襲来
「酷くなってきたな」
「……そうだね」
二人が部屋に戻ってから数時間後、船は激しく揺れ始めた。
イカリの言う通り、嵐がやって来たのだ。
この世界の船には幸いな事に、様々な魔法がかけられている。
その一つが保護魔法であり、船が傷つくのを防ぐのだ。
とはいえ、ここまで揺れると流石に心配になってくる。
「うん? なに書いてんだ?」
「ああ、日記だよ。この三日間で色々な事が分かったからね」
そんな揺れの中、奏慈は日記を書いていた。
この三日間で分かった事は沢山ある。例えば、オアシス減少の件だ。
イカリが調査した結果、オアシスの減少は人為的な物と分かった。
中光が政変を起こす為に、密かに干上がらせていたらしい。
「そういえば、フィーの事も色々聞かれたっけ」
「うん、実は聞きたかったんだ。『リング』という名字について」
そうして聞いた中には、大して重要でない事も含まれる。
今まであえて聞かなかったが、良い機会なので聞く事にした。
それによると、キュバス族は元々砂漠に住むサソリだと言う。
そのサソリに魔王が力を与えた事で、キュバス族は生まれた。
つまり、今居るキュバス族は全て魔王リングの子孫なのだ。
リングという名字を持っているのはある意味、当然と言える。
「――っと、こんな所かな」
「お疲れ。じゃあ、寝るか」
「ああ、そうしよう」
ひとしきり書いた所で奏慈は筆を置いた。
揺れが酷い。続きは明日にでも書けばいいだろう。
「な、なんだ!? 揺れが……うわあああああ!!」
そう思った次の瞬間、凄まじい揺れが二人に襲い掛かる。
その衝撃で藍は壁に叩きつけられ、奏慈も床に転げ落ちた。
それでも奏慈は立つと、急いで藍の元に向かう。
「藍、大丈夫か!?」
「だ、大丈夫だ……オレは平気だぜ」
「ふう、それは良かった」
幸い、藍は怪我をしておらず、青痣ができただけだった。
奏慈はホッとするも、揺れはまだ続いている。
「で、でも、一体なんだったんだ?
さっきまでの揺れと訳が違うぞ」
「……何かあったのかもしれない。甲板に行こう!」
「あ、ああ、分かった!」
本当は部屋に籠っておくべきだが、これは只事ではない。
この揺れは嵐以外の何かがある。
そう感じた奏慈は藍と共に、甲板へ向かって走り出す。
「あっ、二人が居る!」
「フランさん達も何か可笑しいと思ったのか……」
奏慈達が辿り着くよりも前に、フランとボーアがそこに居た。
二人は武器を構え、目の前に居る何かを睨みつけている。
「私達も加勢します!」
そんな二人の横に奏慈と藍は合流し、武器を構えた。
誰が相手でも臆する訳にはいかない。
「ふん、来たか」
「加勢、感謝しますわ!! でも、気を付けて下さいまし!」
「はい、気を付け……って、これは!?」
そう意気込んだのも束の間、奏慈は驚愕する事になる。
二人の目の前に居たのは、巨大なタコの化け物だった。
「な、なんなんですか、コイツは!?」
「見ての通り、大ダコですよ。船を襲う海の魔物です」
奏慈が大ダコに驚く中、イカリも解説しながら合流する。
大ダコはこの世界の危険な魔物の一つだ。
船よりも大きいものの、その性格は大人しいものが多い。
だが、獲物を見つけると容赦なく襲いかかり、海に引き摺り込む。
それでも普段は海底に潜み、海面まで上がってくる事は殆ど無いという。
「そんな魔物が現れた……カンナギ、油断するなよ」
「は、はい!」
ボーアにそう言われ、奏慈は剣を握り直す。
とても人が戦えるような存在に思えない。
しかし、ここで逃げ出せば、船は大ダコに沈められるだろう。
奏慈は覚悟を決め、その手を黒く染めていく。
「止まれ!」
奏慈は時を止めると、一番近い触手に向かって走り出した。
大きさからして大ダコを一撃で倒す事は不可能。
なら、攻撃手段を減らす。触手が減れば、戦い易くなるだろう。
「なに!? ぐああ!!」
そんな時の中を無数の触手が動き、奏慈の行く手を阻む。
思ってもいない出来事に奏慈は驚いた。確かに時は止めた筈だ。
その隙を突かれ、奏慈は触手に捕まる。
「く、くそ……なんて力だ」
奏慈はすぐに脱出を試みるも、触手の力は強かった。
神聖魔法で強化した腕でも抵抗できない。凄まじい力だ。
「吹雪よ!」
そんな奏慈を助けるべく、イカリは無数の霰を触手にぶつけた。
霰は次々に刺さっていき、御蔭で触手が少し緩んだ。
「い、今だ!」
奏慈はそれを見逃さず、触手を叩き斬って脱出する。
「す、すみません……助かりました」
「いえ、気にしないで下さい」
そして、そのまま四人の傍に戻った。
時止めだけで勝てる相手ではないようだ。
それを理解した奏慈は息を飲み、大ダコを見つめた。
「それに一つ分かりました。あの大ダコに時空間魔法は効きません」
「つまり、時止めは勿論、位置入れ替えも不可能か……」
「で、でも、野生の大ダコが耐性を持つ事なんてありますの!?」
それは四人も同じようで、大ダコを見つめながら考察する。
