【学校と工房】
【作戦会議】
工房での出来事から数ヶ月、私達は圧倒的な速度で学力を伸ばしていた。それもそうだ私達の先生は希代の天才「工房の妖精」とその助手なのだ。さらに教頭先生、つまりダリア先生は医療の最前線を走って来た凄腕の医師であり、教育者でもある。その三人が外部顧問と顧問を務める部活「医療義肢技術研究部」の部員である私達五人が中途半端な成績を取れるはずがない。とったらどうなるかすら考えたくも無い。
私達の成績は上から順に学年一位が私、そしてローラン、アーチー、バジル、アゼリアとなっており、はっきり言ってこの部活は人気が無くなっていた。なぜなら、運動神経抜群のおバカさんで通っていたアゼリアが学年五位になっているのだ。周りからすれば異常事態、天変地異、地獄の特訓の成果にしか見えない。部活が設立されて数ヶ月でそれなのだ。誰もが圧倒的な詰め込み教育をされる部だと思って当然だ。実際最初はアゼリアは勉強を嫌がっていた。しかし、オリヴィアさん相手に勉強嫌いは不可能と言って良い。彼女の選ぶ本は圧倒的なほどにその読者に、つまり生徒の好みにマッチした物を選んで渡される。最初は動物図鑑から入った。オリヴィアさんとマスターの解説付きの動物図鑑。いっそ出版したらひと財産築ける代物だ。その効力は凄まじく、アゼリアは毎日それを読みふけっていた。柔軟運動をしながら本を読む姿をよく見かけた。次にアゼリアが渡されたのは解剖学とスポーツの教本。これもまた穴が開きそうなほど読みふけっていた。スポーツと動物と解剖学、彼女は人体の構造に詳しくなっていた。そこだけなら学年一位の私と互角の会話が出来るほどだった。そこから彼女は変わった。本を片手に理論的な運動をするようになった。彼女は今まで先天的な運動神経で強かったが、それに理論という裏付けが付いたのだ。いよいよ誰も勝てなくなった。強すぎるが故に部活の助っ人に呼ばれなくなり、体育の授業で教える側を務めるほどだ。助っ人に呼ばれなくなって暇になった彼女は面白いことを思いついた。ヒョロガリのよわよわアーチーに目をつけたのだ。彼をどこまで機能的な筋肉のマッチョに出来るか実験が始まった。まずは食事、次に運動で彼をまず標準体重まで太らせた。理論的な食事と理論的な運動、そのあまりにも理にかなった教育は徐々にだが実を結んでいた。アーチーの運動神経が徐々に良くなってくるのに焦り、ローランとバジルもアゼリアの実験に参加しだした。運動の出来るアーチーが出来上がってしまったら彼らの立つ瀬がない。それぞれに合った運動量や食事量、トレーニング内容は彼らを徐々にだが確実にマッチョに近ずけていた。一方で私はアゼリアから美しい体作りの実験に使われていた。食生活と適度な運動、美容的要素を含んだ肌のケアや筋肉の付け方。自分で言うのも何だが私はかなり健康的な見た目になったと思う。文武両道それが「医療義肢技術研究部」のスローガンとなって行った。
そして入学後初の大イベントが到来した。
「文化祭」それは文化部であるはずの我が部活に物議をかもした。アスク医療専門学校の文化祭の日数は二日間、一日目が展示と出店、二日目は舞台と出店となる。展示と舞台はクラス単位か個人、出店は部活単位で行うのが基本で、出店の利益は丸々部費として換算される。ここで困ったのが、私達の部は出来たてで初期費用が無いのだ。つまりゼロからのスタート、むしろ何か売るとなればマイナススタートとなるのだ。
部室で始まった会議はもめにもめた。どうお金を工面するか、そもそも何を売るか。そんな時、我らが頭脳、柔軟な発想の持ち主、冷静沈着な我らが策士、最近血色の良くなってモテ始めた「アーチー様」が名案を出す。
「アクセサリーを売りましょう…材料は工房の試作品の残骸、製作は僕がします…あとアイリスが手伝ってくれるとありがたいです。男性向けはローランが、女性向けはアゼリアが売りましょう…バジルは遊撃って感じでメインはローランに指示に従うってのはいかがでしょうか?」
名案だった、むしろ私達はそれ以外の良案すら思いつかなかった。むしろそれで行く気しか無かったと行って良い。
「大丈夫かな?他に案があれば…」
いつもの調子で自信を失っていくアーチーにみんなは慌ててフォローを入れる。もうそれがフォローと言うより文化祭の出店方針の決定、私達の作戦会議へと発展して行った。
特にアゼリアはアーチーの案が気に入ったのか率先して発言を繰り返した。
「はい!目玉商品があるといいと思う!あと!私デザインしてみたい!あと!あと!全体のコンセプトが揃ってるといいかもね!そうだね…例えば動物とか!」
アホの子と呼ばれていたアゼリアが的を得たことを言っている。私達はそんな些細な幸せを噛み締めていた。子供の成長を見守る親の気持ちを疑似体験した気分だった。ローランだけが相変わらず鈍感なのか、真面目だからなのか、アゼリアの発言に真剣に返答をする。
「コンセプトは師匠達へのリスペクトを込めて動物と義肢をモデルにしよう。目玉商品は…マスターに許可を取って小さなハチドリのネックレスなんてどうだ?アゼリアのデザイン担当に関しては俺も賛成だ。」
ローランは工房のマスターの事を師匠と呼ぶ。それほど尊敬しているらしく、一種の信仰心すら感じるほどだ。師匠の言う事はよく聞くし、何もかも話したことや教えて貰った事をメモした「師匠ノート」が着々と増えている。
話は戻るが、師匠達つまりマスターとオリヴィアさんが経営する「猫ノ手技水工房」の作品にはあるルールがある。それは動植物をモデルにしていること、その人への願いや未来への希望を込めること、この二つだ。私達はそれを良く知っているし、その考え方を深く愛している。私達の出店のコンセプトはマスター達へのリスペクトに決まった。
次の議題はハチドリのネックレスの件だ。これが難しい。確かにハチドリのデザインをすれば売れる、それこそ飛ぶように売れる。なぜなら、マスターのデザインしたハチドリということは、有名な小説家の公式アイテムと言って良い。小説家の大ファンのダリア先生が買い占めそうな代物だ。それを文化祭で工房から直接指導を受けている生徒達が売る。これはいっそズルと言われても仕方ない。知名度が強過ぎるのだ。
