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#107 残された者たち(後)

一方その頃、小田原城の貴婦人達は…。

 北条氏規が氏政(あに)に呼び出されていたのと同じ頃、小田原城の一室で四人の女達が向かい合っていた。

 上座には氏政の母、本城御前。

 そのはす向かい左右には義理の娘、(らん)(りん)

 そして下座には早川殿の側付き侍女、(もも)という配置である。


「こちら、早川殿から皆様方に宛てて、下田にて(したた)められた文にございます。どうぞ、お目通しを。」


 百が差し出した手紙を、まず本城御前が読み、蘭、凛の順で閲覧されていく。

 本城御前と蘭は読んでいる間も、読み終えた後も沈黙を貫いていたが、凛はその限りではなかった。書面の一文字一文字を食い入るように確かめると、ぐしゃりと音が鳴るほどに強く握りしめて立ち上がる。

 そして畳に手紙の残骸を叩き付け、何度も、何度も踏みつけた。


「ふざけるのも大概になさい!『上総介殿に付き従って浜松に居を移す』⁉『早川郷に残した郎党、使用人達の去就が定まるまで後見を務めてもらいたい』⁉自由気儘(じゆうきまま)にも程がある、今すぐあの子をここに連れて来なさい!」

「凛、それはあまりにも無理な――」

「蘭姉様だって!大聖寺殿(ちちうえ)の三回忌法要について、結と打ち合わせの真っ最中だったじゃない!そんな大事も、郎党への義理も忘れてしまったというのであれば、もう妹でも何でも――!」

「凛…落ち着きなさい。」


 赤々と燃え盛っていた炎が、とうとうと注がれた冷水で消え失せるように。

 上座から発せられた一言で凛は我に返り、おずおずと座り直した。


「凛の言う事ももっともだわ。如何なる名分題目があろうとも、結が一切合財(いっさいがっさい)を投げ出して上総介殿と道行を共にした事実に変わりは無い。後始末をわたくし達に押し付けて…。」

「は、母上…もしや(いきどお)っておいでで…?」


 先刻までの自分の荒れようを忘れたかのように、凛が恐る恐る尋ねると、本城御前はいつもの底知れない微笑みを浮かべたまま小さく頷いた。


「ええ、業腹で仕方が無いわ。けれどあの子を羨ましく思う気持ちもあるの。」

「それは、なにゆえ…。」

「越後勢や甲州勢に囲まれた事はあれど…ここ小田原は泥中(でいちゅう)(はちす)に等しい楽土。分限を(わきま)えてさえいれば、終生(しゅうせい)安穏(あんのん)と暮らす事が出来るでしょう。けれど、あの子はそれに甘んじなかった。上総介殿と共に乱世の只中に舞い戻る道を選んだ。わたくし達に迷惑をかける事は百も承知で…わたくしとて、もし大聖寺殿がご存命であれば、何をしでかしたものやら。」


 くすくす、と小さな笑みをこぼしてから、本城御前はまず凛、それから蘭の顔をじっと見つめた。


「あの子はもう、わたくし達の手の届かない所まで行ってしまった。早川郷の領民や郎党、屋敷の使用人達を置き去りにして…せめてその世話はしてあげましょう?」

「…本城御前様の仰る通りね。全く、存外手間のかかる義妹(いもうと)だこと。手間賃をもらわないと割に合わないわ。」


 凛が冗談めかして言うと、蘭も同調するように頷いた。


「早川郷の(まつりごと)については、御屋形様(あにうえ)と幻庵様に差配していただくのが道理にございましょう。屋敷の使用人については、結の行き先が定まるまで従来通り務めを続けさせるのがよろしいかと。」

「株札について至急会合を開かないと…あの子の後釜を狙っていた商人(あきんど)には心当たりがある、(あきな)いに不都合の無いよう取り計らうわ。」

「二人共流石の手際ねえ…そういえば、結が溜め込んだ財貨の取り扱いについて、だけれども…。」


 義理の妹が残した膨大な資産をどう取り扱うか。

 生臭い問題を目の当たりにして、二人の義姉は緊張で身をこわばらせた。


「当面はあの子の借銭や屋敷の使用人への手当に用いるとして…後始末に目途が立ったら二人で折半するのが良いのではないかしら?」

「本城御前様、よろしいのですか?あの子の財貨をわたくし共が押領(よこどり)しても…。」

(わたくし達と違って、結は本城御前様がお腹を痛めて産んだ子だというのに…。)


 蘭と凛を始めとした庶子と、本城御前が産んだ嫡子との間には、絶対的とは言えないまでも確かな待遇の差があった。年長たる二人を差し置いて、結が今川家に輿入れした事もその一例だ。

 嫡子の相手は嫡子でなければ格が釣り合わなかったのだ。


「あの子が小田原に戻って来た時、着の身着のままも同然だったわ。それが数か月で有徳人(うとくにん)になったのだから、どこへ行こうともやっていけるでしょう。第一、行方知れずの娘のために財貨をしまい込んだままにしておいては、腐ってしまうかも知れないわ。それなら貴女達に使ってもらった方が世のためになるでしょう。」


 一見突き放すようで、その実娘の無事を疑わない物言いと、義理の娘達に向ける信頼。

 嫉妬と喜悦、相反する感情に心をかき乱されながら、蘭と凛は揃って(こうべ)を垂れる。

 百もまた、主の唐突な要請に応えてくれた母娘(おやこ)への謝意を示すように、深々と頭を下げるのだった。

これにて「早川郷編」は一旦おしまいです。

次回以降、「浜松編」に移って行きますが、準備のため一週間~二週間程度更新が止まる可能性があります。

引き続きクオリティを保ちながら連続投稿出来るよう精進して参りますので、応援のほどよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
ゴロー:早いものよ。あの地獄の早川郷脱出より一月。ようやく身体も動くようになり三河守殿に面会かなうとは。 結:徳川家の家臣共は葵手形で借金漬け。文一通でいつでも身代を奪えます。 ゴロー:んん? 結:武…
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