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昔日の影  作者: 苳子
3/12

七塚の守


 村に戻ったのは半年ぶりのことでした。

 水田には青々と稲がしげり、水の抜きの時節を迎えていましたが、穂が出るには今少し早いようでした。

 暑い盛りの昼過ぎの野外に人の姿はなく、生ぬるい風が澱みのようにぞろぞろと流れていくだけでした。

 まっすぐに、妻の待つ村長の屋敷に向かいました。

 妻は村長の末娘で、実家の一隅で暮らしております。

 私はまわり薬師で、一年の大半を旅に費やしておりましたので。

 なんの前触れもなしに戻った私を、妻はまるで毎日野良仕事から戻ってきているかのように迎えてくれます。

 さり気なく労ってくれながら、細やかに世話を焼いてくれる様子は浮き立っており、私にとっても気持ちの安らぐ楽しいときでした。その一方で、常に淋しい思いをさせているという後ろめたさもいっそう募るのでした。

 彼女は半年前と比べると心なしかやつれたようでもあり、先刻、村長から耳打ちされた話が気にかかりました。

 このところ、彼女は不調を訴えて寝付くことが度々あるというのです。

 桔梗が生まれたときに覚悟を決めたとはいえ、いざその時が迫ると心穏やかではいられないものです。

 かいがいしく世話を焼いてくれる姿を見ていると、愛おしさと申し訳なさがどうしようもなくこみあげてきます。

 私と結ばれ、娘さえもうけなければ、彼女の命運はもう少し長いものであったことでしょう。

 それとも、これもすべて定めのうちだったのでしょうか。


 一風呂浴びて食事も終え、ようやくくつろいだころを見計らうようにして、妻は気がかりなことがあるのだと話し始めました。

 聞けば、五つになったばかりの一人娘、桔梗のことでした。

 桔梗は歩けるようになったばかりのころから、ふらりと姿を消しては騒ぎを起こすような子供でした。

 まわり薬師の血をひく子は、男子であろうが女子であろうが、だいたいそんな風なので心配はいらないと、私が何度話しても妻たちはなかなか納得しませんでした。

 父親のいない間に大変なことになってはと、村長をはじめ村人たちまで何度も青くなったそうです。

 そんなことが度重なり、桔梗も次第に大きくなってくると、まわりもようやく腹をくくってくれたようでした。

 ただ一人、妻だけは未だにはらはらせずにおれないようですが、母親とはそんなものでしょう。

 楓もそんな風だったと妻に話すと、そのような又聞きの話は当てにならないと申します。

 そうしてようやく、楓が、いや楓殿が私の娘ではなく、従姉であり、幼いころには顔も知らなかったことを思い出すのです。

 まわり薬師の記憶が煩わしいのはこういうところです。

 どこまでが自分身の記憶なのか、区別のつかなくなることが時折ありました。

 

 桔梗のことに話を戻しましょう。

 妻には話しておりませぬが、まわり薬師は男子ならば何人でも恵まれますが、娘ならば一人きりと決まっております。

 それも娘が授かる場合は必ず第一子であり、つまりそれ以上子を授かることはないのです。

 それが何故かはわかりません。

 けれど、その後の母親の定めを考えれば、理由は明らかなようにも思われます。

 まわり薬師の、つまり、高旗たかはたの血を引く娘をその身に宿し育むと云うことは、命を引換にするほどの難事ということなのでしょう。

 私に授かるのが娘だと分かっておれば、妻を迎えることなく独り身を通したかも知れません。

 しかし、楓殿がまだ存命であり、世代もかわっておらぬ今、まさかまた女子の誕生があるとは思ってもおりませんでした。

 それは私の代のまわり薬師は皆同じ思いだったでしょう。

 ましてや楓殿と私は同じ血筋。

 一つの家に娘が続けて生まれるなど、誰が考えたでしょう。

 過去にそういうためしがなかったわけではありませんが、誰もが夢にも思わぬほどに、本当に稀なことだったのです。

 いつの世にも、まわり薬師はかならず十人おります。

 それぞれが受け持ちの国の何処かに妻を持ち、子も数人ずつはありました。

 そのような次第にあってもなお、ここ何世代も女子の誕生はなかったのです。

 私が生まれた娘をみてどれほど驚いたことか、少しは分かっていただけたでしょうか。

 なにも娘の誕生を喜ばなかったわけではありません。

 楓殿自身はご存知ないが、高旗のものにとって、女子の誕生ほど待ち望まれているものはないのです。

 高旗にとって、その血をひく娘こそが全ての要。

 高旗の娘は、高旗のすべての命の根なのです。

 楓殿にも先年娘子が生まれたと聞きました。

 その報せを高旗のものたちがどれほど喜んだことか。

 楓殿も、その娘子も、それを生涯知ることはないでしょう。

 けれど、すべてのつとめを終えたのちに知るのです。

 高旗の地で。

 