「出店の目玉商品どころかオークションが出来るぞ…」
バジルの呟きが再びアーチーの頭脳に閃きを与える。
「二日目の舞台で…オークションをしましょう…それとハチドリの商品については…マスターと小説家の方に許可を取れば大手を振ってうち出せます…」
そう言ってアーチーはブツブツ呟き出す。本人は気づいてないが、考える時の動作がマスターにどんどん似てきている。まるで親鳥を追いかけるひな鳥のようで微笑ましい。
最後の議題はデザイン担当の決定だ。これは全員アゼリアを推薦した。動植物への理解や造形に最も詳しく、明るい性格の彼女なら良いものをデザインするだろう。そしてアクセサリーに落とし込むためにアーチーが最終調整をする。私達の作戦が始まった。
そして話し合いが終わった時、職員会議終わりのダリア先生が疲れた様子でやって来た。
私達はイタズラっぽく目配せしてダリア先生を誘惑する。「有名小説家の公式アイテム欲しくないですか」っと。
一瞬だった。一瞬でダリア先生の目が輝き、年が数十歳若返ったように飛びついて来る。
「どこで発売!?いつ出るの?どこからその情報を?」
ダリア先生の質問攻めにローランがニヤニヤしながら私達の作戦を説明する。するとダリア先生は少女のように言う。
「今から工房に行きましょう!今すぐ!学校の許可は私が取ります!取ってみせる!」
目を爛々とさせダリア先生が私達を引っ張る。今日は工房に行く予定は無かったが行かないとダリア先生が落ち着かないので行くことにしよう。
【事実は小説よりも奇なり】
私達を引っ張りながらダリア先生はスキップしそうな程ご機嫌だ。それもそうだ、あとはマスターとマスター経由で小説家に許可をとるだけなのだ。ダリア先生が浮かれるのも仕方ない。マスターなら何とかしてくれる。そんな圧倒的な信頼が私達にはあるのだ。
私達が工房の扉を開けるとオリヴィアさんが珍しく少し驚いた顔をした。今日は来る予定がない生徒達と、一緒にご機嫌な教頭ダリア先生までついて来たのだから驚いて当然だ。そして工房の奥に目をやるとマスターがお客さんの対応をしていた。
マスターは私達に気が付き、お客さんに断ってこちらに来ようとした。しかし、お客さんの男性はそれを止め、少し高いその声で言う。
「さっき話していた生徒さん達なんだろ?私も彼らに興味がある。整備をしながら話をさせて頂きたい。」
私達はその優しさに甘え、私達の文化祭での計画を話した。話せば話すほどマスターがニヤニヤするのが気にかかったが私達は最後にお願いした。
「マスター…ハチドリのデザインを使う許可を小説家の方に取り次いで貰えませんか?」
それを聞いてお客さんが大爆笑し始めた。マスターもゲラゲラ笑い出す。私達が不思議そうに、理解出来ずに驚いているとオリヴィアさんがとんでもない事を言う。
「マスター?ジャスティンさん?おいたが過ぎますよ」
私達は一瞬で表情を失った。脳が理解を拒んだ時、人は表情を作ることすら忘れるのだろうか。
そしてその男性、目の前の長身のお客さん、左腕が義手の男は振り返り、手首の小鳥のブレスレットの調子を見ながら名乗る。
「初めまして未来あるひな鳥達、私が君たちの言う小説家、大物小説家と表現してくれたかな?ジャスティン・ハミングバード本人だよ」
そして舞台役者のような、マスターがイタズラをする時のような大袈裟なお辞儀をして見せた。
マスターが再びゲラゲラ笑い出す。私達が本人の背後で小説家の許可を求めたのが余程お気に召したのか、ダリア先生が小説家の事を褒めちぎっていたのが面白かったのか、涙目になりながらずっとマスターは笑っている。しかし、そこから事態はどんどん変な方向に動き出す。「工房の妖精」と「隻腕の大物小説家」この二人の悪ふざけが始まったのだ。私達にジャスティンさんが1人ずつ、あえて左手で、その美しいトレードマークの義手で握手を求めて行き、最後にダリア先生に握手をしようとした時、最初の事件が発生した。ダリア先生が興奮し過ぎて気絶したのだ。後ろにひっくり返りそうになるダリア先生に私達がギョッとする中、誰よりも素早くグレーの髪がダリア先生を抱きとめる。運動の申し子、アゼリアだ。その無駄のない圧倒的な動き、アルビノの美しい見た目に反した力強い躍動が余程お気に召したのか、ジャスティンさんは手を叩いて褒め称える。
「ブラボー!さすがマサキくんいや、あえてマスターと呼ぼう。彼の弟子の動きは格別だね!これだけでインスピレーションが湧きそうだよ」
超有名人に褒められアゼリアは頬をピンクに染めて照れている。その白い美しい肌を染める彼女の姿はなんとも愛らしかった。そんなやり取りを終え私達はダリア先生をソファーに寝かせ、それぞれ席につく。皆、緊張しきっている。ジャスティンさん、彼は正真正銘の超有名小説家だ。政治家からコメディアン、老若男女が愛する小説家、教科書にだって作品が乗っている。それが目の前に座っているのに緊張するなという方が無理なお願いだ。皆が言葉を発せずにいるので私は勇気を出した何気ない話題から攻める。
「これが、私がマスターから最初にかけられた魔法なんです」
そう言って私はポケットからハチドリを模した万年筆を取り出す。ジャスティンさんは驚いたようにそれを手に取り私に問う。
「君はこれの価値を知っているかい?」
私は出さなきゃ良かったと後悔した。価値なんて知っている。受け取った時は無知だったとは言え、今この万年筆はウン十億の値がついてもおかしくない。そう思うと手元に帰ってくるのさえ怖くなって、私は手を引っ込めようとした。
「これは数奇な運命の代物、君が持つことで書かれた物語だよ…素晴らしい…私と君は出会う前に工房という所ですれ違って居たのだね」
そう言ってジャスティンさんは私に万年筆を返す。不思議と私は素直にそれを受け取れた。これは「小説家と同じモノ」では無い、「私に魔法をかけたモノ」なのだ。そう思うと今まで以上にその万年筆が愛しく思えた。そして、私はこの万年筆に感謝しなければならない。私とジャスティンさんに不思議な縁を結び、今日という日にその実を結んだ奇跡、私とジャスティンさんそれぞれの人生を変化させた鳥がまた一つ大きな羽ばたきを魅せようとしているのだ。
