和泉さま 弐、或深(あるみ)の水
十七の年に、私は室瀬の邦の或深の村に嫁いだのでございます。
相手は室瀬の國見の山の山守の青年で、鷹矢と申しました。
彼はその名の如く、鷹のように鋭い目をもっておりました。
鷹矢が父の後を継いで山守となったのは、十五の年だったそうです。山守となるにはやや若すぎる年でありましたが、先代が急死したので、やむを得ない仕儀でございました。
私が彼と出会ったのも、そのころのことでございます。
そのころ、私は十四になっておりました。
そろそろ縁談もこようかという年頃でしたが、相変わらずの旅暮らしで、父もまだ私を手放すことは考えていなかったようでございました。
私のさまよい歩きはいよいよ酷くなり、ほとんど父の元へも戻らぬような次第でございました。
父が次の村へと向かう日にちは見当がついておりましたので、足手まといとなることはございませんでした。
國見の山は、邦々(くにぐに)の國鎮めの要となる大切な山でございます。
山守の他、人が立ち入ることは滅多となく、かといって、立ち入りを禁じられているわけでもございません。
山を荒らし、山護の神のお怒りを買うようなことさえしでかさねば良いのでございます。
その加減が難しいので、人は滅多なことでは山に立ち入りませぬ。
私は山守の血筋ではございませんでしたが、生まれもってその加減を承知していたようでございます。
少なくとも、夫となる鷹矢はそう考えているようでございました。
室瀬の國見の山は、岩場の多い、切り立った雄々しくも荒々しい山容をとっておられます。香里の國見の山とはまことに対照的なお姿でございます。香里の國見の山は、優しくなだらかな美しい山容を持つ御諸山でございます。
同じ國鎮めの要と申しても、お国のようすを体現すように、山のお姿も大きく異なるものでございます。
室瀬の國は山も海も深く、荒々しくも恵まれた地でございます。
その國見の山の岩場の一つで、私と鷹矢は出会ったのでございます。
鷹矢の幼なじみで、或深の村の水守でもある楡野殿によれば、私たちの出会いそのものが神のお膳立てだったそうでございます。
私が十五の時に、鷹矢は父に婚姻を申し出て、許されたのでございます。
そして、私は十七になってようやく鷹矢のもとへ嫁ぎました。
それから数年、父は一人で西国をまわっておりましたが、病を得て高旗の邦へ帰っていきました。それ以来、父とは会っておりません。
かわりに、従弟の洸殿がまわり薬師のつとめを果たしております。
洸殿は或深の村を訪れるたびに、必ず私のもとにも顔を見せてくれます。その度に父の様子を語り、父からの便りを渡してくれました。
そんな洸殿が娶ったお相手も、香里の邦の女人だそうです。
お話がそれてしまうのは、私の悪い癖の一つでございます。
鷹矢もそういって、度々笑っておりました。
「だからこそ、退屈しない」ともいって、そんな私を愉快がって許してくれてもおりました。
山守にふさわしく、気持ちの大らかな、呑気でのどかな人でもありました。
私たちの婚礼の祝の席で、楡野殿は酔ってこんなことを話しておられました。
「鷹矢、お前は果報者だぞ、まわり薬師殿の娘子を嫁に迎えられたのだ。しかも、想い人をな」
「確かに俺は果報者に違いないが、それは楓も同じだぞ。楓は神里の裔だが、我ら守人も神人の裔に違いない。もとを正せば、筋は同じぞ」
「しかし、我ら守人は世代を経て久しい。それにひきかえ、楓殿は高旗の次の子よ。その血は 高旗に還る」
「それは我らも同じ」
鷹矢も楡野殿も頑としてゆずりませんでしたが、父の一言で二人は互いに折れたのでございます。
「神人の血は、<まな>の地に広く長く散る。世代になぞ、意味はない」
<まな>は五十の邦からなる、吾等が故郷。全てのクニの総称(名)。
神人はその上古、<まな>を守った人々だと伝えられております。
或深の里は、平野の端にございます。
北と西に山々を控え、その山麓に源をもつ川がございます。
その水源である泉の守人が、楡野殿でございました。
水守も山守も、もとは同じ守人の筋でございます。
鷹矢と楡野殿も同じ血筋で、お互いにひとり子ということもあって、兄弟のように育ったそうでございます。
山守は留守がちですので、それも仕方のないことでございました。
鷹矢のもとに嫁いで間もなく、私も夫の留守を守って一人で過ごすことが多くございました。
もともとさまよい歩きをして、多くの時をひとりで過ごしてきた身でございます。
いまさら夫の不在がちを淋しく思うことはございませんでした。
私は嫁いでのちも、相も変わらずさまよい歩いておったのでございます。
そうなっても、山守の妻と云うことで、奇異の目で見られることはございませんでした。
守人の筋は、まわり薬師の筋と同じく、常ではないものと見なされておりました。
そのことが、私にとって幸いであったのかどうかは、未だ分からぬことでございます。
生まれもっての旅暮らしの性。一所にじっとしておられぬのは、夫も同じことでございました。
その点、水守である楡野殿はまったく対照的でございました。
泉を護って、一時たりとも、そのほとりを離れることはございませんでした。