 さて、その桔梗がここのところ半日近くも姿を消すようになったというのです。

 誰かが桔梗の後を追おうとしても、一度して果たせたためしがないといいます。

 いくら桔梗がはしこい子だとしても、しょせんはまだ五つ。大人の足に勝てるわけがありません。

 それなのに、どういうわけか必ずいつしか姿を見失ってしまうのだそうです。

 それもいつ見失ったのか分からないと云います。

 私はそんなことはよくあることだと笑いました。

 まわり薬師の子を捉えられるのは、まわり薬師だけなのです。

 香里こおりの血しかひかぬ妻に捕らえられる相手ではありません。

 ただはしこいだけではありません。

 危険には敏感であり、同じ年頃の子よりもずいぶん大人びてもおります。

 同じ高旗のものが相手でもない限り、まわり薬師の子に危難が及ぶことはまずないと云えました。

 心配はいらないと云う私に、妻は今さらまわり薬師の血の不可思議で驚きはしないと、憤るような口ぶりで応じました。

 気がかりは別のことだというのです。

 よく聞けば、桔梗はこの頃、隣村へ続く峠の中ほどにある塚の前でよく見かけられると云うのです。

 それは昔から七塚と呼ばれおり、その名の通り、塚石が七つ並んでおります。

 いつの世のものとも知れず、赤子ほどの大きさの石が六つ、真ん中の塚石だけは三つの子供ほどの大きさがありました。

 ひときわ大きな塚には、重きをなしたか、あるいは名のある方が眠っておられるのかも知れません。

 どのような口碑が伝わっておるのか、私はそれすら知りませんでした。

 塚は、峠を行き来する人たちの手によって清らかに保たれ、花の絶えることはありません。

 峠の守り神のような存在でもありました。

 塚とはいえ、峠道のすぐわきにあって、木立も切り払われた日の射す明るい場所です。

 塚森のような、子供の恐がりそうなおどろどろした暗さはありません。

 そのような人目にもつきやすい場所の、なにを娘が気に入ったのかは分かりませんが、特に気に病むようなことではないように思えました。

 そう云う私を、妻はそれだけではないだと眉をひそめました。

 気がかりとは、その塚についての娘の話でした。

 桔梗は、七塚すべてが空だと話すのだそうです。どういうことかと重ねて訊ねると、塚には誰も眠っていないと。

 さらに、しかしかつては誰かが眠っていたはずだともいい、不思議そうに首を傾げるのだと云います。

 私はそれまで七塚について気にとめたことはありませんでした。

 村に滞在する時間は短く、他に気がかりとすることも多くそこまで気が回らなかったともいえます。

 気を回す必要もないとも判じていたのかも知れません。

 それでも、まったく耳にしたことがなかったわけではありません。

 確か、塚守がいると聞いたことがありました。

 それを訊ねると、妻は知らぬと答え、しばらく黙したのちに、ぽつりと言い添えました。

 桔梗は一度だけ、塚守も喰われてしまったようだと話したことがあるというのです。

 その時は、なんのことか分からず気にとめもしなかったらしいのですが、今となってみるとなんとも不気味な言葉です。

 塚に葬られる人々は、心安らかに逝かず、この地につながれることが多いといいます。

 その思いは時として魂を貪り、悪しきものへと変じることがあります。

 塚守はそのようなことを防ぐために、塚を護り、死者の魂を護ることを務めとしておりました。 

 その塚守の存在を妻は知らず、娘はさらに不吉なことを口にしたというのです。

 私はにわかに不安な思いに駆られました。

 桔梗の所在を訊ねると、今日も居所が知れないと云います。

 いつものことなので、とくに案ずる必要はないのかも知れません。

 それでも気がかりでした。

 娘の身の上にもしやのことがおこるとはとうてい考えられませんでしたが、そういうことではない、なんとも厭な心地がするのです。

 そういう急な心の波立ちをつい面に出してしまったようで、妻が不安げな表情で私をみつめておりました。

 私は慌てて取り繕いましたが、妻の疑念を払拭することはできなかったようです。

 共に暮らした時間は短いとはいえ、私たちは夫婦であり、桔梗の母親でもあるのです。

 妻としての、また母親としての勘が働いたのでしょう。

 彼女の顔色は依然優れぬままでしたが、私の言葉にあえて疑念は挟まぬつもりであるようで、ついになにも云いませんでした。


 私は長に挨拶してくるとして言い残し、母屋に向かいました。

 すでに長と言葉を交わしたことは伝えずにいたので、妻に不審に思われるおそれもありませんでした。

 できるなら娘を探しに行きたかったのですが、どこにいるのか私にもわかりません。

 七塚におれば話ははやいのですが、なんとはなしに其処にはいないだろうという気がしておりました。

 そういう勘は大抵当たるので、私は堪えて待つことにしたのです。

 長は母屋の座敷におりました。

 このあたりでも長老格の老齢で、日長のどかに過ごす人でした。

 私もこの義父にだけは、心を偽ることはしませんでした。

 実際に経てきた時間は私の方が長いかも知れませんが、生きてきた「私」の時間はまだ短く、さほどのことでは狼狽えぬ経験の豊かさではとうてい叶いません。

 長は穏やかに腰をおろすようすすめました。

 私の顔を見ただけで、その用件とは桔梗のことだと察しがついたようでした。

