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カジータさんとミソスープ

作者: XI

*****


 梶田さんはデブだ。そんな彼、次の誕生日で四十を迎えるらしい。梶田さんは一課で俺は二課だから席は近い――というか、刑務所の食堂とでも表現すべき横に長い列にあるものだから、梶田さんと俺の席は隣同士なのである。左隣の松本先輩は顧客ネットワークの障害対応のエスカレーション先であることが主業務で、だから滅多に電話が鳴らない、内線がない。日常的に手が空いているものだから今日もアマゾンにてガンプラを物色しているらしく、「なあ、サイトー、00の話や。このクアンタ、メッチャカッコようない?」などと関西訛りで問いかけてきた。「肩の太陽炉がぐるぐる光るんやで?」などと追い打ちをかけてきた。えっと、松本先輩、残念ながら俺はしょうもない客のしょうもない問い合わせで忙しいのですよ、俺はあんまり賢くないからメール一つ返すにしても時間がかかるのですよ、ゆえにヘッドハンティングされてきた上長には口酸っぱく「コスパとタイパを意識しろ」などと小言を使われるのですよ。


 ホント、俺は賢くない。そも、専門卒なのだ。専門卒でありながら当該企業にいるのは奇跡でしかない。もとは子会社に就職したのだけれど――それだけでも奇跡に等しいのだけれど、親会社がその子会社をぶっ壊してその人員をまるっと受け容れた。どう見ても、親からすれば子の出来が悪かったのだ。だからえらく火を吹くかたちで価値が底まで落ちぶれる前に乱暴にも吸収した――という寸法だ。どのように考えても情けない話ではある。とはいえ、だからこそ俺は俺の学歴に到底そぐわないほどの立場を手に入れるに至ったわけだ。一部上場の企業に入れるだなんて思いもしなかった。


 ――飲み屋でそんな思いを漏らした際のことだ。飲み屋と行っても彼と飲みにいくことなんてまずない。実際、その場は年末に執り行われる形式的な忘年会だった。


 俺はついその彼――大山さんに話したのだ。大山さんとは同い年の二十八歳で――大山さんが特別利口だとは思わないのだけれど彼はとにかくパワフルで案件を前進させることについては殊の外有能で……そんな奴さんに、俺は「どうせ俺は専門卒ッスから」などとすねたように、自虐するように伝えたのである。すると大山さんは無言で俺のグラスにビールをそそいでくれた。鍋からいわしのつみれも器によそってくれた。


「あのさぁ、サイトーさん」大山さんはいつもそんなふうに、めんどくさそうに口を開く。「俺だって大した学歴じゃないっての――ですよ。会社に入っちまえば、みんな横一線ですよ。っていうか、ウチの保守のとある部長、知ってる? 東大、二回も出てるんだぜ? でもまるっきり使えないって評判じゃないですか。要はそういうことなんですよ。頭でっかちの途方もない馬鹿は社会においてはクズと一緒」


 それはそのとおりだ。そう思う。当該人物とは俺も何度か接したことはあるのだけれど、仕事ができるタイプには見えなかった。お勉強ができるだけのどあほう。大山さんはあらためてそう言い表した。「社会人に必要なのは案件をごりごりぐいぐい押し進める行動力ですよ。馬鹿な俺でもそれくらいは心掛けることができるから、あんまり悩んだりはしないんですよ」と続けた。


 行動力。俺には欠けているものかもしれないと思わされることがたびたびある。面倒事からうまく距離を取ることで楽に仕事をしようとと考えている。だからダメなのだろう。


 思えば社会人になってから、俺は充実感を得たことがない。



*****


 相変わらずデブ極まりない梶田さんから、十五時、今日もタバコに誘われた。オフィスはビルの五、六、七階であり、どのフロアにも喫煙所があったのは遠い昔のこと、今は一階まで下りて、なんとか雨風がしのげようなスペースで肩身も狭く一服つけるしかない。ジッポの火を差し出してさしあげると、梶田さんはその切っ先に火を灯した。ふーっと一つ煙を吐き出してから、まるで深刻なことを打ち明けるようにして、「じつはさ、サイトーくん、赤ちゃんが生まれるんだよ」と言った。俺はアメスピを一息深く吸ってから、やっと「えっ」と驚いた。