私と鷹矢の婚礼の祝の宴に参じて下さったのが、唯一の例外でございます。
その日、私は楡野殿の護る泉を訪れておりました。
雪解けの時季を迎え、鷹矢は山に入ったきりで、すでに十日ほどたっておりました。
「鷹矢がそろそろ戻って来るころではないのか」
楡野殿は、熊手で泉のおもてに浮かんだ枯れ葉をかき集めておりました。
雪解け水に流されて、去年の秋に散った木の葉が運ばれてくるのでございます
「あと数日は戻らないでしょう」
「もうそんなことまで分かるようになられたか」
楡野殿はからかうようにお笑いになりました。
「その程度のことならば、以前から分かっておりましたわ。でなければ、私は年に一,二度しかこの村にやってこられなかったのに、そうそううまく出会えるわけがありませんでしょう」
國見の山は広く、その山をくまなく歩き回る鷹矢と、なんの前触れもなく年に一度か二度しか村を訪れなかった私が出会うことは、そうでなくとも難しいことでございました。
楡野殿にも話したように、なんとなく鷹矢がどこにいるのか分かったのでございます。彼も同じような具合だったそうでございます。
「ほんに不思議な縁をもつ二人よな」
熊手で枯れ葉を岸に引き上げながら、楡野殿は感心したように呟いておられました。
「人と人の縁とは、そのようなものでございましょう」
「必然であると申されるか?」
「父はすべてが必然であると申しておりましたが、それは吾等の預かり知らぬところで定まるものとも話しておりました。肝心なのは、その縁を大切にすることではありませんか?」
「ほんに楓殿は不思議なお方よな。鷹矢は、あれはただの変わり者だが、楓殿はそうではない」
「私も変わり者でございますよ。父は私たちのことを、似たもの同士でよう釣り合いがとれていると笑っておりました」
「似合いの夫婦だという点は、私も同意するが」
泉のおもてはすっかり綺麗になっておりました。明日にはまた木の葉がいくらか浮いておりましょうが、楡野殿がおられる限り、にごるようなことはございません。
この泉もまた、人里離れた緑深き谷間にございました。
周りを山守と水守しか立ち入らぬ林野に囲まれ、そのさらに奧には國見の山がそびえております。
西国五カ国をまわり、ありとあらゆる泉の有り様を見てきたと云っても過言ではない私の目にも、この泉の在処はめったとない美しさでございました。
「まことに、いつきても美しい泉ですね」
ほとりに座って、私はつくづくと申し上げました。
楡野殿は我がことのように、嬉しげに顔をほころばせておられました。
「この泉水は國見の神のご加護も深く、和泉さまの守りもある。稀有な泉と申せますな」
「……和泉さま?」
「ご存知ないか、楓殿ともあろう方が」
楡野殿は心底驚いておられるようでした。
和泉さま。
忘れるはずがございません。
「ひかりさまの……おつきの方なら存じておりますが」
その名を口にしただけで、身の内から震えがこみあげてくるような心地でございました。
「ひかりさまとは、ひかるさまの間違いではないか」
「ひかるさま……むあの都の……?」
その言葉を口にすることは憚れる。それは或深の村ではそうではないのでしょうか。
恐る恐る口の端にその言葉をのせた私に、楡野殿は小さく首を振りました。
「やはりご存知ではないか」
「……何故、和泉さまがこの地に?」
「落ちのびてこられたひかるさまは、この地で成人され、都から付き従ってこられた和泉さまと夫婦となられたそうだ。和泉さまは殊の外この泉を愛されたので、ひかるさまは先に亡くなられた和泉さまをこのほとりに葬り、ご自身は國見の山へ深く分け入っていかれた。そう、代々の水守は語り継いできた」
楡野殿は、厳かな口ぶりで呟くように語ったのでございます。
それは私が哉羽の村で聞いたお話とは、大筋ではそうかわらないものでした。
しかし、どういうことでございましょう。
ひかりさまは哉羽の村で幼くして亡くなられ、和泉さまもあの泉水のほとりで眠っておられると聞かされたはずでございます。
どちらが真なのでございましょう。
私には、どちらも真のように思われました。
黙り込んだ私を、楡野殿が気遣うように見つめておられます。
それを分かっておりながらも、じきにお答えすることができませんでした。
哉羽の水守殿も、私の父も、このお話を忌避しているような節すらございました。
それなのに、楡野殿は懐かしい古語りでもなさるように口にされます。
どちらが真なのでございましょうか。
哉羽の泉のことを、私は楡野殿にお話しすることはついにございませんでした。
鷹矢にも語ることはありませんでした。彼には話すおりがなかっただけかもしれませんが、どんなことも夫に話さずにおれなかった私が唯一秘めたままだったお話でございます。
私は三人の子に恵まれました。
二人の息子と、一人の娘です。
上の息子は山守となり、下の息子は高旗のまわり薬師となりました。
私の父の後を継いだ洸殿には、娘子しか授からなかったのでございます。
私の娘は洸殿の伝で、南海五国の犀葉の邦に嫁ぎました。
高旗の血は、<まな>の地に広く長く散るのでございます。
了