本心
「そ、そんな……」
「は、はは、ざまあみろ!!」
薄暗い空き地に、男の高笑いが響き渡る。
放たれた矢はイリディの頬を掠め、ボーアの頭を貫いた。
イリディはそれを見て、思わず膝を突く。
「この……外道め!」
「ごふ!?」
だが、それで意気消沈するほどイリディは弱くない。
すぐに男を殴り飛ばし、ボーアの元に向かう。
「どうして、こんな事ができるのよ……」
ボーアを自身の膝に寝かせ、イリディは怪我の具合を見る。
それは酷いの一言だった。血が穴から溢れ、内部は抉り取られている。
意識も混濁しており、生きているのが不思議なレベルだ。
これを後遺症もなく治すのは不可能に近い。死ぬのは時間の問題だろう。
それでもイリディは諦めなかった。最後の希望は残されている。
「……大丈夫よ、君はわたしが助ける」
イリディは覚悟を決め、ボーアの頭に両手をかざす。
ボーアを治すには、神聖魔法を使うしか無かった。
「うっ、がは!?」
しかし、神聖魔法を使うという事は死を意味する。
それに今回は大怪我。死だけではすまないかもしれない。
ほんの一瞬だけ、イリディの中に迷いが生まれる。
「はあはあ……」
その迷いも、今にも死にそうなボーアを見て消え去った。
イリディは間もなく、その両手から黒い光を放ち始める。
「お、おねえさん?」
「大丈夫よ。悪い人達は全員、お姉さんがやっつけたから!
今は安心して、ゆっくり寝ててね」
そうして数分後、ボーアは意識を取り戻した。
だが、混乱した様子で不安そうに声を漏らす。
イリディはそんなボーアに優しく微笑みかけ、安心させる。
しかし、その裏でイリディの身体は黒く染まり始めていた。
「もうちょっと我慢してね。怪我してるから、治さないと」
「う、うん、ありがとうございます」
それをボーアに悟らせず、イリディは神聖魔法を使い続ける。
もう腕の感覚が無い。それに首の所まで黒く染まり始めている。
それでもイリディは使うのを止めない。ボーアの怪我は酷い。
ここで治し切らないと、傷が開いて死んでしまう可能性がある。
それを防ぐ為、イリディは命を懸けて、使い続ける事にした。
「ふう、もう大丈夫よ」
「ありがとうございます! ボク、げんきになりました!」
ボーアは元気よくそう言うと、イリディに頭を下げる。
治療の甲斐あって、頭に開いた穴は完全に塞ぎ切った。
イリディはその様子を見て、ホッと胸を撫で下ろす。
「ふふふ、良かった。あとは、お姉さんと一緒に……」
「えっ、おねえさん!?」
しかし、イリディの身体は限界を迎えていた。
首どころか顔まで黒く染まり、全身の感覚が消失。
眼は見えず、かろうじて耳だけは音を拾っていた。
その為、真面に立てず、歩こうとした瞬間に倒れる。
「あ、あはは、足に力が入らないよ」
「おねえさん……」
ボーアは急いで、イリディの元に駆け寄った。
だが、その姿を見て全てを察する。近づけない。
いや、近づく訳にはいかなかった。自分はフォチャード家の人間。
家を存続させる為、死ぬ訳にはいけない。
「ふふふ、賢いんだね……偉い偉い」
「……えらくない」
「えっ?」
「えらくない!」
でも、本心は違う。本当は身体を支え、医者の元まで運びたい。
今度は自分が助けたいと思っていた。
だけど、近づけない。ボーアは死の恐怖を知ってしまった。
あの黒い身体に触れたら死ぬ。嫡男として学んでいた事だ。
それがボーアの足を重くし、一歩も動かせない。
「大丈夫よ、その感情は正しいものだから」
「で、でも、ボクは……」
そんなボーアに笑みを向け、イリディは慈しむようにそう言う。
その姿は女神その物だ。
「それに、わたしはもう消えちゃうもの」
「えっ、お、おねえさん!?」
次の瞬間、イリディの身体が少しずつ消え始めた。
黒く染まった箇所が薄くなり、透明になっていく。
突然の出来事に、ボーアは思わず手を伸ばした。
そんなボーアを制止し、イリディは優しく言う。
「大丈夫よ、その辛い気持ちもすぐに無くなる……だから、安心して」
「おねえさん、なにを?」
「ふふふ、創造神様、わたしは幸せです。
こんな良い子の為に、命を使う事ができて……」
それが最後の言葉だった。イリディは一筋の光となって消える。
その様子は満足気で、幸せそうに微笑んでいた。
イリディは最後までボーアの事を思い、その人生に幕を下ろす。
「お、おねえさん……」
間もなく、ボーアは意識を失った。怪我は治っても疲れはある。
ボーアはイリディを思いながら、夢の世界へ旅立つのだった……
「――そんな事があったんですね」
「今まで知りませんでしたわ……」
話を聞き終わり、奏慈とフランは消え入りそうな声でそう言う。
あまりにも辛い過去だった。ボーアとイリディは何も悪くない。
なのに、理不尽な運命によって、二人の人生は狂ってしまった。
当時のボーアの気持ちを思うと、いたたまれない気持ちになる。
「だけど、消えたのは何故なんですか?