 梶田さんの嫁さんは中国人だ。大連の出身だと聞かされた覚えがある。そういう関係もあって梶田さんのタバコはなんだか中南海なのか――なる理解はどうだっていい。俺はてっきり、梶田さんはていよく騙されているのだと考えていた。中国の女性が日本の国籍を得たいからみたいな理由で冴えないデブ中年を食い物にしたという……が、そうではなかったということだろうか、いや、そういうことなのだろう、だっていくらなんでもどうでもいい男の赤ん坊など孕んだりはしないだろう。若気の至りだなんてことは、いくらなんでもないだろうし。


「今度、大連に行くんだ、初めて」

「阿保みたいな質問しますけど、梶田さん、中国語、話せるんスか?」

「話せないよ」また煙を一つ、ぷかりと吐いた梶田さんの顔には、明らかな苦笑が浮かんだ。「案外、寒いところだっていうしなぁ。ホント俺、どうしよう」


 梶田さんが弱気になるのもわかる。どんな立場であれ、敵地に足を踏み入れるのは怖いものだ。ただでさえ、梶田さんは脚が悪い。松葉杖とはオサラバできたものの、今でもびっこをひいて歩く。そんな状況にありながらしばしば朝霞に召喚されるのは不憫以外のなにものでもない――といった具合に、梶田さんはなにかと不幸な宿命を背負わされている。


「俺、馬鹿だからさ、この先、奥さんとやっていくだけでも心配だらけなのに、そのうえ、子どもまでできちゃったっていうと、ホント、不安だらけなんだ」


 どうあれテメーらがつくったんだろうが。そう断ずることもできるのだけれど、梶田さんはイイヒトだから、俺はそんなこと、言わない。決して言わない。


「今のまま、この会社で仕事を続けるのもつらいかなとも思ってる。どこに行っても、まあそうなんだけどさ、俺、馬鹿にされがちだからさ。仕事ができないから、仕方がないんだけど」


 存分に事実を含んだ文言だ。ただ、無能なニンゲンが、そんな大人が心地良く生きられてこそのニッポンではないのか。どうであれ俺は梶田さんを悪く言いたくないし、言うつもりもない。足をひょこひょこ使って歩きづらそうにしながらも一生懸命に客先に出向くオッサンのことを、俺はどうしたって嫌いにはなれない。



*****


 例によって囚人らの食堂とも呼ぶべき配置の我が社のオフィス。ローゼットも露わな長いテーブルを挟んで向かい合うかたちでずらっと並んでいる。俺の左隣にはガンダム好きの松本先輩、右隣には梶田さん、向かいにはインテリで売る岩城さんがいて、斜向かいにはくだんの大山さんの姿がある。松本先輩は今日もガンプラにご執心らしく、「なあなあ、サイトー、このデンドロビウム、カッコええけどメッチャ高いんやわぁ」などとのんびりした関西弁で言う。デンドロビウムが何かは知っているつもりだが、取り合う余裕が、今の俺にはない。今日もどうでもいいと言ってしまえばどうでもいい弱小顧客に問い詰められているのだ、そんなメールがあった。「もう俺、担当じゃないんで」などと突っぱねることはできない。社として誠意を欠いてしまうと、最悪、訴訟沙汰になる。以前、「そんなこともあったんだぜ」と先輩に脅されたことがある。ホント、ファッキュー、社会人。何事もうまくいかないなぁ、どちくしょう。