 私はまわりくどいことを好みません。

 すぐに七塚と、その守について訊ねました。

 孫娘の奇行は祖父の耳にすでに届いていたのでしょう。

 長はどのような心情もあらわさず、ただ落ちついた口ぶりで淡々と答えてくれました。

 七塚に眠る亡き人々がどのようなゆかりをもつのか、詳しい口碑は伝わっていないのだといいます。

 ひとつだけ大きな塚石の主は、真景まかげさまといい、いずこかの都から落ちのびてこられたそうです。残りの塚石は、おそらくその従者の方々のものなのでしょう。

 この地に住みつかれて順々に亡くなられたのか、それとも何かしらの災禍に襲われて、非業の死をとげたのか。

 その死の真相は定かではありません。

 塚守がいた以上、おそらくは穏やかな死ではなかったのでしょう。

 長はそこまでは語りませんでしたが、わざわざ言葉にせずとも容易に見当はつきます。

 そして塚守が、いずれの家の誰が努めておったのか、長も知らないといいます。

 長が子供のころには確かに居たようだが、いつ居なくなってしまったのか、誰も知らないし、気づいてもいなかったというのです。

 塚の守人の筋が何故伝わっていないのか。それは絶えてしまったからでしょう。そして、その血筋について伝わっていないことに、私は不安を感じました。

 血筋が絶えるということは間々あることです。

 しかし、その筋の痕跡すら消えてしまうことは、そうあることではありません。

 

 塚守も喰われてしまったみたい。


 幼い桔梗の声が、傍らで響いたような気がしました。


 夕刻になって、桔梗はようやく帰ってきました。

 私の顔を見るなり破顔一笑。

 とうさん、おかえりなさい。とはしゃいだ声をあげて駆け寄ってきます。

 妻に似て優しげな風情の幼子ですが、無邪気でいささか元気の良すぎる、腕白小僧のような一面も持ち合わせています。

 今日はどこまで行っていたのかと問うと、國見のお山までと答え、あっという顔をしました。そしてくしゃくしゃと笑い、母には内緒にしてくれと頼んできました。

 同じ血を引く私には、ありのままを答えても障りのないことを承知しているのでしょう。

 すでに、己が他の子らとはいささか異なるたちであることをも理解しているようでもありました。

 それにしても、國見の山とは。

 村は香里の邦の邦境に近く、邦の中ほどにある國見の山とは離れています。

 並の大人でも二日ないし三日はかかるでしょう。

 まわり薬師である私とて、そう易々と越えられる距離ではありません。

 それを五つの子が、少しばかり遠出してきたような口ぶりで話すのです。

 朝から出かけていたのかと問うと、そうだと答えます。

 香里のお山は優しいから好きですと話し、その頂からの眺めをうっとりと語りました。疲れたような素振りもありません。

 いったい、どのようにして行き来しているのでしょう。

 私の足でも遠くて大変なところだよと伝えると、桔梗は不思議そうな表情を浮かべました。

 渡っていくだけなのに、とそれのなにが大変なのかと逆に訊ねてきます。

 渡る、とはどういうことなのか。

 私の足は確かに並の人よりは早いでしょう。それでも、歩くという行為に変わりはありません。

 それを、桔梗は<渡る>と言い表すのです。おそらく、歩くという行為ではないでしょう。幼心に歩くということとは区別して、渡ると話しているのでしょう。

 けれど、それがどういうことなのか、私には皆目見当もつきません。

 お前はどうやっているのかと問うと、娘は岩から岩へ飛び移っていくようなものだと答えます。

 離れすぎていれば難しいが、香里のお山は近いから充分飛べるとのことでした。

 村と國見の山の間をどうやって<飛んで>いるのか、私には想像もつきません。

 ただ、高旗の筋の娘が特別だということは、こういうことなのかと、つくづく思い知らされたのです。

 思いがけない娘の言葉に、危うく肝心の塚のことを失念するところでした。

 どういうわけか、娘の話にさらに不安が強くなり、思い出すことができたわけです。

 私は遠回しにはせず、簡単に塚と塚守のことを問いました。

 桔梗は、これもたいしたことではないように、七塚には確かに七つのなにかが眠っていたことと、それが今はいなくなっているということを口にしました。

 まるで、羽化した蝉の抜け殻を見つけたというような口ぶりでした。

 さらに、そのなにかが塚守を喰ってしまったようだとも話してくれました。

 娘の言葉はおそらく真実です。

 けれど、それは少なくとも彼女の祖父の若いころに起こった出来事の筈なのです。

 それを何故、幼い桔梗が知っているのでしょう。

 何故、そのようなことまで分かるのかと問うと、桔梗はにいっと笑ったのです。

 

 だって、私がそれをくってやったんだもの

 

 なにを云っているのかと絶句する私に、桔梗は尋ねます。

 

 だって、父さんだって喰らったでしょう

 

 ゆるゆると、恐れとも驚きともつかぬものがこみあげてきました。

 私の目の前にいるのは、いったい何者なのでしょう。

 

 私は思わず、口走っていました。

 そんな得体の知れないものを喰ったりはしないと。


 桔梗はにたりと笑います。


 不味くはなかったわ、と。




<了>

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