#108 因縁の地でコンニチワ(前)
便宜上一年ごとに第〇章と分類していますが、今回から『浜松編』あるいは『そして長篠へ…』編の開幕です。
天正元年(西暦1573年)七月 遠江国 浜松
「あれに見えるが曳馬…いえ、浜松城。」
「何年ぶりになろうか…懐かしいような、初めて見るような、摩訶不思議な心地じゃ。あの頃とは城の構造も変わっておろうし、海から見るのは初めてゆえ、当然と言えば当然やも知れぬがのう。」
夏と言うには柔らかい陽射しの下、私と五郎殿は疾風号の甲板に並んで立ち、浜松城…徳川家康の本拠地を視界に収めていた。ついに、ついに…目的地に辿り着いたのだ。
いやー、ははは…二度と乗りたくない。
確かに疾風号での船旅はそれなりに快適だった。武田の妨害を警戒しながら陸路や駿河国沿岸を突破するより、格段にラクな行程だったと言えるだろう。
だが、この数日間…日常生活にストレスがかかり通しだった。
陸上と違って足元は定まらず、水夫の邪魔にならないよう船内を自由に歩く事も出来ない。食事は出るが干し飯、漬物、干物…彩りなんて望むべくも無かった。
何よりキツかったのは水の使用制限だ。
五郎殿が航海目標を遠洋航海訓練から浜松直行に切り替えて以降、日程は当初の往復一か月より大幅に短縮されたが、代わりにズブの素人10名が加わったため積み込んだ水や食糧にそれ程の余裕が生まれた訳では無かった。
飲み水には不自由しなかったが、一度に大量の水を使う「洗髪」だの「行水」だのが許される筈もなく。頭も体もかゆくてかゆくてしょうがない。
子供達――紬と竜王丸にも大人と同量の水が支給されたため、多少なりとも体を拭って綺麗にしてあげられたのがせめてもの救いと言うべきか。
ともあれ、疾風号は浜松の沖合に碇を下ろし、停泊中。
上陸のため水夫の皆さんが小早船の準備をしている間、私と五郎殿は今後の方針について最終調整の真っ最中という訳だ。
「これも何かの因縁かのう、この地に三河守(家康)が居を構えるとは…。」
少なからず憂鬱な響きを込めて、五郎殿が呟く。私は無言で頷いた。
浜松城の前身、曳馬城は、私達にとって苦い思い出が残る場所だった。
かつての城主、飯尾連竜殿は、義元殿の討死と徳川家康の独立、それを鎮圧出来ない五郎殿…という情勢を見て謀反を起こしたり、また今川家に従属したりした挙句、一族郎党まとめて殲滅された。…いや、殲滅『した』のだ、私達が。
あの頃の私達の決断と選択が全て正しかったとか、やむを得なかったとか言う積もりは無い。あの頃の私がもっと頑張っていれば、あるいは…別の道もあったのかも知れない。
だが、そんな思考の迷路が行き着く結論はもう決まっている。
連竜殿は多少の成功に味を占めて、今川と徳川を両天秤にかけるという危険な賭けに出た。今川家はそれを座して見過ごす事は出来なかった。
つまりは…そういう事だ。
「浜に乗り上げて後は、どなたを頼りましょう?」
暗くなった雰囲気をあえて無視して、私はこれからの予定について五郎殿に話を振った。
「うむ、酒井左衛門尉殿か、あるいは本多平八郎殿あたりが望ましいが…。」
「おい!小舟が三艘、こちらへ来るぞ!浜の方からだ!」
五郎殿の発言を遮った水夫の声に、慌てて海へと視線を戻す。
報告通り、浜松方面から三艘の小舟が、疾風号目指して接近している。特に速いのは真ん中の舟で、舳先には持槍を携えた若武者が仁王立ちしていた。
「そこの船、止まれーっ!徳川三河守のお膝元と知っての狼藉か⁉」
「狼藉にあらず、三河守殿にお目通り願いたい!」
若武者の大音声に、五郎殿が負けず劣らずの声量で言い返す。その横顔には緊張より、面白いものを見たという好奇心が滲んでいた。
「南蛮人の分際で頭が高い、我が槍を受けてみよ!」
絶妙に噛み合わない応酬を経て、若武者が槍を持ったまま飛び上がり――疾風号の甲板に乗り移ろうとして距離が足りず、舷側に激突した。
「ぶえっ。」
「おうおう、そのまま…今引き上げるゆえのう。結、お主は下がっておれ。」
穏やかな口調と裏腹に有無を言わせぬ意思を感じ取った私は、素早く後ずさりして距離を取る。
どこかにしがみついていた若武者は五郎殿の手を借りて甲板に這い上がると、気まずそうに五郎殿から離れ、槍を構え直す。その姿を見て、私はようやく彼が鎧の類を着ていない軽装だと気付いた。
「ごほん…拙者は小栗仁右衛門が嫡男、又一なり!南蛮人一番槍の功名、頂戴する!」
これが私達と、徳川家随一の一番槍ジャンキー忠政殿との、ファーストコンタクトである。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、小栗又一(忠政)は近く大河ドラマの主人公として活躍が見込まれている幕末のマイナー偉人、上野介忠順の祖先です。
上野介は非常に頭が切れる人物だったようですが、又一は仮名からして兎にも角にも一番槍、という人物だったようです。




