#101 楽園脱出計画(前)
他国に身を寄せる脱出計画を夜中の数時間でまとめないといけないとか、自分で書いていてどんな無茶振りだよと思ってしまいました。
ただ、本能寺の変直前の明智光秀のように、「決断したら即実行」「計画の詳細を明かす相手は最小限」という原則を守らないと計画が漏れるよな…と考えた結果、結達には頑張ってもらいました。
明朝、早川郷を出発し、徳川家康の本拠たる浜松に向かう。
大前提が決まった所で、次に決めなければいけないのは…(1)誰を同行者に含めるか、(2)どうやって浜松まで辿り着くか、以上のおおむね二点だ。
二人だけで話し合うのも限界がありそうだったので、周囲にいる人の中から特に口が堅そうな数人を呼び、会議に加わってもらう。
現在の出席者は五郎殿と私、元風魔忍者の侍女である百ちゃん、五郎殿の妹で紬や竜王丸の面倒を見てくれている貞春様、大藤与七殿を鍛え直して帰還した赤羽陽斎殿。
以上五名、車座になって相模国から遠江国までを含む地図を囲んでいる。
議題を確認した所で最初に口を開いたのは、陽斎殿だった。
「殿と奥方様、姫様と竜王丸殿は当然として…世話役の貞春様や万事に気が利く百殿も同道されるがよろしいかと。拙者は…とりあえずここに残りまする。」
「陽斎、徳川への鞍替えに不服があるのであれば…北条に仕官出来るよう感状を認めるが?」
「ああ、言葉足らずにござった。拙者の取り柄の一つは縁も所縁も無い地で足軽をまとめ上げる事にございますれば…拙者を同道すれば必ずや左京大夫殿の目に留まりましょう。それゆえまずは早川郷に留まり…左京大夫殿のお許しを得て後、手を尽くして浜松に馳走いたします。当地に参上した暁には、百貫文は頂戴したく…。」
契約更改に百貫文。一見ぼったくりだが、その実陽斎殿の負担が途轍もなく大きい。
陽斎殿は一度氏政兄さんの勧誘を蹴っているのだから、模擬戦と新人教育で成果を上げていても北条への再就職は簡単ではない。その上、肝心の百貫文は「今川家が無事に浜松に到着し」「家康に移住を認めてもらい」「借金なり資産運用なりで十分な資産を確保する」…これらのステップを踏んでいないと空手形になってしまうのだ。
最悪、北条領内で立ち往生する恐れもある…その可能性を踏まえれば、後払いで百貫文は破格の条件と言っていいだろう。
「ああ、百貫文には当面の口止め料は含まれてはございませんので。」
…ちゃっかりしてるなあ。
「相分かった、十貫文出そう。さて、次に肝要なるは…やはり、如何にして浜松へ移るか、じゃな。」
私達は一斉に地図を覗き込んだ。
理論上は武蔵国、上野国から越後国…と日本海側に迂回するルートもある、が…北条と上杉はバチバチの交戦状態にあるし、人脈がまるで無い。大体そんな長距離を移動しようとすれば、銭や食料が幾らあっても足りないだろう。まあ却下だ。
やはり現実的なのは最短経路、相模国から伊豆国、駿河国を通過して遠江国に入る東海道ルートだろう。頻繁に使われている分整備されているから、危険も少ない…通れれば、の話だが。
まず五郎殿は相模国から出る事を禁じられているから、正面から出国しようとすれば間違いなく関所で足止めを食らう。伊豆でも同じ事が一度ならず起こるだろう。
それらをどうにか突破したとして、やはり最大の障害は駿河国だ。
武田軍が徳川攻めを中断し、甲斐信濃に引き上げて以降、武田領の警備は再び厳しくなっている。そこを突破するには…あまりにも準備が足りない。
仮の話だが、駿東の有力者たる葛山氏元殿が潜在的反乱分子として健在で、私達の国外脱出が何か月も前から計画されていれば、沓谷衆の力を借りて武田軍を攪乱し、東海道を突破する事が出来た…かも知れない。
だがそんな仮定は無意味だ。氏元殿は百ちゃんの目の前で死んでしまったし、国外脱出だって五郎殿の即断即決だから今から沓谷衆に依頼を出す事なんて出来やしない。
「陸が駄目なら、海はいかがにございましょう。西伊豆から船に乗り、駿河沖を通って遠江に向かう、というのは…。」
貞春様が地図の上で人差し指を滑らせた。
確かにそのルートであれば、地上の障害を無視する事は出来る。
「むう…されど駿河の沖には武田の水軍が網を張っておる。たとえ安宅船をもって押し通ろうとしても…どこかの港で囲まれてしまうであろう。」
五郎殿の反論は悲観的でも何でもない。
この時代の軍船は沿岸に近い海域で行動するのが前提なので、小さい小早だろうがでっかい安宅船だろうが、駿河沖を航行中に武田水軍に捕捉されて袋叩きにされる可能性が非常に高いのだ。
しかし参った、陸路も海路も駄目となると…ん?
――仮の名を『大和黒船』。伊豆の南端、下田で内密に造らせておる…南蛮船を模した軍船じゃ。
――出来上がれば現状の軍船を遥かにしのぐ船が出来よう。これまでより遠くの海を、何日にも渡って進める船が、な。
「あ――んむっ、ゲフンゲフン。」
「い、いかがした結?」
いきなりむせる私を気遣ってくれる五郎殿を手で制し、百ちゃんに頼み事をする。私の部屋に保管している文箱の一つを持って来て欲しい、と。
指示通りに百ちゃんが持って来てくれたのは、氏規兄さんからの手紙が入っている文箱だった。その中から、目当ての手紙を一枚引き出して広げる。
内容はシンプルだ。
「疾風、下田より出でて大海を巡り、また帰る。」
疾風は何かの隠語ではなく、船の名前だ。
かつて大洋を渡り、ヨーロッパの船乗り達をこの極東まで送り届けた大型帆船…そのコピーが完成し、既に実用段階にある。
――氏規兄さんが管轄する、伊豆の下田に、ある。
ようやく伏線回収が出来ました。
この時のために『北条氏規がヨーロッパの帆船をコピーした』などといったトンデモ妄想を膨らませて来たと言っても過言ではない…。