ダリア先生はまだ目覚めない。私は再び先程のお願いを伝える。本人に向かって、まっすぐに。
「私達の文化祭でジャスティン先生のハチドリのデザインを使わせて頂けないでしょうか?もちろん些細ではありますが売り上げの一部を納めさせて頂きます。」
私の精一杯の丁寧な物言い、こんなに言葉が出ない事があるだろうか、そんな悔しさに打ちひしがれているとジャスティンさんは笑いながら言う。
「先生と呼ぶのはやめてくれないかい?むず痒くて仕方ない!デザインの件快く許可するよ!むしろ…もっと面白いことを…私にイタズラをさせてくれないかい?」
そう言ってジャスティンさんは私達に悪巧みを提案する。私達は全員でニヤニヤしながら盛り上がった。ニコニコではなくニヤニヤと悪い笑顔をみんなでした。そしてジャスティンさんは時計を見て残念そうに言う。
「お別れの時間のようだ…もう少し話したいからマスターに機会を設けて貰おう。悪巧みの件は私から学校に連絡しておくよ」
私達は再び悪い笑顔でお互いを見合い、気絶から覚めないダリア先生をチラッと見て笑いあった。
「手紙は彼女宛に出そう…またきっと気絶するぞ?アゼリアさんその時はまた頼んだよ」
そう言ってジャスティンさんは立ち上がり工房を出ていった。私達の小さな作戦は数奇な運命の出会いによって、学校全体を驚かす大事件へと発展する。
「工房の妖精」の最初の魔法、それはこうして効力を発揮したのだった。
【大作戦の準備】
私達は早速準備に取り掛かった。目覚めてうなだれるダリア先生はほったらかしにして、マスターと一緒に試作品の残骸ボックスを覗き込む。
「残骸ボックスって…宝箱の間違えだろ…」
ローランが呆れたようにつぶやく。それはそうだマスターは正真正銘の天才でありファンが山ほどいる。しかもマスターは本当に必要な人、つまり運命を変えたい意思のある人、変わると確信出来る人にしか義肢を作らない。実用目的以外の依頼を一切受けないのだ。コレクション目的の手紙なんて見なくても分かるらしくすぐに工房の炉の燃料にされてしまう。故にこの残骸達、試作品の墓場から物を取るのは命がけなのだ。一欠片の価値がウン十万しかねない。それを材料にアクセサリーを作ると言い出したのだからアーチーも相当な者だと思って見てみると、今更自分の失態に気づいて真っ青な顔をしている。私は呆れながら残骸ボックスから色々引っ張り出してみる。私は十年このボックスに物を投げ込んで来たのだ。引っ張り出すのも造作ない。そんな私を見てワクワクが勝ったのかアゼリアが私の横から手を突っ込む。彼女の無邪気さ、天真爛漫さはいつだって私達に勇気と希望をくれる。アゼリアに勇気を貰ったのかアーチーも並んで手を突っ込む。ローランもそれに続いたが、バジルはやっぱり無理だった。澄まし顔で腕組みしあたかも傍観者を装っているが顔が引きつっている。
「弱虫ポンコツ王子…」
アゼリアにそう煽られて怒りはしたがすぐにシュンっとしてしまって少し不憫に思えた。それをアーチーが察したのかバジルに重大任務を任せる。
「バジル!これとこれ使っていいかマスターに聞いて来てください!」
選りすぐりの品を持たされビビり散らかすバジルを見ながらアゼリアが追い討ちをかける。「コレとコレも」と、どんどんバジルに持たせるのだ。面白がってローランと私も乗っけてあげた。愛すべきポンコツ王子は逃げるようにマスターの所に行き、許可が降りた物だけ別の箱に入れ始めた。まるで宝石を扱うように、儚い花を愛でるように箱に詰める様子は何とも滑稽だったが彼のそういう所も良いと思った。
材料をある程度集めた後、デザイン決めに入ろうとした私達に向けマスターが突拍子もないことを言う。
「第一回アクセサリーデザイン工房杯を開催します!」
一人大盛り上がりのマスターの横で、オリヴィアさんは無言でクラッカーを鳴らしている。毎度思うが「早く結婚しろ」と思いながらマスターにどういう事か尋ねてみる。
「簡単さ!一番僕が良いと思ったデザインを出した人に、僕お手製のアクセサリーを授与します!」
そんなのズルい。全員本気も本気でやるに決まってる。稀代の天才技師、「工房の妖精」が今まで作らなかった実用品以外の物、アクセサリー、全てのマスターファンが欲しすぎて紛争が起きかねない。
絶対に負けられない戦いが今、唐突に、前触れもなく始まった。マスターは楽しげにルール説明をする。制限時間は二時間、機構や仕掛けも入れて良いがマスターが不可と判断した時点で失格、一人一作品まで、「猫ノ手技水工房」にちなんだ動植物をモデルにしたデザイン、そして人にプラスな感情を抱かせる物。ルール説明が終わると同時にマスターがストップウォッチのボタンを押す。戦闘開始。今日はこの仲のいい五人組も敵同士だ。何としても勝ちたい。私は植物をモデルにすることにした。マスターが資料室を使って良いと言い出したので、遠慮なく植物図鑑を取り出す。私がチラッと見た時アゼリアも植物図鑑を取って行ったので、私は気合いを入れ直した。動植物で人のプラスな感情を引き出す物、最初花言葉が浮かんだ。しかし、私はその考えは安易過ぎる気がして悩んでしまった。アゼリアの方をチラッと見ると既に彼女は楽しそうにデザイン画を描き始めている。私が焦りを感じているとオリヴィアさんが思わせぶりな感じで話す。
「皆さん素敵ナ名前がありまスから…きっと大丈夫デす」
私は自分の名前を思い出す。アイリスそれは花の名前。「優しさ、良い便り」を意味する名前。安易でもいいじゃないか私はそう思ってデザイン画を描き始める。シンプルでわかりやすいデザイン、手紙の上にクローバーが乗っただけ、そんなデザインのペンダントを描いた。構図を色々試してる間にあっという間に二時間は過ぎた。