それにそんな素晴らしい人物なら、その名を聞く事も」
「……簡単な話だ。誰も覚えていないんだよ」
「えっ」
あの墨のような黒は、神聖魔法が身体を破壊した跡だ。
だが、破壊するといっても細胞を壊死させている訳ではない。
もっと恐ろしい概念の破壊を行っている。例えば、指が黒く染まった。
すると、その指は指という概念を失う。機能しなくなるのだ。
そうなれば、もう動かせない。酷くなると、指があった事も忘れてしまう。
「まさか、イリディさんは……」
「そうだ。イリディという概念を失い、完全に消え去った。
存在しない聖女の名前や活躍を、聞ける訳がないだろう?」
「……なんて事だ」
イリディはその中でも、最も重い自己の喪失を経験する。
こうなると誰も助けられない。最初から存在しない事になるのだ。
友人や家族であっても、その存在を完全に忘れてしまう。
「でも、ボーアさんは」
「……何故、ボクは覚えているのか? お前なら分かるだろ」
「そうか……魂に刻み込まれたんですね」
それでも忘れない方法が一つだけある。それは転生の時と同じだ。
魂に刻み込む。それこそ存在しない存在を覚えておく唯一の方法。
ボーアはあの出来事で魂に傷が付き、覚えていられたのだろう。
一体どれほどの怒りと悲しみを覚えたのか。奏慈は心を痛める。
「そんな話はどうでもいい……ほら、さっさと行け」
そんな奏慈をボーアは手を振って追い払う。
約束は果たされた。言われた通り、去るべきだろう。
「いえ、まだ聞きたい事があります」
しかし、奏慈は残り続けた。一番聞きたい事が残っていたのだ。
「……なんだ?」
「ボーアさんの本心です。それを聞けば、私は去ります」
「ふん、大噓吐きだな。さっきもそう言ったぞ」
「お願いします」
「……いいだろう」
ボーアは舌打ちをするも、そんな奏慈の言葉に応える事にした。
応えなければ、テコでも動かない事は目に見えている。
なら、やる事は一つだ。今まで抱えていた思いを全てぶつける。
ボーアは大きく息を吸い込むと、拳を握り締めて言う。
「イリディ様と比べ、お前とアイは何だ!!
お前は戦いの為に神聖魔法を使い、アイは狂って人を襲う!
どこまで聖女を馬鹿にすれば、気が済む!」
「それは……」
ボーアは怒りを解き放ち、そのまま奏慈の胸倉を掴んだ。
それに対し、奏慈は何も言えない。ボーアは続けて言う。
「答えろ!! なんで……お前とアイは死なないんだよ!
神聖魔法を使って、平気でいられるんだ!!」
これがボーアの本心なのだろう。二人は何故、死なないのか?
別に死んで欲しいという訳ではない。でも、イリディは使って死んだ。
同じ聖女と、聖女でもなんでもない異世界人は生きているのに。
認めたくなかった。イリディが死んで、二人が生きている現実を……
「……分かりません。私も知りたいくらいです」
「ふざけるな……ふざけるな!!」
「ボーア!?」
その言葉がボーアの癇に障った。
ボーアは奏慈を殴り飛ばし、一方的に殴り始める。
「答えろ! 答えてみろ、カンナギ!!」
「や、止めて下さいまし! カンナギは病み上がりですのよ!?」
「うるさい!!」
そんなボーアをフランは止めにかかるが、聞く耳を持たない。
羽交い締めしても、振り払って奏慈を殴りに向かう。
対する奏慈はそれを受け入れ、反撃せずに殴られ続ける。
そうして殴り続けること数分、ボーアはやっと拳を降ろした。
「はあはあ……もういい、二度とボクに話しかけるな」
「ちょっと、ボーア!」
同時にそう言い捨てると、踵を返して歩き始める。
それを見たフランは急いで追う。放っておけなかった。
そんなフランを奏慈は手を取って止め、顔を横に振る。
「フランさん、今は追わないでおきましょう」
「で、でも……」
「ボーアさんの為です。一人にしましょう」
「……分かりましたわ」
フランは足を止め、去っていくボーアの姿を見つめた。
その姿はどこか寂し気で、今にも倒れそうだ。
それでも奏慈の言う通り、一人にしておくべきだろう。
フランは唇を噛み締め、自分の無力さを呪った。
「……カンナギ、大丈夫ですの?」
「大丈夫です……ボーアさんには酷な事を聞きました」
「……そうですわね」
奏慈は埃を払いながら、自力で立ち上がる。
助け起こすべきだったが、今はそんな気持ちになれない。
フランは奏慈に対し、怒りが湧いていた。何故、わざわざ聞いたのか?
古傷を抉るような行為だと、分かっていた筈なのに……一体、なんで?
そんな気持ちを知ってか知らずか、奏慈は優しい口調で語り出す。
「口は悪いけど、ボーアさんはずっと優しい人でした。
私が黒くなった時、誰よりも心配してくれたし。
藍が暴走した時も、反撃せずに逃げ続けてた。
誰よりも優しい心を持っている人間……それがボーアさんなんです」
「……ええ、ボーアはそういう人ですわ」
その言葉をフランは肯定する。
そんな人だからこそ、フランはボーアを愛していた……
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