#117 岡崎の三人(後)
岡崎の陰の実力者、築山殿あらわる。
「先程はお手数をおかけしました。五徳殿も初めからあのように振る舞われていた訳ではないのです。近頃はとみに気分の浮き沈みが激しく…。」
軽く頭を下げる築山殿――関口瀬名殿に、小さく首を振って返す。
「無理もない事と存じます。人伝に聞いた限りではございますが…昨年の三方ヶ原の戦の折、何某殿が早合点して岡崎まで凶報を届けられたとか。」
具体的な箇所をぼかしているが、要は家康が討死したという誤報が岡崎まで届けられたという話だ。
私は私で沓谷衆を通じて戦況をある程度把握していたが…三方ヶ原の戦い直前に家康と合流した織田の援軍は、三千そこら。武田と徳川の兵力差を埋めるには全く不足していた。二十歳にもなっていない五徳殿が信長の采配に動揺したであろう事は想像に難くない。
そこに追い討ちをかけるように『家康討死』の誤報が来れば、今日は浜松か、明日は岡崎か、と不安にもなるだろう。
ところが今年の春になると状況は一変、武田軍は突如撤退し、信玄は死んでしまった。
『なのに』か『だからこそ』かは知らないが、信長討伐の兵を挙げた将軍義昭はあっさり鎮圧されて京から追放。信長の本拠地岐阜と京との連絡線を側面から脅かしていた浅井朝倉も、僅か一か月の内にまとめて滅ぼされた。
事実を列挙するだけでも信長がツイていると感じるし、存亡の危機から一転して織田と徳川が攻勢に回ったとなれば、抑圧からの反動もあって調子ぶっこきたくなる気持ちはよ~く分かる。
だが五徳殿は信康殿の正妻だ。うかつな言動は織田徳川の外交問題に繋がりかねない。
今の所徳川家中や織田の親戚筋との付き合い程度で済んでいるようだが、交友関係が広がれば様々な思惑を持った人間と交流する事になるだろう。
だからこそ、さっき言葉尻を捕らえて揺さぶってみたのだが…どういう方向性にしろ、もうちょっと頑張った方がいいんじゃない?というのが私の感想だ。
あれでもし開き直って『そうよ!天皇といえど織田に逆らえば死あるのみ!』とか言っちゃって、それが人伝に近畿まで広まったりすれば、織田家の信用は地に墜ちるだろう。
しかも私に(上から目線でいいのに)謝る事なく行ってしまった。
この辺を有る事無い事ミックスして、沓谷衆を通じて東海一円にばらまけば、織田家にとって非常に困った事になるだろう――面倒だからやらないけど。
「私も口が過ぎたようで…此度のやり取りを水に流していただければ幸いと、後で五徳様に口添えをお願いしたく。」
私が悪うございました、許してちょんまげ。
そんなメッセージを受け取った瀬名殿は、苦笑しながら頷いた。
「誠に、気を遣っていただくばかりで…銭には不自由無し、と聞きましたが…何か力をお貸し出来る事はございますか?わたくし、三河や浜松の商人に顔が利きますので。」
うーん、人の良さに定評があった瀬名殿も随分と成長したものだ。
『徳川の領国で活動する商人を通じて私の動向は把握している、あまり好き放題しないように』…そんな副音声が聞こえたぞ。
あと、早いこと貸し借り無しにしたいから何か頼め、といった所か。
「三河守殿に引き続き、築山殿にまでお気遣いいただいた事、この上ない仕合せにございます。されど今はこれと言って…いずれまた力をお借りするため、お伺いを立てる事もあろうかと存じます。無論、その折には築山殿にも益のある話となるよう取り計らいますので…決して損はさせません。」
瀬名殿には悪いが、『貸し』は当面とっておく。徳川家の奥向きに『貸し』を作っておけば、ここぞという時に役に立つだろう…そんなゲスい打算に基づくリアクションだ。
そんな私の反応も想定内だったのだろう、瀬名殿はまた苦笑しながら頷いた。
「そう、ですか…いずれにせよ、何か困り事でもあれば文をください。すぐに応じられることでしょう。」
『すぐに』…手紙を受け取るまでもなく私の近況をチェック出来る、という忠告か。
「かたじけのう存じます。今や当家は徳川の後ろ盾なくして立ち行かぬ有様…三河守殿、そして築山殿の温情を仇で返す事の無きよう、励んで参ります。」
私はかしこまって頭を下げ、改めて服従の意思を明らかにする。
「ええ、こちらこそ…わたくしには岡崎にて三郎殿をお支えする役目がございますゆえ、浜松の事で不如意に思う折もしばしば…共に手を携えて参りましょう。」
こうして私と瀬名殿との久し振りの対面は、仲良しこよしとは行かないまでも、徳川家を支えていく方向で合致し、上下関係の確認も完了した。
信康殿、五徳殿、瀬名殿へのお土産を納入した私は浜松に帰還し、出来たてほやほやの新居で年末年始の行事に向けた準備を開始するのだった。
これにて1573年はおしまいです…多分。
次に氏真の活動がはっきりするのは1575年に入ってからなので、それまでは筆者の想像による所が大きくなると思います。