それぞれが発表する時が来た。マスターが新しいルールを付け足す。マイナスな意見を言わないこと、さらに良い案をみんなでかんがえること。この二つを付け足された。まずは私、私が自身なさげに絵を見せるとアーチーがすぐに意味を理解してくれた。
「アイリスの花言葉とクローバーの花言葉ですね!良い便りと幸運ですかね?自分の名前から発想を広げる…アイリスの広い視野が感じられる良い作品だと思うよ…」
そう言って笑うアーチーを見て皆ウンウンと頷いてくれた。良かった伝わったようだ。私が安心するとローランがぶっきらぼうに言う。
「グリーンの宝石ってのは何があるアーチー?クローバーの葉を宝石とか色ガラスにしたら映えそうだ」
私はローランの意見を聞いてハッとした。私の中に宝石や色ガラスの発想は無かった。ただ染色するだけ、色を塗るだけで良いと思っていたのだ。しかし、ローランは違った。彼はアーチーの趣味、宝石細工に着目したのだ。宝石商の両親を持つアーチーは、幼い頃から傷付いた宝石達を生まれ変わらせて来た。そんなアーチーの知識と技術を買ってローランはアーチーに尋ねたのだ。宝石にクローバーに合う色の石があるのか、それをクローバーの葉に似せて加工出来るか、ピアスを愛するアクセサリー好きの彼だからこそ思いつく発想だった。アーチーは少し考えながら答える。
「ペリドットなんてどうだろう?価格もそんなに高くはならない…若草色の夜会のエメラルドの異名を持つ石です。石言葉は幸福、平和、安心、あと夫婦の幸福」
私は知らなかった。花言葉のように石言葉がある事を、正しくは知ってはいたが詳しく調べたことが無かった。宝石を愛するアーチーだからこそ知っている知識、私の知らない世界、新しい可能性。私はアーチーとローランにお礼を言って発表を終えた。このコンテストは実に面白い。みんなの知らなかった部分、新しい顔が見れてさらに仲良くなれた気がした。
次はバジルの番だ。バジルは少し残念そうに、恥ずかしげに絵を見せるクローバーを歩くてんとう虫の指輪。色が塗られて居ないのは、意図があるのか無いのかまでは分からなかった。バジルは悲しげに言う。
「すまない…クローバーが被ってしまった…あまり見ないでくれ…絵は得意じゃないんだ」
私は素直な感想を言うことにした。私が感じた喜びを、バジルの作品から感じたものを言葉を飾らず述べた。
「私は嬉しいよ?バジルが私と同じクローバーを選んでくれて!だってバジルも私と同じように誰かの幸運を願ってるんだって思えた!それにてんとう虫もいいね!それも確か幸運の象徴だものね!バジルが人の幸運をすっごく願ってるのが伝わったよ!」
私のまっすぐな表現にバジルは目を伏せ小さく感謝の言葉を漏らし、絵を伏せようとする。しかし、アーチーがそれを止める。
「もしかしてバジル?その指輪は男女兼用なんじゃない?だから指輪を完全に閉じずに巻き付くようなデザインにしたんじゃない?男女兼用だから色あえて付けてないんでしょ?違ったらごめん…」
確かにバジルのデザインした指輪は完全な輪っかではなく、指に巻き付くようなデザインでサイズ調整が容易そうだ。男女兼用、それなら色がついて居ない方が男性も着けやすいだろう。実際はどうなのかバジルの方を見る。バジルは小さく一回頷いた。ローランが一言だけバジルに声をかける。
「自信を持てバジル?少しアーチーから勇気を分けて貰うと良い…コイツは出会った頃の調子に乗ったチビガリじゃない…変わる勇気を持ってる」
突然話題に出され、あろうことか褒められアーチーは狼狽えていた。私はアーチーの成長もだが、ローランの成長にも感動していた。人を認めること、尊敬すること、人から学ぼうとする大切さに彼は気づき、実際に実行して見せたのだ。チラッとオリヴィアさんとマスターを見ると嬉しそうに紅茶を飲みながらこちらを見ていた。随分優雅な審査員達だ。
お次はローランのデザインの発表だ。私はワクワクしていた。実は勉強が出来るローランにも苦手なことがある。絵が壊滅的に下手なのだ。案の定ローランが出した絵は何も分からなかった。一応分かったのは棒に乗ったトカゲらしき生き物、それに羽っぽいのが生えていた。私達が首を傾げる中、バジルだけがなにか黙々と描き始めた。
「こういう事かローラン?お前は羽の生えたカメレオンのピアス…確かインダストリアルピアス…それを描いたんだろ?」
さすがローランの親友、幼馴染。バジルが書き直したその絵は確かにローランの絵に酷似していた。ローランも恥ずかしそうにしながら頭を縦に振った。とても良いデザインだ。インダストリアルピアス、二箇所の穴を棒状のピアスで繋ぐピアスを枝に見立て、それに状況に合わせて変わるカメレオン、そしておそらく天使の羽根。私は彼に詳しく聞きたくなった。
「ローラン?そのカメレオンは変化の象徴?それにその羽根は天使の羽根じゃないかしら?邪推かもしれないけどあなたのファミリーネームのミッチェルから天使ミカエルを連想した?」
ローランは少し考え半分正解、半分違うと答えた。カメレオンも天使ミカエルと同じように神の使いなのだそうだ。それぞれ違う神話や宗教だが、それを混在させることで「お互いを認め合う世界になれば」という願いを込めたそうだ。なんて知的で素敵な作品だろうか、私は素直にそしてちょっとしたイタズラ心で彼に言葉をかける。
「自信を持ってアーロン?少しアーチーから分けて貰うといいわ?」
アーロンはムスッとした後アーチーを向いて照れくさそうに言う。
「アーチー先生…後で俺に勇気を処方してください」
医療学生らしい良いジョークだ。アーチーもなんだが得意げに頷いているもんだから私は面白くなってしまった。
そして次はアーチーの番が来た。みんな期待に胸をふくらませ彼を見る。彼が出した絵はほぼ設計図と言っても過言ではなかった。書き込みの入ったヴァージョンと、色が丁寧に入れられた美しい絵の二枚を見せられ私達は思わずため息を漏らした。さすがだ。それは額に赤い宝石が付いたリスの姿をしていた。
「カーバンクルか…富と名声…お前らしくはないチョイスだが額の宝石に意味があるのだろ?」
ローランが空想生物にも見識がある事を初めて知ったので私はワクワクしていた。空想生物に興味を引かれたことは今まで無かった。今日は収穫が多い。
