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#112 浜松講和交渉(後)

酒井忠次、徳川家康の心の内に迫る…の巻。

「先程の事は、どこまでが殿の思惑の内にございましょうや?」


 忠次が切り出したのは、盤面の半分近くが白と黒で埋まった頃だった。

 氏真との謁見を終えて奥の間へと向かう家康を呼び止め、碁を一局、という名目で空き部屋に引き込み、当たり障りのない話をしながら好機(タイミング)を見計らった末の行動だった。


「どこまで、とは?」

「上総介殿への沙汰にございます。始め殿は、馬上一騎から奉公(ほうこう)(つかまつ)るべし、と仰せになりました。真にそうお考えであれば…知恵の鏡も曇ったか、と申すより無いかと。」


 暗に「まだ若いのに耄碌(もうろく)したのか」と挑発された家康は、一瞬だけ鬼のような形相で忠次を睨み、次いで深々とため息を吐いた。


「お主に見放されては、わしの天命は半年と()つまい…相分かった、正直に話そう。『馬上一騎』云々はわしの本意ではなかった。」

「それは…ようございました。」


 心の底から安堵しながら、忠次は陳腐な感想を返した。

 もし家康が過去の因縁や表面上の評価に惑わされ、希少な人材を粗略に扱う暗君に成り果てていれば、今度は忠次が身の振り方を考え始めなければならなかった。


「上総介に(さと)されるまでもなく…あの者を召し抱える(メリット)は測り知れぬ。今川を見限って旗を上げ、三河遠江の経略に乗り出してより…わしの眼前に立ちはだかったは常にあの男であった。いや、兵法のみにあらず…いずれは洛中での作法について、教えを乞いたいと思うておる。」

「作法、にございますか。」


 少し意外そうな忠次の声に、家康は深刻な表情で頷く。


「織田の招きで上洛し、公方様や公家連中と席を同じくする事が幾度かあったが…一体何度粗相を働いた事か。あのように惨めな思いは二度としたくない。折を見てお主らも指南を受けるが良い。」

「は…それは構いませぬが…上総介殿をそれ程高く買っておいでならば、なにゆえあのような…?」


 忠次が首をかしげると、家康は忌々し気に碁石を握りしめた。


「お主も存じておろう。今や当家の宿敵は武田…今川を相手に四苦八苦していた時分の辛苦など久遠の彼方よ。ここでわしが無闇に上総介を引き立てれば、不服に思う者が幾人現れるやら…。それゆえ、先程は上総介自身に並べ立ててもらわねばならなんだ…彼の者がわしに降参する利点を、な。」


 成程、と納得しかけた忠次は、次なる疑問に眉根を寄せた。

 氏真は二日前に浜松に上陸、それから今日に至るまで小栗仁右衛門の屋敷に世話になっている。


「恐れながら殿…いつの間に上総介殿と左様な談合(うちあわせ)を?」

「む?…いや、先程目を見合わせた折にな。こう言えばこう返って来るであろう、と…。」


 話している内に矛盾に気付いたのか、家康は怪訝な顔で口をつぐんだ。


「…何故じゃ。上総介とはもう何年も顔を合わせておらぬ。そもそも血を分けた兄弟ですらないと申すに…。」

「殿…殿っ。上総介殿を決して、決して手放してはなりませぬっ。」


 忠次は上擦る声を押し殺しながら、碁盤の上に身を乗り出して家康の両肩を掴み、前後にがくがくと揺さぶった。


「これは天の配剤に相違ございませぬ。拙者は常日頃より気に病んでおりました。殿の御心に自ずから寄り添い、当家の歩むべき道筋を指し示す…そう、軍師が。張良や孔明のような軍師がおられぬ、と。」

「…佐渡守(本多正信)がおろう。上総介がそれ程の知恵者とは思えぬが。」

「懸念はごもっとも。智謀は佐渡守に及ばず、軍才や治世の才は殿に遠く及びませぬ。されど殿と上総介殿は共に治部大輔(よしもと)殿の薫陶を受けて育った間柄。それゆえ上総介殿は、殿の心の内を一目で察せられたのでございましょう。」


 忠次は生唾を飲んで、詰まりかけた喉を潤した。


「お叱りを覚悟で申し上げます。今の殿には…御前様に代わって支えとなる御仁が欠かせませぬ。」

「…。」

「拙者の知行を幾らか削っても構いませぬ。どうか、どうか上総介殿をお引き立ていただきたく――」

「もうよい、分かった…手柄の一つも無い内から知行はやれぬが…お主の申した事は心に留めておく。碁はここまでとしよう。」


 そう言い残して立ち上がると、家康は部屋から出ていった。

 一人残された忠次は、勝敗の決さぬままとなった碁盤を見つめながら、海を越えてやって来た珍客が徳川にもたらすであろう福音に思いを馳せていた。

特報!徳川家康の軍師は今川氏真だった…⁉

もちろん筆者の妄想、捏造、過大評価ですが、家康が氏真を何らかの理由で尊重していた傍証は存在します。

長年「今川氏真が牧野城主を一年で辞めさせられた」と解釈されていた史料の誤読が判明し、少なくとも武田滅亡の前年まで城主を務めていた事が分かりました。

ただ、氏真当人はしょっちゅう家康に呼び出されて浜松にいる事が多かったため、牧野城主としての活動実態に乏しかった、というオチのようです。

どうしてそんなに呼び出すのか、何か秘密の相談でもしていたのでは…?と妄想した結果生まれたのが、「家康の軍師は今川氏真」説という次第です。

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― 新着の感想 ―
家康:わしはのう、恐ろしいのよ。 忠次:?上総介殿が、でしょうか? 家康:違う。相模御料人が、だ。上総介殿と早川郷に引き籠られた時は心底安堵したものよ。その御料人が浜松に現れ、わしに臣従すると。何を企…
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