 昼休みを迎え、俺はコンビニでタマゴサンドと水菜のサラダを買って戻った。もう少しガツンと食べたいところだけれど、あいにく資金には限りがある。業界最大手と言える会社にあっても、末端のニンゲンの生活に余裕なんてないということだ。東京というハイソな枠組みに入ってしまうと、基本、貧乏しなければならない。先々を見据える必要もあるから、貯金のことも考えなきゃだ。それは誰でもが抱える難題ではあるのだけれど、中年の王道をゆく梶田さんが不格好な――自作であろうおにぎりを食べている姿を見ると、他人のことながら、俺は泣きたくなった。冴えない見た目をしているものだから、余計に悲しくなる。奥さんよ、せめて昼飯くらい作ってやれよ、それともアンタはおにぎりをこしらえるのもへたくそなのか? 「サイトーくん、お互い寂しい身の上だね」と苦笑してみせたことに事実を見た。梶田さん、やっぱりおにぎり、自分で握ったのだ。


「若いんだし、身体も大きいんだ。それだけじゃ足りないだろう?」

「まあ、タバコ代がかさむんで」

「だったら禁煙したらいい、とは言えないんだよなぁ」

「そッスよ。お互い様ッスよ」


 梶田さんが椅子から腰を上げた。いつも「食後のコーヒー」みたいな感じで味噌汁を飲むのを知っている。インスタントのやつだ。かやくと味噌を開けて、お湯をそそぐだけ。いつもひょこひょこ歩くのがいいかげん気になっていたものだから、「いいッスよ、俺、行ってきます」と引き受けた。カップを手に戻ってくると礼を言われた。うまいのかな、味噌汁、俺、しばらく口にしてないな。


 味噌汁をすする梶田さん。「しじみがね、いいんだ」などとのたまう、しじみだけにしみじみと……? 梶田さんは酒好きだかアフターケアとしての処置なのかもしれない。っていうか、奥さんが早くに寝てしまったあとで一人日本酒をすする様子などを想像するとますます泣けてくる。


 俺は噛み締めるようにして水菜を食し、梶田さんはずずーずずーっと味噌汁をすするなかにあって、大山さんと岩城さんが食事から帰ってきた。とんかつ屋だったらしい。松本先輩はおかわり自由のごはんとキャベツをいまだ楽しんでいるのだという。さすが松本先輩。梶田さんを上回らんばかりのデカい図体は伊達ではない。


「サイトー、おまえさぁ、昼飯くらいちゃんと食べろよ」と岩城さん。

「いや、俺、しっかり食べると、じつは眠くなっちゃうんで」

「だったらとっとと食って五分でも十分でも寝りゃいいだろ?」

「そういうわけにもいかないんじゃないかなぁ……」


 岩城さんはできるヒトだから、仕事さえこなせばそれ以外の時間の過ごし方についてはえらく寛容だ。大山さんにもそんなところがあって――彼はサーフィンが得意らしいから、休み時間はなんらかそれにまつわるwebの記事を眺めている。彼はかつて休日にそばの高速を走っていたときに社のフロアの電気がついているのを見かけたらしく、その折、容赦なく「誰だよ、休みの日まで働いてんの」と思ったらしい。打ち明けはしなかったが、その日、その場所で仕事をしていたのは間違いなく俺だ。追いかけられるようにして業務に駆り出される。無給で休日に労働だなんて、たしかに無能の証明でしかないだろう。


 味噌汁をすする梶田さんを見て、岩城さんは何も言わなかった。こういう場合、口を出すのは大山さんだ。同じく岩城さんもずけずけ物を言うヒトだけれど、じつは性質については少々違っていて。率直に言えば、まだ気を遣えるのが岩城さんで、空気を読もうともしないのが大山さんだ。


「梶田さんは梶田さんでやめましょうよ」などと、いよいよ大山さん。「奥さんが大切なのはわかりますけど、俺より給料高いはずじゃないですか。そのへん、うまく管理しましょうよ」


