#116 岡崎の三人(中)
これは理解らせに該当するのだろうか?
投稿前に読み直して思った事です。
さて、事前に収集した情報を整理しておこう。
家康の家族の内、岡崎にいるのは正妻の瀬名殿、息子の信康殿、その妻の五徳殿、以上三名。
瀬名殿は数えで36歳。今や壊滅状態にある今川家御一家衆の一角、関口刑部少輔家の出身だ。
家康を今川家に取り込もうという思惑で組まれた縁組は上手くいっていた…ように見えたが桶狭間の戦いで一転、家康が今川から独立する直前に岡崎に移住していた瀬名殿は実父の死に目にも会えなかった。
現在は岡崎の『築山』に別邸を構え、徳川家の奥向きを差配している。
信康殿は数えで15歳、岡崎城主…ではあるが、権限が及ぶのは城下町と家康から与えられた知行くらいで、三河国を統治している訳ではない。
臨時に軍勢の指揮を任される事はあるが、常設の軍団を率いている訳ではない、と…。
五徳殿は数えで15歳、織田信長の娘。
彼女の存在自体が徳川と織田の同盟関係を担保しているため、家中でも扱いに相当気を遣っているらしい…。
と、こんな所か。
「改めて、此度三河守殿の温情を賜り、ご家中に迎え入れられました事、重ねて御礼申し上げます。三郎様もご機嫌麗しく、これに勝る喜びはございませぬ。」
上座の信康殿に慇懃に頭を下げる。
客観的に見れば、かつての家臣の子供にへりくだっている事になるが…つまらないプライドは掛川城を退去する際に一緒に捨てた。
この程度、どうという事は無い。
「――ッ、早川殿…。」
「ふふふ…アハハ!北条の娘、今川の妻ともあろうお方が、女房のように這いつくばって!可笑しいったら無いわ。でもまあよくってよ。天下を治めるに相応しいのは我が父…公方様も、近江六角も、朝倉も浅井も…父上に歯向かう者はことごとく滅び去る、それが天の定めた宿命なの。精々三河守殿の下で励むがいいわ。そうすればいずれ加増の沙汰も――」
「五徳様。」
「…な、何よ。」
前言撤回。
ちょっとこの子、調子に乗り過ぎている。信康殿も対応に苦慮しているようだし、軽く牽制しておいた方がいいだろう。
私達のためにも、五徳殿自身のためにも、だ。
「それは織田が、主上に取って代わる積もりである、と…そう捉えてよろしゅうございますか?」
「…は、はぁ⁉どうしてそうなるのよ!」
「先程五徳様は仰いました。織田に歯向かう者はことごとく滅びる、と…これ即ち、仮令主上とて木瓜紋に逆らえば一族誅殺すると、そう仰せになったも同然にございましょう。叡山を焼き、公方様を洛外に追ったと聞いてはおりましたが、よもや主上にまで刃を向けようとは…。」
わざと拡大解釈して騒ぎ立てると、五徳殿は一気に余裕を失って慌て出した。
「ち…違う!父上は左様に邪な企てを抱いた事は、一度たりとも…」
「『一度たりとも』?では五徳様は、ご自身の妄言を父君の存念であるかのように述べられたので?一つ間違えば天下の信義を失いかねない大事を、左様に軽々しく申されるのであれば、それは正しく…。」
勿体ぶって信康殿に視線を向けると、信康殿は二、三度目を瞬いてから声を張った。
「増上慢、にございますな。」
「…ッ…ッ…!」
顔を真っ赤にした五徳殿は何も言い返せない。
挙句、無言で立ち上がると応接間を足早に出て行ってしまった。
「あ…五徳!」
「追って、なだめて差し上げては?」
追うべきか否か、腰を浮かせて悩んでいた信康殿に、落ち着いた女性の声がかけられた。
声の主は五徳殿と入れ違うように入室すると、信康殿の横に腰を下ろす。
「五徳殿が心乱れる時…夫である貴男様が寄り添うのが最善と、そう思いまする。」
さり気なく女性が促すと、信康殿は席を立ち、五徳殿を追いかけて部屋を出ていった。
残されたのは上座の女性と、下座の私。
「お久しゅうございます。築山殿。」
私が先手を打って頭を垂れると、女性――信康殿の実母である瀬名殿、通称築山殿――は僅かに微笑んだ。
関口瀬名…もとい築山殿、登場。
前作「転生したら北条氏康の四女だった件」では世間知らずの箱入りのように描写しましたが、この段階ではある程度世間の荒波に揉まれて逞しくなっています。
それがどうして『あの』悲劇に繋がったのか、という所を説得力のある描写でお送りする所存です。




