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118/152

#118 New year at New home!(前)

様々な伏線が登場する(予定)1574年が始まります。

翌年が本番なので、比較的短くまとまると思います。

天正二年(西暦1574年)正月 遠江国 浜松


「儂は誠に良き妻を持ったのう。」


 お正月に伴う公式行事が一段落し、夫婦揃って縁側で日向ぼっこしながらお酒をチビチビ()っていた時の事。

 日の当たる縁側に並んで座っていた宗誾殿が、不意に呟いた。


「急に如何なさいました?」


 酒盃に清酒を注ぎながら聞き返すと、宗誾殿は禿頭を覆う頭巾を揺らしながら酒盃を受け取り、幸せそうな表情ですすった。


「浜松に移って早半年…こうして屋敷で大晦日と元旦を迎えられるのも、日々の寝食や衣服に不自由せずに済むのも…全てお主が骨を折ってくれたお陰じゃ。改めて礼を申す。かたじけない。」

「…改めて言われると、気恥ずかしゅうございます。ただただ我武者羅(がむしゃら)に取り組んで来ただけにございますれば…。」


 宗誾殿は恐縮する私の手から徳利を取り、代わりに酒盃を持たせると、手ずから清酒を注いでくれた。


「駿府、沼津、掛川、早川…どこにあろうとも、お主はお主の役目を懸命に果たしてくれた。次は儂が役目を果たさねばのう。」

「有難く…宗誾様とて、郎党もおられない身でありながら、懸命に務めておいでではありませんか。」


 礼を言いながら清酒を口に運ぶ。

 昨年、家康に徳川家への帰参を認められた宗誾殿の初仕事は、奥三河の国衆である奥平(おくだいら)一族の調略のお手伝いだった。

 奥三河は山がちで肥沃(ひよく)とは言い難い地域だが、東美濃や南信濃に通じている。南信濃を領有する武田は山中行軍を得意としているため、ここが武田の支配下にある限り、織田と徳川は奇襲を受けるリスクを負い続ける事になるのだ。

 特に家康は本拠地を浜松に置く一方で、徳川家所縁の地である岡崎も重要視しており、自身の代理として信康殿を岡崎城主に据えている。浜松で北遠江や駿河方面に対処している間に岡崎まで進出されたら、幾ら家康と言えど対応に困るだろう。

 そのリスクを未然に防ぐため、奥平家を始めとした国衆を味方に付けようとしていた家康に、援護射撃をしたのが宗誾殿だった。具体的には、家康が奥平家に宛てて地位を保障する起請文を送付する際、三浦家の名跡(みょうせき)を与えてもいい、という条文を追加する事に同意したのだ。

 三浦は今川家筆頭家老の家だったが、今川家そのものが壊滅状態の現状、その地位は宙に浮いている。奥平家が名門の仲間入りを果たすには絶好のチャンスという訳だ。

 まあ宗誾殿は、名跡に相応しい教養やら、簡単には滅ぼされない国力やらが無ければ譲る積もりは無いので、奥平家が確実に三浦の名跡を継げるという保証はどこにもないのだが。


(あた)う事なら、年が明ける前に織田に帰参の挨拶に参りたかったがのう。」

「やむを得ぬ仕儀と存じます。弾正忠(だんじょうのちゅう=信長)殿は多忙の極み…それに加えて、私達が浜松に着いた頃はちょうど(みやこ)で兵を挙げた公方様(義昭)を弾正忠殿が追ったばかりにございました。元を辿れば今川も足利の係累、うかつに踏み込めば巻き込まれていたやも知れませぬ。」


 この点に関しては、今川家の血筋が明らかにマイナスに作用していた。

 どの道徳川家の枠の中での立ち位置が不安定だったので、年内に信長と会うのは相当困難だったのだが、足利義昭の二度に渡る武装蜂起と、これを早期に鎮圧した信長の戦後処理を見る限り、とても楽観視出来る情勢ではなかった。

 というか、信長が義昭を担いで上洛→義昭との関係が悪化→追放という流れは前世から持ち越したうろ覚え知識で一応把握していたが、実際に同じ時代にいると、信長は一体何がしたかったの?という気持ちにもなる。

 まあ宗誾殿だって後から見れば「余計な事」と分類されるであろう行動で結果的に今川を滅亡させてしまったのだから、当人達にもやむを得ない事情があったんだろうけど。


武田四郎(かつより)もいずれ出張って来るであろうしな…当面は上洛の機を窺いつつ、三河守殿への奉公に専心するとしよう。」

「宗誾様、仰せの通りではございますが…その、大丈夫でございましょうか?」

「?何がじゃ?」


 宗誾殿はキョトンとしているが、問題を認識していない訳ではないだろう。単純に、重大な問題とは捉えていないだけだ。


「我が家には荒武者が三人いるも同然…障子を破いたり、襖を破いたりと、騒々しい事この上なく…。」

「ああ、うむ、うむ…その儀に関しては、申し開きのしようもない…。」


 宗誾殿は気まずそうに視線を逸らしながら言いよどむ。

 私は嫌味の一つでも言ってやろうかと口を開いて、結局やめた。

 決まった役職の無い今の今川家にとって、小栗又一殿と井伊虎松殿、そして嫡男竜王丸の養育は、『穀潰し』のレッテルを回避するためにも全力で取り組むべき『役目』なのだから。

さっそく宗誾が戒律を犯してますね(飲酒)。

この後早川殿に何人も子供を産ませているので、そこもアウトです。

でも偉大なる先駆者達(北条早雲、斎藤道三、武田信玄…)がいるので、当時はあまり問題視されていなかったと思います。

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― 新着の感想 ―
竜王丸:早いものよあの地獄の震八連制覇より一ヶ月。 又一:ようやく 身体も動く様になり 虎松:こうして今川屋敷で正月を迎える事が出来るとは ??:上意であーる! 又一:あれは!?疾走する馬の背に腕組み…
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