表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
昔日の影  作者: 苳子
4/12

影人形


 真影まかげをあつめよ

 さればもとも甦ろう――




「ひとつ、お願いしたいのです」


 女は、工房の入り口の隅にうずくまり、根が生えたように動かなかった。

 ころもくろ、髪をつつむ頭巾も玄。頭巾の端が額のあたりから垂れ下がり、横顔を隠している。

 衣の裾は土間につき、手は長い袖におおわれ、見える肌はひとところとしてない。 


「ひとがたを」

「私は人形師です」

「ひとがたも、人形も、根は同じことでございましょう」


 水中で息を吐くような、鈍くくぐもった笑い声が洩れる。

 工房の奧で木地を削りだしていた男は、その手をとめた。


「つまらぬことにかかわるつもりはない」

形代かたしろとしてのひとがたを作っていただきたいのです。その後はあなた様の与り知らぬことでございましょう」

「形代を作るような技量は持たぬ」

「影をうつす腕をお持ちなら、易しいことでございましょうに」


 ゆかしい方じゃと呟いて、女はわずかに笑った。頭巾の垂れ布が揺れ、その影から一瞬目がのぞく。それは光を帯びていたようにも見えたが、障子越しに射し込む光のせいかも知れなかった。


「なんのことか分かりませぬ」

「真澄どののこと。あの見事な技はこなたさまの技でございましょう」


 男は半眼になり、深く息をついた。


「おうけしましょう」

「では、よしなに」


 女はそう答えると、静かに立ち上がり、丁寧に頭を下げる。

 その拍子に垂れ布がふわりと揺れた。白陶器のごとき横顔がちらりとのぞく。血の筋が透けて見えるような白さながら、温もりはまるでないような、正しく陶磁のごとき肌。




 人形師は工房の片隅で、壁にもたれかかり項垂れていた。

 足を投げ出し、眠っているようにも見えるが、その目は開かれている。

 瞬きもしない。死んでいるのかといえばそうではなく、瞳がわずかに動いている。

 その傍らにうずくまるようにしてある、一塊の影。

 黒い襤褸布を丸めたようにも見えるが、影の上方にある二つの眼と思わしきものがせわしく動いている。

 陽は傾き、世界は茜色に染め上げられている。

 工房の窓の障子もあざやかな朱に染まり、切り絵のごとき庭の樹影がうごめいている


「約束の期日でございますよ」


 入り口にくろ装束の姿があった。

 いつの間に入り込んできたのか。

 男はまったく気づいていないようだったが、驚いた様子もなく、億劫そうに顔を上げた。

 ぎょろりとみひらかれた目は血走り、紙のように乾いている。

 依頼人を一瞥する眼光は、異様に鋭い。


「できている。持ち帰るがいい」


 その言葉を待っていたように、依頼人の影が動く。

 音も気配もなく、陽のうつろいと共に動く影のようであった。

 人形師の足元で、それはとまる。

 くろの衣に玄の頭巾。依然と寸分かわりない姿であった。やはり垂れ布が顔を隠している。

 玄ずくめの女は、突っ立ったまま人形師の足元の、黒い塊を見下ろしている。

 それはまるで紙をちぎって丸めたかのように薄っぺらで、その輪郭は布の端のようにほつれ、縮れている。のぞき見える眼だけが、奇妙な奥行きと立体感をもっているようにみえる。


「さすがは名高い羽澄はすみさま」


 穏やかな声は、満足げでもあった。


「このようなもの、なんとする」

「こなたさまは、何をお知りになりたいのでございますか?」


 くくっと笑いを押し殺したような口ぶりで、反問する。

 人形師は、今にも燃えつきそうな光の宿る眼差しで女を見据えた。


「このようなものだと分かっておったら、引き受けはしなかった」

「左様でございますか、残念ですこと――このように感服しておりますのに。けれど、その悔いもそう長くはございませんわね」

「ああ、そのようだ――真澄を護るつもりが、裏目に出た」


 それきり、人形師は力尽きたように肩をおとした。


「こなたさまのたまはもういただきました。さすがは稀代の人形師。ただのまな人とも思えぬような」


 女はわずかばかり感心したように呟き、人形師の抜け殻を見下ろす目を細める。

 人形師の体はたちまち冷えていく。

 髪の先や鼻先にも氷柱が垂れ下がり、肌や衣のおもてからは冷気が微少な氷の粒となって立ちのぼる。土気色の肌のおもてにも薄く氷の膜が張り、ほどなく人の形をした氷塊となり果てる。

