#012 友野宗善、表裏比興(後)
前回に引き続き、クレジットカードのリボ払いと赤字国債をミックスしたような金融論をぶち上げております。
武田武士が駿河での飲食や物品購入に四菱手形を使用した場合、それは翌年の正月末日までに清算されるものとする。清算が成されない場合は、友野屋傘下の金融業者である明王屋が掛金を肩代わりする代わりに、同額を借銭とする。
四菱手形に関する起請文の「別紙」にさりげなく書き込まれた二か条は、甲斐武田に深々と打ち込まれた毒針だった。なぜなら「別紙」の内容は武田家中に布告されておらず、明王屋や友野屋には掛金の清算を督促する義務も意思も存在しないからだ。
まとめると、友野屋の謀略はこうだ。
武田武士は駿河で買い物をする際、四菱手形を使用する事で身銭を切る事なく済んでいると思い込んでいるが、実際にはこれらの代金は掛金として確実に計上される。
掛金は翌年の正月末日に精算期限を迎えるが…ほとんどの武田武士はそれに気付かず、掛金は明王屋への借銭に書き換えられる。
そして、借銭は所定の利率に従って利子を増やしていき…いつしか武田の上級家臣でさえ支払いが困難になる程の負債と化すのだ。
一部の武田家臣に至っては、全財産を売却しても返済出来ない額の借銭を既に抱えている(勿論当人は気づいていない)ため、所領から見込まれる年貢米を百年先まで差し押さえる事でようやく完済出来る見通しだ。
当人の収入は消滅する事になるが、それは友野屋の関知する所ではない。物納でも借銭の担保を確保しておかなければ、明王屋の金蔵から銅銭を駿河の商会に支払う事が出来ないのだから。
…団五左衛門達は友野宗善の、甲斐武田を骨の髄まで貪り尽くすという苛烈な覚悟を知って口をつぐんだ。宗善の謀略はよく練られてはいたが、それは友野屋と明王屋に大きな負担と危険を強いるものだったからだ。
「それにしても、北条勢を国境まで押し返すとは…武田の武威、益々盛んにございますな。」
友野宗善の屋敷、その客間にて。野暮用で訪れた御手洗屋団五左衛門が水を向けると、向かいにいた友野宗善が片頬を歪めて頷いた。
「左様。ここで刃向かうなど蟷螂の斧…無益にして無謀にござる。」
あえて「誰が」という主語が省かれた返答に、五左衛門は唇を噛んでうつむいた。
(今ではない…やはり宗善殿は、そうお考えか。)
駿河の商人は大なり小なり早川殿に恩義を感じているため、宗善の謀略が武田に露見する事は無いか、あっても当面先だろう。問題は武田家臣の膨大な借銭という切り札を『いつ』使うのか、だ。
(友野屋は武田にうまく取り入り、信玄も無碍に出来ぬほどとなった…が、力関係は圧倒的に武田が上。無闇に借銭を返せと迫れば、最悪の場合『徳政令』を出されてしまう。)
徳政令…乱暴な表現を使えば借金帳消し命令。
これが武田から発令された場合、友野屋と武田の関係は決裂し、駿府の経済も大混乱に陥るだろうが、『今の』武田には致命傷にはならない。最終的に力がものをいう戦国乱世にあって、戦国大名が優先的に守るべきは商人との約束ではなく、家臣の軍事力だからだ。
逆に言えば、その軍事力が大きく揺らいだ時――武田家中の内紛、あるいは合戦での大敗など――その時こそ、友野屋が借銭の督促を行い、武田の首をタテに振らせる好機となる。
「商いは好機を待つ忍耐と、好機を逃さぬ機敏が肝要…『その時』を逃さぬよう、用心する事といたしましょう。…時に五左衛門殿、オムスビサマに手を合わせて行かれませぬか?」
「勿論、喜んで…。」
立ち上がった宗善に先導されて、隣の部屋に入った五左衛門は、神棚に向かって手を合わせ、浅く頭を下げた。
「今日茶店一揆があるのも、オムスビサマのお導きのお陰。どうかこれからも、よろしくお見守りくださいませ…。」
神棚の中心には、駿河の商人達から「御結様」と崇められる木像があった。
三角形に握った白米のような体型に、上品な衣をまとい、柔和な微笑みを浮かべるその姿は、かつてこの地を治めていた大名の妻によく似ていた。
今回説明した友野宗善の時限爆弾が起動するのは、もう何年か先になる予定です。
次回は、本来今週中に描写する予定だった、今川の忍び集団「沓谷衆」(作者の妄想)についてお届けする予定です。