「宝石はルベライト、石言葉は広い心、貞節、思慮深さ…相反する物だけど僕は両方諦めちゃダメだと思うからこの組み合わせにしてみたんだ」
相反するもの、取捨選択、まるで私の夢物語のような不確かさ。でもそれを諦めなくて良い、両方に手を伸ばして良いと言っているのだ。ちょっとキザなことをするアーチーもなかなかいいじゃないか。これはいよいよモテそうだ。私がそんなことを考えてるうちにアーチーの発表は終わってしまった。もっと色々言いたかったがそれは後で個人的に話そう。
最後はアゼリア、天真爛漫な元気少女の番だ。彼女は自分のデザインをドンッと机に置き、一言で言い表す。
「花言葉は友情、思い出!」
そう言ってアゼリアはピンクの小さな花が連なるように咲き誇るブローチの絵を見せた。私はその花に一つの違和感を覚え確かめてみた。
「もしかしてそれライラック?だから一輪だけ花びらの枚数が違うんじゃない?」
私は知っていた。本来四枚の花びらのライラックの花言葉は友情、思い出。しかし、五枚目がある花を見つけると幸せになれると言われているのだ。私のその質問にアゼリアは激しく頷きながら、人差し指で私達を1人ずつ指さしてこう言った。
「アーチー、ローラン、バジル、アイリス!最後に私!これで五人でしょ?だから私は幸せなの!」
そう言って満面の笑顔で言い切る彼女は美しく自信に満ちていた。私達を思って作ってくれたデザイン、友情の証、幸せの証明。私はこのブローチがたまらなく欲しくなった。それは他のみんなも同じようで口々に「いい案だ」「欲しい」なんて言い合った。そんな私達の談笑が落ち着くのを待ってマスターが声を張る。
「結果発表〜!今回の優勝は!ライラックの花言葉と五人の友情を表現したアゼリア・グレイ!賞品は後日渡すね〜」
そう言ってマスターは満足気な表情をした後、一言付け足す。
「まぁ…文化祭の商品にはあんまり向いてないかもだけどね!」
それはそうだ。ライラックは花の数が多い。それは量産するのには向かないと言っていい。パーツが多すぎるのだ。シュンっとするアゼリアを見て私も悲しい気持ちになっているとアーチーが決意に満ちた顔で言葉を発する。
「そのデザイン僕にください!僕が…いつになるか分からないけど…全員分作って見せます!」
今日は何度アーチーに感動させられたか分かったものじゃない。皆期待に満ちた顔でアーチーを見た。オリヴィアさんとマスターはおそらくこうなる事まで折り込み済だったのだろう。でなければマスターがマイナスなことを言う理由が無いのだ。いつだって私達を導く言葉をくれる。そんなマスターとオリヴィアさんが大好きだ。それと同じくらい、ライラックのように私を包む四枚の花びら、アーチー、ローラン、バジル、アゼリアみんなが大好きだ。私はそんな自分の気持ちを再認識し、今日の作戦会議に、唐突に始まったコンテストに感謝した。あとはデザインしたものを作るだけだ。
【作戦開始】
私達は工房の設備を借りてアクセサリー作りに取り掛かった。私達は伊達に「医療義肢技術研究部」を名乗っていない。ちゃんと医療義肢について勉強しているのだ。それも本格的なんてレベルじゃない。設計から溶接、鋳造までマスターから叩き込まれている。なぜこうなったかと言うと、私が医者と技師両方になりたいと打ち明けた時、アゼリアがとんでもない事を口走ったのだ。
「じゃあ私達も一緒になっちゃおっか!医者で技師の超人に!」
その発言を聞いてマスターは大喜びで手を叩いて褒め称えた。そりゃマスターからすれば面白いだろうが私は気が引けて、一瞬みんなを止めようとした。しかし、アーチーが間髪入れずに追い討ちをかける。
「面白いですね!どうせみんな医者を志す身ですし、義肢や工学の知識があって損はしませんから!医療義肢技術研究部の最終目標はそれで行きましょう!」
アーチーまでとんでもないことを言い出したので、私は助けを求めるようにローランとバジルを見る。ローランがニコッとサムズアップすると至って真面目な顔で言ってのけた。
「もちろんだ!アイリスにできて俺に出来ない事がこれ以上あってたまるか!」
コイツもダメだと思いつつ、最後の砦バジルを見る。しかし、バジルはローランのセリフにもっともらしく頷いていて、一言だけ。
「やろう!」
楽観的過ぎないだろうかこの子達はと、私が困り果てているとダリア先生がまたとんでもないことを言う。
「まぁ大変!私もやってみたいと思ってたの!ご指導よろしくお願い致します!」
そう言ってマスターに深々と頭を下げた。マスターがニヤニヤこちらを見てくる。私にみんなを止める力は無い。でも、苦しんで欲しくないと思った。だから泣きそうになりながら訴えた。
「私の夢物語に無理に付き合わないで…きっと辛い道になる…生半可な覚悟も努力も通用しないわ…みんなが苦しむのは見たくない…」
しかし、アゼリアの言葉が私の気持ちを変えてくれた。
「もうアイリスだけの夢じゃないわよ?私達の夢!医師で技師のスーパー超人集団になるって決めたんだから!」
そう言って私を抱きしめてくれた。あの日、私の夢物語は、私「達」の夢物語になったのだ。
前置きが長くなったが、私達は医療だけでなく工業の勉強もそれから開始した。私は十年近く手伝って来たから良いが他のみんなは完全に初心者だ。だが心配無い。私達の先生は「工房の妖精」、稀代の天才技師なのだ。私達の知識量に合わせた座学、それと実技、分からない時はオリヴィアさんに頼めば最適な本が出てくる環境。私達は貪るように勉強した。特にダリア先生とマスターのやり取りは凄まじく、最前線の医師と天才技師の会話は私達をいつだって置いてけぼりにした。しかし、私達はそれすら喜んでいた。私達の少し未来、「医師」であり「見習い技師」、私達の夢の片方を極めた人が共に学んでくれて居るのだ。頼もしくて仕方なかった。