 女は屈んで、その塊にむかってふっと息を吹きかけた。

 冷涼たる朗々とした音が、氷塊の表といわず中にまで韻きわたり、次いで音の消失と共に霧散する。

 あとにはなにも残らない。

 女はそれっきり関心を失ったように、何事もなかったように立ちつくしている。    

 やがて、女のその足元で、影絵のような黒い紙屑のごとき塊がむくりと動いた。

 もはやその質感は紙ではない。

 肉の塊の表に、黒い影がはりついている。黒こげとなり炭化した骸に脂がのり、ぎとぎとと光っているようであった。

 見るだにおぞましいような質感をおびている。しかし、真におぞましいのはその眼。

 白目にみっしりと網状に血管がはしり、今にも血の涙が滴りそうなほど。

 その血のごとき眼球の真ん中に、これも脂ぎった色の黒目がぎらりとのぞく。

 古びた血糊のごとき黒の虹彩が中央でぎとぎとと動く。血走った眼球は、瞼がないので眼窩のくぼみに丸まるとおさまっている。

 それがぎらりぎらりと眼球ごと蠢き、そのたびに寒天のつまった小袋のようにふるえる。

 今にもその眼はこぼれ落ちそうであった。


「おいたわしいこと。もうしばらくお待ち下さいな」


 女は涙をこぼさんばかりの声で囁きかける。

 そして蹲り、工房の片隅をじっと見据える。

 室内は夜の気配に包まれつつある。片隅から闇が満ちつつある。


「さて、真澄どの」


 その暗がりでかたりと音がする。


「兄上はもう逝かれましたよ」


 物鳴りはやがて家鳴りへと大きくなる。

 ぞろりと空気が動き、急速に暗くなっていく。その夕闇のなかにふわんと小さな影が横切った。

 女の前にあらわれたのは、小さな影。  

 真っ白な肌に、闇の髪をもつ、小さな人形――しかし、その肌は陶磁のようではなく、ましてや木地のようでもなくそれは、確かに微かではあるが息づいており、温もりが伝わってくるよう。

 かっと瞠られた双眸は描き込まれたものではない。玉眼ですらなく、わずかに充血さえしている、やわらかな目玉。

 肩の長さで揃えられた髪も、伸び放題で不揃いに乱れ、もつれてさえいる。

 生まれたばかりの赤子ほどの人形。その大人の拳ほどの小さな胸が、荒くあえぐように動いている。


「いくら真影を集めても、まなの輩はこの程度か」


 女は嘲るように、憐れむように笑う。

 人形は大きく口を開くが、そこからはかすかに空気の出入りする音がするだけ。


「それでもシロくらいにはなりましょう」


 女は腰を屈めてその人形を手にとる。

 人形はその瞬間、逃げようとするようにかすかに動いたが、呆気なく囚われた。


「大きさはともかく、仕上がりの見事なこと――けれど、所詮は羽澄どのもまな人に過ぎぬか。何事にも限りというものがございますようで」


 女は手の中の人形をあやすように優しく声をかける。

 人形は壊れてしまったかのように目を開き、口を開いたまま。ただカタカタと家鳴りだけが響く。


「さてや、見苦しいこと」


 女は眉をひそめる。

 黒の頭巾の下にのぞく顔は、夕闇に浮かび上がるように白い。

 しみ一つ、傷一つ、皺一つない面。

 艶もなく、ひびもなく、ただひたすらに乾いた印象の肌。

 女のそれこそが正しく人形の、出来の悪い面のようであった。

 口は大きく耳朶近くまでさけ、鼻を削がれたように鼻腔の虚がのぞく。

 ただその目だけは、玉にたまを閉じこめたように、生気をのぞかせる。 

 いっそ神々しくすらあるほどに、その瞳はなにかをたたえている。


「カタがそれではお気の毒なこと。せめてこのワクをお使いなさいますか」


 女の声に答えるように、それはぞろりと動く。床を油か古くなった血糊が流れるような、粘っこい動き。

 それについていけなかったのか、目玉が一つ転がりおちる。

 赤い紐のような肉の切れ端にぶら下がるように、目玉は揺れる。

 目玉を失った片方の眼窩からは、これも血糊のような雫が一つ、二つ。


「お気に召せばよろしいのですが」


 女はそう呟いて、人形を放る。

 隙間風が吹き抜けるような音がして、人形は闇のなかに消えた。

 黒い肉塊が小さく震えると、ふっと吸い込まれるように人形の姿は失せた。


「いかがでございます」


 女は膝を折り、肉塊の傍らに侍る。

 すぐにでも手をのばしたいのを堪えるように、両手の指を強く絡めている。

 



 いつしか家鳴りはおさまっていた。




 家の内にも外にも境は失せ、漆黒の静けさに呑み込まれている。

 天なく、地なく、すべての堺はない。

 女の気配すらなく、ただなにかが、ナニモノですらない、存在が蠢いている。


 まなと、まなに属さぬすべてをも、喰らい尽くすように。


 それは己まで喰らう。


 そして、くうるりと、その存在が裏返しになった。


 再び、人形師の工房。

 外には夜半の月。

 和えかな光に、木々の蔭がほのかに揺れる。

 女は膝の上に三つほどの子供を抱え、微笑んでいた。

 闇色の髪、雪白の肌、月夜の銀の光を宿す瞳。

 肌は柔らかく温かく、髪もこぼれるように揺れ、瞳は暁闇に澄む泉。


「****さま」


 これ以上愛おしいものはないというように、女は子供を抱き寄せる。

 子供はなされるままに身を任せ、ただぽっかりと瞳を瞠っている。

 なにも見ず、なにも話さず、なにも聴かず……




 しょせんは、人形よな……

 ナニモノかが、嘲るように、憐れむように、呟いた……




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