聞き返す。
案の定英長殿は目をかっと開き、歯をむき出しにして食ってかかって来た。
「お主に何が分かる!韮山で腫物のように扱われ、小田原で鴻毛の如く軽んじられ…ここ浜松にさえ居場所は無いと申すか!」
「では貴殿にはお分かりいただけると?東海三か国を治める身から、かつての友邦やかつての家中に頭を下げ、膝を屈するよりなくなった御方の心の内が!」
私の反論に、英長殿は言葉を失い、憤怒の形相のまま沈黙した。
私だって分からない、分かる訳がない。
日頃飄々と振る舞っている宗誾殿が、ふとした瞬間に見せる寂しそうな横顔――その奥に一体どれ程の喪失感を抱えているというのか。
家族が揃って健康で、毎日の衣食住に不自由しなければそれでヨシ、なんて…意識低い系にも程がある私の人生設計に合わせている宗誾殿が、本当に納得しているのか。
不安に思った事は一度や二度じゃない。
だから私は『夫婦』という繋がりに寄りかかって安穏としてはいられない。
言わなければならない事、言わなくてもいい事、言わない方がいい事…取捨選択を繰り返しながら『適切な距離』を測り続けなければならないのだ。
「申し立てたい儀がおありなら、口先をもってお示しいただきたく。曲がりなりにも元服を済ませておいでにございましょう?」
要するに、もう子供じゃないんだから、自分の意見は自分の口で言え、という事だ。でないと、英長殿が何を望んでいるのか、それに対して私達がどう対応すべきか、何も分からない。
そんな私の真意がようやく理解出来たのか、英長殿はうつむいて、ぽつぽつと語り始めた。
「拙者は…拙者も…酒造りをしたく存じます。韮山で江川酒を造る事が叶わないのであれば…それに見劣りせぬ清酒を、造りたい…。」
英長殿は嗚咽混じりに本音を吐露する。
それを見届けた私が目配せをすると、宗誾殿は微笑みながら頷いた。
「よくぞ申された。最後は三河守殿次第じゃが…岡崎でのお役目を薦めておこう。」
「グス…岡崎にございますか?」
「うむ。聞く所によれば、酒造りには米と水が肝要だとか。浜松と岡崎、いずれの水がより良いかは分からぬが…諸国の米を試すのであれば、岡崎の方が良いであろう。隣国尾張の港を通じて、四方の米を仕入れられるゆえのう。」
宗誾殿の気遣いに触れた英長殿は、目を潤ませるや否や床に額を打ち付ける勢いで平伏した。
「誠に、誠に…宗誾殿、早川殿、御礼申し上げます。いつか、拙者の手で江川酒に並ぶ酒を造った暁には…必ずや、お二人に献上いたしまする…。」
宗誾殿や私、朝比奈泰勝殿らが見守る中、英長殿は幼子のように泣きじゃくっていた。
「孫太郎殿について、お主に頼みたい儀がある。」
朝比奈泰勝殿ら三人の直臣と、英長殿との面談を終えて自室に引き上げる宗誾殿についていった所、唐突に切り出された。
「孫太郎殿は岡崎で役目を果たしながら、酒造りにも取り組まなければならぬ。身一つで始めるには苦労が多かろう。誰ぞ中間、小者や商いの指南役を用立ててやってはくれぬか。」
「…寿桂様の伝手を辿れば容易く見繕えるものと存じますが。」
いかにも人の良さそうな提案に、私は注意深く返答した。
武士が万全の態勢で務めを果たす前提として、馬の口取りや鎧持ち等の雑務を務める中間、小者は欠かせない。だが、こうした「百姓以上武士未満」とでも言うべき人々は少しでも待遇に不満を抱えたり、雇用主とトラブルを起こしたりすると、すぐに職務放棄して転属してしまう。
つまり、有能な人材を好待遇で抱え込むか、能力はそこそこだけど転属に消極的な人材で妥協するか、原則二つに一つという訳だ。
寿桂様の伝手――今も水面下で活動中の諜報機関、沓谷衆の構成員にお願いすれば、十中八九問題なく中間小者として英長殿に雇ってもらえるだろう、が…。それは岡崎にスパイを送り込むのとほぼ同義だ。
「事と次第によっては、三河守殿を謀ると…?」
「三郎(信康)殿を岡崎に、ご自身は浜松に、という三河守殿の差配が、どうにも気になってのう…これを機に、岡崎の奥向きに関しても探りを入れられるよう仕込んでおきたいのじゃが…頼めるか?」
「…仰せのままに。」
やはり戦国武将の端くれと言うべきか、宗誾殿はいかなる好機をも座して見送る人間ではなかった。
そして、「場合によっては家康も裏切るのか?」という問いに何ら回答が無かったという事実に、私は密かに戦慄するのだった。
近年いわゆる『負け組』にも関心が寄せられており、今川氏真も再評価が進んでいますが、民政や文化面での注目が特に多いと感じます。
実際の政治活動や合戦で目立った実績を残していない以上、やむを得ない事ではありますが。
今回の仕込みは万が一の事態(徳川家内部の抗争など)に備えての保険です。