私達の技術は文化祭の商品を作れる程度まで達していた。アゼリアと私でロウを使って原型を作り、石膏で型を取る、そしてロウを溶かし取り除くことで型が出来上がる。あとはローランとバジルが金属を流し込み鋳造する。ロストワックス鋳造だ。出来上がったアクセサリーをアーチーが最終調整し、宝石や色ガラスをはめ込んで完成だ。
それぞれがデザインしたアクセサリー、私の作品はネックレス、アーチーの作品はブローチに、バジルの作品は指輪に、そしてアーロンの作品は髪留めのデザインとして採用された。なぜローランの作品をピアスではなく髪留めにしたかと言うと、彼がモテるからだ。「ローラン様とお揃い」そうすればファン達に売れるとバジルが言い出したのだ。なのでアーロン専用のインダストリアルピアスを一つとアーロンファン用の髪留めを大量に作った。おそらく飛ぶように売れるだろう。
そして私達はもう一つの作戦に取り掛かる。舞台でのオークション企画、アスク医療専門学校、小説家ジャスティン・ハミングバード、猫ノ手技水工房の三者が全面協力したオークション。この作戦は秘密裏に、それでいて噂話が流れる程度にバラしつつ行わなけらばならない。難易度の高いミッションだ。しかし、私達はワクワクしていた。ギリギリを攻める快感を得ていた。私達のミッションは学校の生徒に「医療義肢技術研究部」が文化祭で何か大事を起こそうとしているという噂を流すことだ。そしてそれを次に学校側、そして小説家と工房が裏付ける、そういう流れだ。
私達はわざと他の生徒が居る所で「ジャスティンさん」「オークション」「文化祭の舞台で」など単語単語を聞かせ、早足に去ることを繰り返した。そして各自の両親にも同じように職場や井戸端会議で噂をしてもらった。文化祭一週間前、ついに学校側のイタズラが決行される。ダリア先生が校長や教師陣に今回の大イベント、小説家ジャスティン・ハミングバード主催のオークションを文化祭でやると言い出すのだ。教師陣は大混乱、なぜ言わなかった、突然そうなったのか、どこまで決まってるのかと大慌てだ。それもそうだ、有名小説家ジャスティン・ハミングバード彼の作品のファンは老若男女と幅広く、政治家にも猛烈なファンがいるため下手をすると国が動くと言われているほどなのだ。そんな大物が自分たちの学校でオークションをする。むしろ文化祭どころの騒ぎでは無いのだ。ダリア先生は楽しげに出来たての文化祭パンフレットを教師陣に見せる。文化祭のあと、つまり後夜祭の所に堂々と小説家主催オークション大会と書いたパンフレットを見せつけながら、さらに追い討ちとなるセリフをきめる。
「あと、猫ノ手技水工房のマスター様も来ますので…これは当日まで秘密でお願いしますね」
職員室は大騒ぎだ。喜んで良いのか焦るべきなのか、何をして何をしてはいけないのか、一部始終を扉の所から見ていた私達にダリア先生が優雅に手を振る。その瞬間、職員室の視線が私達にギュッと集まった。やられた。私達はその瞬間、ダリア先生のイタズラにかかったのだ。ダリア先生は悠々とさり、私達は教師陣から質問攻め、全く隙のない教頭だダリア先生は。
質問攻めが一段落したので私は教師陣に念押しする。
「くれぐれも内密に」
人の口に戸は出来ない、壁に耳あり障子に目ありである。噂は爆発的に広がった。問い合わせの連絡が学校にひっきりなしに来た。ジャスティンさんはわざと無回答を貫き、私達とニヤニヤしながら工房で計画を練った。そして文化祭前日、ジャスティンさんは新聞社に掛け合ってこんな見出しを出した。
【小説家ジャスティン・ハミングバード!専門学校でオークション開催!】
記事の内容はこうだ、ジャスティンさんがメンテナンスのため「工房の妖精」を訪ねると妖精に可愛い弟子達が出来ていた。その中の一人の少女と自分が数奇な運命で繋がっていた。その運命に感謝し自分はその子達の学び舎で行われる文化祭で何か面白い事をしようと考え、オークションを思いついたのだ。
そんな内容だった。そして警察全面協力のもと厳重な警備網が敷かれた文化祭が幕を開けた。
文化祭当日、学校前は大混乱だ。もしかしたらジャスティンさんがお忍びで来るかもしれない、そんな噂が流れていたのだ。もちろん来る予定はない。しかし、皆可能性がゼロじゃないと信じてみたくなるものなのだ。人が押し寄せたため血縁者以外の一般客は入場制限が設けられた程だった。そしてさらにダリア先生が悪いイタズラを仕掛けていた。後夜祭への参加条件、それは文化祭の出店五つで買い物をしてスタンプを集めること、そのスタンプを抽選券に交換し、後夜祭前にオークション参加資格をかけた抽選会を行うというものだった。どこの出店も大繁盛した。平年の数十倍の利益が算出され、その一部は戦争孤児の支援に使われるという慈善活動付きだ。
私達の出店も例外ではなく、明らかに作り過ぎた商品達が飛ぶように売れて行った。さらに私達の売り子の二人、アゼリアとローランの人気が売り上げに拍車をかける。文武両道の二人、何よりこの二人美男美女なのである。スリットスカートから見える真っ白で健康的な脚、アルビノであるがゆえの白い肌とピンクの瞳、動く度に揺れる長いグレーのツインテール、そして薄手のワイシャツから少し見える慎ましい胸。男性の保護欲をそそる見た目と、それに反する明るく天真爛漫な性格のギャップが出会う男性の心を片っ端から射止めて行った。それがアゼリア。
そしてもう一人のローランはと言えば、口数少なくぶっきらぼうに接客している。だがコイツは自分の容姿がいいことを恐らく自覚している。真っ赤な髪をポニーテールにまとめ、ピアスがバチバチ開いた耳に今日は自分がデザインしたインダストリアルピアスを付けている。商品を買ったお客さんの手を取りお釣りを丁寧に握らせ、「ありがとうございます」と別れ際に八重歯を見せてはにかむ。女生徒は一発、女性は辛うじて耐えれるイケメンの攻撃。コイツは医者ではなくホストをやらせるべきだと本気で思う。ナンバーワン間違いなしだ。一方でアーチー、私、バジルは三人仲良く裏手でアクセサリーの調整をしている。飛ぶように売れるものだから二日目の分を急いで磨いたり繋いだりしている。恐らく一日目終了後、量産しなければならない。裏方も悪くない。光と影、陰と陽、この世界は裏方がいるから表が輝くのだ。今日はめいっぱい二人に輝いてもらう日なのだ。