普通の大ダコに時空間魔法の耐性など存在しない。
「……という事は、野生じゃないんだろ」
ボーアのその言葉に、全員がハッとした。
突然の嵐に、耐性を持った大ダコの襲来……偶然とは思えない。
裏で誰かが操っていると考えた方が納得できる。
「ウルトルクスか」
そう、そんな事ができるのはウルトルクスしか居ない。
魔物使いのツヴァイなら大ダコを操る事も可能だろう。
「だとすれば、ツヴァイはどこに?」
「恐らく、遠隔操作です。近くに居ないでしょう」
「この大ダコの大きさなら、大雑把な命令でも良さそうだしな」
そうなると、話は変わってくる。
魔物使いの個体は野生の個体よりも遥かに賢い。
現に時止めした奏慈を一瞬で捕まえ、無力化した。
最悪の場合、奏慈だけを捕まえて、船を叩き壊す可能性もある。
無暗に攻撃するのは危険だ。五人は大ダコを見つめたまま考える。
「……私が囮になります」
そうして考え抜いた末、奏慈は力強くそう言った。
「なっ、何を言ってますの!? 相手の狙いは!」
「だからこそです。私が狙いなら、逆に分かり易い。
逃げて逃げて、翻弄してやります」
「成程……良い作戦ですね」
「ちょ、イカリまで!?」
大ダコの狙いは奏慈だ。奏慈が逃げれば、その目は奏慈に向く。
なら、それを利用しない手は無い。
奏慈に気が向いてる内に触手を斬り、大ダコを一気に弱らせる。
「よし、それでいくか」
「……奏慈、気を付けろよ」
「ううん、ああもう分かりましたわ! それでいきますわよ!」
「ありがとうございます! 皆さんこそ、気を付けて下さい!」
こうして五人は動き出した。奏慈は両足に力を込め、走り出す。
その足は黒く染まっており、神聖魔法で強化されていた。
御蔭で無数の触手に追われても、軽々と躱していく。
「アタシ達も続きますわよ!」
「ああ!」
それを見た四人は安心し、触手に向かって散っていった。
大ダコの目は奏慈に向いており、四人に気づいていない。
「弾けろ!」
「切り裂け!」
「叩き壊す!」
「凍りなさい!」
その隙を突き、四人は同時に触手を攻撃する。
フランは触手を爆破し、ボーアは疾風魔法で切り裂く。
そして、藍は触手を叩き潰し、イカリは凍りつかせた。
これには大ダコも堪らず、その身を捩らせる。
「今です! 本体に攻撃を!!」
今なら攻撃が通るだろう。奏慈は大ダコに剣を向け、振り下ろす。
「ま、待って下さい! 大ダコはまだ!!」
「えっ、うわああああ!!」
しかし、大ダコの攻撃手段は触手だけではなかった。
大砲のような大きな口……そこから火炎の息を吐き、奏慈を包み込む。
その温度は中光の炎より低いものの、奏慈を焼くには十分だ。
「奏慈!!」
「今行きますわ!」
フランと藍はそれを見て、すぐに助けに向かう。
「なっ、触手が!?」
「復活……している?」
だが、そんな二人の前に無数の触手が立ちはだかる。
触手は全て破壊した筈だ。なのに、これは一体?
「邪魔だ!!」
「吹き飛びなさい!」
混乱する中、二人は触手を破壊し、前に進んだ。
それでも新たな触手が立ちはだかり、奏慈に近づけさせない。
「……耐性だけではなく、回復速度も上げられているようですね」
四人は確かに触手を破壊した。
破壊したが、それは一時的な物だったらしい。
大ダコは破壊された端から再生させ、触手を復活させる。
これでは焼け石に水だ。痛みを与えても、倒せない。
「……な、ならば!!」
「奏慈!? だ、大丈夫なのか!」
「大丈夫だ! それに良い事を思いついた!
黙って聞け!!」
奏慈もそれを理解し、この状況を打開する方法を思いつく。
その方法とは、大ダコを突き飛ばすという物だった。
一見すると不可能に思えるが、今の奏慈ならそれは可能だ。
「だから……少しの間、お別れだ」
「ま、待って!!」
奏慈は制止を振り切って、大ダコに体当たりを食らわす。
火事場の馬鹿力と言うべきか、その威力は凄まじかった。
大ダコはタンポポの綿毛を飛ばすように、空へ吹き飛ぶ。
そして、そんな勢いで体当たりをした奏慈は海に落ちた。
「奏慈!! っと、えっ?」
それを見た藍は奏慈を助ける為、急いで海に飛び込む。
しかし、飛び込んだ先の海は硬く凍っていた。
困惑する藍に、船の上から三人の声が聞こえてくる。
「こんな嵐の中、海に飛び込むのは危険です!
すぐに戻ってきて下さい!」
「そうですわ! 今は嵐を抜けるのが先です!」
「うるさい! この氷を早く溶かせ!!
奏慈は焼かれていたんだぞ! このままじゃ死ぬ!!」
藍はそう言うと、モーニングスターを構えた。逡巡する時間は無い。
「それはボク達も分かってる! だが、奏慈も言ってただろ?
『少しの間、お別れだ』って! それを信じるんだ!!」
「……くっ、奏慈」
三人に説得され、藍はしぶしぶ甲板に戻ってきた。
嵐はまだ続いている……藍は奏慈の無事を祈るのだった。
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