#113 瀬戸屋虎次郎との再会(前)
今回、謎の青年が登場します。
瀬戸屋虎次郎、一体何者なのか…。
勿体ぶってみましたが、分かる人にはすぐ分かるかも知れません。
天正元年(西暦1573年)八月 遠江国 浜松
宗誾。家康の目の前で剃髪、出家した五郎殿の法名だ。
正直一向に慣れる気がしないが、遅かれ早かれ竜王丸が元服すれば『五郎』を譲らなければならない、という現実を考慮すれば、この移住を機に呼び名も一緒に変えてしまうのはある意味理に適っていると言えるだろう。
それはさておき、五郎…じゃなかった、宗誾殿の説得が功を奏し、今川家は浜松への移住を無事に認められた。
ただし、徳川家中では実質ノンキャリア状態から始めなければならず、新居も生活費も支度金も一切支給されていない。8月に入ってすぐ疾風号も下田への帰路に就いてしまったし、今の我が家は屋敷の一角を間借りしている小栗家の仏心に支えられていると言っても過言ではない。
さすがは五郎…じゃない、宗誾殿の直感というべきか、落ち着きの無い長男坊を『躾けた』実力が高く評価された結果、小栗家屋敷での生活は予想以上に快適だが、いつまでも居候を続けられるワケが無い。
五郎…じゃなくて。宗誾殿の外聞のためにも、私や子供達の生活水準向上のためにも、浜松城下に新しいマイホームと、そこで働く郎党や使用人達を至急用立てる必要がある。
郎党や使用人に関しては、まず小田原の早川郷に置き去りにして来た面々に、引き続き当家に奉公してもらいたい、という手紙を送る。
経緯が経緯だし、小田原を離れて山越え海越えまでして浜松に行きたい、という人ばかりじゃないだろうから、全員来てくれるとは思えないが、我が家の事情に通じている人間は多い方がいいだろう。
人員の過不足はおいおい考えるとして…肝心の屋敷と、それを建てる土地を確保するにはやはり正攻法。即ち大金が必要だ。しかし手元には現金も、換金しても構わないお宝も無い。
となると、いつものアレ…お金持ちに軍資金を借りて資産運用を行い、何倍にも増やした後で利子を付けて返す。これしかないだろう。
「さて、遠江で当てに出来る商人と言えば…やっぱりあそこよね。」
自分で自分に確認するように呟くと、私は文机の上に置いた硯の墨を筆に吸わせ、広げた紙に用件を認めていった。
…ちなみに、言うまでもなくほぼほぼ借り物である。
あー、マイ文机が欲しい…。
翌日、私は小栗邸で目当ての人物と対面していた。
「奥方様、お久しゅうございます。御前様…いや、早川殿とお呼びするがよろしいでしょうか。」
「まことお久しぶりにございます、虎次郎殿。左様にございますね…私も『そう』呼ばれる事にすっかり慣れましたゆえ…早川殿とお呼びください。」
下座から愛想よく「承知仕った」と返した青年は瀬戸屋虎次郎殿。かつて今川家と交流があった人物だ。
数えで二十歳、遠江の豪商として有名な瀬戸屋の当主、方久殿の養子として商人修行の真っ最中である。
「さて、此度それがしを召し出されましたは…やはり銭の相談にございましょうか。」
虎次郎殿がにこやかにお伺いを立てる、が…まだまだだな。
笑顔がこわばっているし、声に『媚び』が足りない。おまけに目が笑ってない。
かつて武家の当主として頑張ろうと意気込んでいた名残だろうか。
まあ、人間そんなホイホイ生き方を変えられたら苦労はしないよね。
「まあ、察しのよろしい事で…何分、ほとんど着の身着のままで浜松に移り住んで来たもので、手持無沙汰にございまして。」
「誠に申し訳ございませんが…そういったご要望にはお答えいたしかねます。」
私の要望を、虎次郎殿は食い気味に断った。
「何と…当家の恩を仇で返すお積もりで?」
「それがしの養子縁組をお膳立ていただいた恩…片時も忘れた事はございません。さればこそ、早川殿のお召しに馳せ参じた次第…なれど、今やそれがしは商人。『御恩と奉公』の理に囚われる事無く、利害得失で付き合わねばなりませぬ。」
若干の申し訳なさを漂わせながらもキッパリと言う虎次郎殿。
そんな彼に私は――
「虎次郎殿…素晴らしい心掛けにございます。」
心の底から賛辞を送った。
今川氏真の法名、宗誾ですが、「ギン(門構えに言)」と表示されているでしょうか?
投稿前にチェックはしているのですが、環境依存文字なので正確に表示されない方がいらっしゃれば申し訳ございません。
別の漢字を代用するなど、対策を考えます。