私がちょうど磨き終わった商品を納品しに行った時、事件は起きた。ジャスティンさんが護衛を連れて文化祭を徘徊しだしたのだ。大騒ぎ、大騒動、大慌て、このイタズラ癖は明らかにマスターの影響なので後でオリヴィアさんに叱って貰わなければならない。
悠々と人をどかしながらジャスティンさんは私達の出店へとやってくる。そしてじっくり商品を一つずつ見たあと一つネックレスを持ち上げ私にウインクをする。
「これを貰おう…何か縁を感じたからねアイリス」
そう言って私にネックレスを付けてくれと後ろを向く。私は周りの視線に緊張しながら震える手で彼の首にネックレスを付けた。カシャッ!新聞記者の撮影音に私がびっくりしていると、ジャスティンさんは振り返りネックレスを弄りながらアゼリアとローランに声をかける。
「じゃ!頑張ってね妖精の弟子達!」
そう言って再び人々をどかしながら去っていった。心臓に悪いことをする人だ。後で文句を言ってやろう。私は新聞記者が話を聞きたそうにこっちの隙を伺って居たので、サッと綺麗なお辞儀をして裏に引っ込んだ。記者が追いかけようとしてきたがアゼリアとローランが引き止めてくれた。この二つの光は本当に頼りになる。
私達は一日目を何とか乗り切った。
私達が程よい疲れと達成感からみんなでボーッとしているとダリア先生が小走りで寄って来た。
「ジャスティン先生が来たの?お買い物されてったんでしょ!?何を!何を買ったの!?」
私達はこの可愛いらしい先生が大好きなので、一つだけネックレスを売らずに取っておいた。それ以外は飛ぶように売れてもう明日の分も無い。今日は徹夜で製造かなと思っているとローランが立ち上がりネックレスをダリア先生に付けてあげた。大はしゃぎするダリア先生を見ながら私達はもう少しだけボーッとしておいた。
工房に泊まることになってアゼリアは大はしゃぎだった。みんなと一日中居れるのが余程嬉しいらしく、眠さの欠片も感じさせずに作業をしていた。そして小休憩にみんなで紅茶を飲んでいる時、アゼリアが爆弾を投下した。
「みんなは好きな人いないの?」
それぞれお互いの顔を見合う。みんな驚いた顔をする中、一人だけ顔を赤らめ下を向く人がいた。まさかのアーチーだった。もうみんな興味津々である。アーチーはまだまだ細く頼りない見た目だが、その美しい物を作る才能と優しい性格の影響でローランの次にモテる。アーチー好きは皆口を揃えて言う「守ってあげたい」と。それが不服でアーチーは告白を断っているものだと勝手に思い込んでいた。違ったのだ。心に決めた相手、好きな人、タイプの女性が居たのだ。私達はいてもたってもいられなくなった。一番興味津々なマスターはまた何か知ってる風の目をしている。アゼリアが飛びかからんばかりの勢いで色々聞く。
「同じクラス?」「うん…」
「どんな所が好きなの?」「明るくて元気な所」
「他には?」「とっても脚が綺麗」
ここまで来て私達は感ずいた。うずうずして仕方なかった。あと、アーチーが脚フェチなのは初めて知った。何も気づかずアゼリアがついに確信に迫る。
「頭文字は?」「A…」
その瞬間、アゼリアがその美しい白い肌をポッと赤く染めた。私達のクラスに頭文字がAの女生徒は一人しか居ない。そしてアーチー、その勇気溢れる少年は頬を赤らめはっきりと言った。
「好きだよ…Azalea」
予想外、ド直球、火の玉ストレートと言っても良い唐突な告白。バジルと私がアタフタしている横でローランだけが落ち着き払って一言。
「アゼリア…一旦そこに座れ」
それだけ言ってアゼリアをアーチーの隣に座らせた。アゼリアはと言うと自分から恋バナを持ち出し、あろう事か自分が告白されるという事態に、混乱し口をパクパクしながら頬をどんどん赤く染めて行く。そしてアゼリアに向かって真剣な顔でローランが言う。
「アーチーは前からお前を思って居たぞ。俺は少し相談されただけだ。それでもお前は今、遊び半分でアーチーの気持ちを聞き出した。分かるな?お前には答える義務がある…」
そう言ってアゼリアに少し怖い目線を送る。アゼリアは頬を染めながらアーチーをチラッと見たあと次に私に目線を向けて誤魔化す。
「私は辞めとこうよアーチー?ほら!アイリスとかの方がよっぽど良いよ!ね?賢いし優しいしそれに勇気もくれたでしょ?あと!見た目も最高じゃない?黒髪ロングに綺麗なグリーンのぱっちりな目、それに私の脚よりずっと健康的な見た目だし!あとあと…胸も多分私より大きいし…」
ちょっとコンプレックスなのだろうか、胸の事を言う時アゼリアはちょっと複雑な表情をした。それでも彼女は明るく続ける。
「アーチー?好きって言ってくれてありがとうね?でも私なんて…」
私は思わず腹が立ってアゼリアの頬をペチっと優しく叩いた。アゼリアがびっくりした顔をしていたが私は静かに、それでも熱意を込めてアゼリアに伝えた。
「アゼリア?それ以上酷いことを言わないで…アーチーはあなたのことが好きって言ったの。心の準備も出来ないまま、それでもあなたに伝えたくて言葉を紡いだのよ?それをあろう事か私を引き合いに出して誤魔化そうなんて…」
そこまで言って私はやめた。アゼリアが泣き出してしまったからだ。きっと本当は分かっていたのだろう。アーチーの気持ちに、自分への真っ直ぐな好意に。アゼリアが答えを出せずにいると、アーチーが再び言葉を紡ぐ。優しく、愛する人のために、思いを伝える。
「アゼリア・グレイさん、僕アーチー・スミスはあなたのことが好きです。大好きです!だから、僕とお付き合いしてくれませんか?答えはいつでもかまいません。僕は愛するあなたのためなら、いつまでも待てます。思い続けられます。」
このアーチーという男は、最初の弱々しい見た目や行動から、どうしてここまで成長したのだろうか。私がアーチーの勇気に感動しているとバジルがデリカシーが無い、それで居て名案をぶつける。
「明日の午後、どうせ俺たちの商品は売り切れるだろうから…デートしろお前ら」