 管理、妙に重い言葉。だからこそ、そうそう簡単に先輩に謳っていいセリフではないはずだ。――が、そういうところが大山さんであり、もっと言うとそうあってこその我が社なのである。人情よりも正論のほうがどうしたってずっとウェイトがデカいのだ。


 でも、今日はなんだか、頭に来た。岩城さん、打算的なあんたはこないだ見合いをして、それがうまくいきそうだから、人生についての目処が立ったと安堵しているのかもしれない。大山さんは大山さんで結婚するという話だ。マンションも買ったと聞いた。せいぜい幸せを掴めばいい。


「それにしても、どうしていっつも味噌汁なんですか? それもしじみの」とは大山さん。

「ああ、それ、俺も前から気になってました」というのが、岩城さん。


 そのへん、重要か?


 この際だからと考え、俺は「カジータさん、実際のところ、どうなんスか?」と訊ねた。そしたらだ、岩城さんが目を丸くした。「なに、サイトー、おまえ、カジータさん、って」と訊いてきた。意外そうに訊いてきた。俺はつい「あっ」と口に出し、「いや、でも梶田さんはカジータさんだしなぁ」とわけのわからない考えを示した。するとだ、岩城さんが「ウアハハハハハッ!!」と馬鹿みたいに大笑いした。それはオフィス中に響き渡った。こんな岩城さん、初めて見た。だからびっくりした。多くのナカマからしてもそうだったのだろう。だからみんな驚いたふうな表情を浮かべていたのだ。


「ななな、なんスか、なんでいきなり爆笑なんスか、岩城さん」

「いや、だってサイトー、おまえがベジータみたいに言うからさ」


 ベジータ。

 ドラゴンボール。

 そんなに笑うところかぁ?


 ノートPCで何やら閲覧していたらしい大山さんまで、ぷっと吹き出すと阿呆みたいに大笑いした。おいおいおい、ステレオタイプのクールなサーファーはどこに行った? だけど普段は人間味に欠けるものだから、そのリアクションは楽しく映った。


 まるでみなが笑ったことが嬉しいみたいに、カジータさんはにこにこ顔で味噌汁をすすっていた。



*****


 俺は結局、会社を辞めて。同じ業種の実家を継ぐことにして青森に帰った。東京でそれなりにもまれたという意識があったものだから、地方の案件なんて余裕でこなせるだろうと高を括っていたのだけれど、実際はそんなことはなく、いついかなる場所においても人間関係の構築と維持は難しいものだと感じさせられている。機嫌良く仕事をするのは難しい――つくづくそう思う。


 俺が一抜けしてからまもなく、梶田さんも新たな道に進んだことを聞かされた。宇宙開発をいっとう進める会社に身を転じたらしい。ガンダムチックにいうと宇宙(そら)に関わる企業に移ったということだ。といってももちろん宇宙飛行士だとかそういう話ではなく、社内のインフラ等をあずかる情シスに入ったとのこと。


 カジータさん、今日も昼休みには、しじみの味噌汁をすすっているのだろうか。


 そろそろ伴侶が欲しいなぁなんて考えながら、俺は紫煙をくゆらし寒々とした曇り空を眺めている。今日は雪が降るらしい。まだ十一月の前半。ちょっと気が早すぎやしないか。


 ここからは浅虫温泉が近かったりする――。


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― 新着の感想 ―
おお、味噌汁の話だ。 会社の人間関係の、敵ではないが決して百パーの味方でもない人たちがしっかりと描かれていて、リアルだなあ、と。 こういうのを書かせたらXIさんは本当にうまいんだから… 今回はちょっと…
私もみそ汁好きで会社でよく飲んでおり、カジータさんにシンパシーです……(*´ω`*) とん汁、なめこ、あさりのパターンで回しております(`・ω・´) きりきりとしている職場でもふとしたことで笑いが起こ…
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