するとマスターの大笑いが突然響く。この発想が大層お気に召したようで、ご機嫌で二人を指差し言い放つ。
「デートしなさい!これは工房命令です!」
そう言ってマスターはグッと親指を立てた。
【緊急ミッション】
文化祭二日目。
どこかぎこちないアゼリアとアーチーを眺めながら、ローランとバジルに話しかける。
「二人のデート尾行しちゃダメかな?」
ローランに思いっきり叩かれた。女の子を叩くとはどういう領分かと文句を言うと次はバジルがふざけた事を言う。
「まったく…人の色恋に口出しするとはデリカシーが無いやつだ」
次はローランと私、二人でバジルの頭を叩く。付き合う前の男女にデートを進めるやつにデリカシーを問われたくなかった。午前中は忙しかったが、時間が過ぎるのが遅く感じてもどかしい。
アクセサリーは順調に売れ、バジルの予想通り午前中で売り切れた。ここからが今日の本番だと言っても過言ではない。アーチーとアゼリアを捕まえて私は売り上げの一部を握らせる。戸惑うアーチーとアゼリアに私とローランが声を揃えて言う。「デートしてきなさい!これは部活命令です!」
効果は絶大だった。アゼリア目当てで集まっていた有象無象の男子生徒達、あわよくばデートを申し込もうとした不埒な輩達が、目に見えてギョッとして目を白黒させるものだから私とローラン、そして後ろで見ていたバジルは笑いを堪えるので必死だった。あとは頑張れアーチーと心の中で思いつつ、彼らを見送った。
私は私で文化祭を楽しもうと出店を出ると、父と母が人混みをかき分けてやってきた。
「アイリス!パパ達も来れたよ!今日は会議だったんだが仕事より娘の文化祭です!と言い切ってやったら、誰も反論して来ないんだ!まったく言葉にするってのは大事だね!」
そう言って父が笑うと母も嬉しそうにその腕に抱きつき一言。
「今日は三人でデートしましょ!」
そのデートという発言に私が思わずピクっとすると父が「彼氏ができたのか」と焦り出す。母は母で「アイリスちゃんは年上の天才が好きだもんね〜」と余計な事を言う。私が仕方なくアーチーとアゼリアの事を話すと、二人は大興奮で私の手を引っ張った。尾行する気満々だ。私は二人について行くことにした。止めても無駄だろうし、何より私が気になって仕方ない。
私は両親と三人でアーチー達を探しながら歩く。人でごった返す道を歩いて居ると父が自然と私の手を取り、母を抱き寄せた。さすが私の父、美人な母を射止めた男、尊敬すべき模範である。
私がそんな事を思いながら、母と買ったチュロスを分けっこしていると、ついにアーチー達を発見した。ポテトフライを片手にアゼリアに話しかけるアーチー、フランクフルトをモグモグしながらそれに答えるピンクの頬のアゼリア、何とか緊張はほぐれたようだ。私がそれを見ていると、アーチーがアゼリアにアタックする。ポテトをアーンしてあげたのだ。アゼリアはいつもの調子でそれを受け取り、食べた瞬間昨日の事を思い出したのだろう頬を真っ赤に染める。それに対してアーチーは幸せそうに微笑む。母が顔を抑えてキャッと照れて見せる。見ているだけでこっちが照れてしまうやり取りを見ながら、私達家族はのんびり歩く。
「そろそろ戻っとくと良いことあるよ!」
私の肩を叩く声がそう言った。私が振り返るとマスターとオリヴィアさんがそこに居た。私は驚き声が出そうになるのを必死で抑えた。この二人が揃って外に出るのは珍しい、むしろ私は十年間見た事がない。「工房の妖精」そんな大物がそこらへんを無闇に歩いていてたまるか。それがどうだ、本人だけでなく助手のオリヴィアさんを連れて出てきたのだ。それはもう目立つ。オリヴィアさんの機械仕掛けの車椅子、その真っ白で陶器のような肌、ルビーのような赤い目、ひとつにまとめた絹糸のような銀髪。憂いを帯びたそれでいて優しい表情、はっきり言って輝いている。そこらの高級なお人形さんも裸足で逃げ出す程の美貌。初めて見た時から十年の月日が経ったが老けるどころか色気が増してこちらが困ってしまう程だ。
そして、その二人と談笑を始める私の母もそれはそれは美しい。真っ黒な髪を上品にまとめお団子ヘアにし、そのクリクリした黒い瞳で微笑むまさに聖母を思わせる佇まい。この黒髪が遺伝した私は大層幸せ者だ。そんな白と黒、相反する色彩が楽しげに会話する姿は目立って仕方ない 。戻ろう。早急に出店にこの人達を引きずり込まなければ大騒ぎになる。私の直感がそう言って居たので私はその大物と美人二人と、実は大物の父を連れて出店に戻った。そして出店ではローランとバジルがさらに大物が来て固まっている所だった。ジャスティン・ハミングバード、超大物小説家が凝りもせずまた、私達の出店の前に護衛を引き連れ立って居たのだ。まずい。私がそう思った時には時すでに遅かった。
「やぁジャスティンさん!奇遇だね!」
「おぉ!これは珍しい!妖精が工房から出てきた!」
このやり取りで周りは大騒ぎだ。実はマスター、「工房の妖精」はメディア嫌いでメディアに出たことが無いのだ。取材も受けない、顔も非公開。それが工房の外に出て、あろう事か大物小説家と挨拶を交わす。まさに大スクープ、世紀の瞬間、前代未聞の幸運だ。そばに居た記者がシャッターを切ろうとした時、ジャスティンさんがレンズを抑えてこう言う。
「妖精を写しちゃいけないよ?君の住処が魔法で消えてしまう…後で私が取材を受けよう」
恐ろしい比喩表現、これはつまり「工房の妖精をメディアに出したら私が会社ごと消す」という意味だ。内心ヒッと思いながら半分ナイスと胸を撫で下ろす。私は急いでこの大物達を出店の中に引き込む。もう私が注目の的になることはない。なぜならこの人達の光が強すぎるのだ。私が見えなくなるほど輝く光源達を連れて私は部屋に引っ込んだ。
「全員何考えてるんですか!?」
私は大人達を座らせて怒鳴る。だって、でもと駄々をこねる大人達を説教しているとアーチー達が帰ってきた。手は繋いで居ない。私がもどかしい思いで二人に声をかける。
「うん!とっても楽しかった!やっぱりアーチーは面白いよ〜」
アゼリアが明るく、下手っぴに話をそらす。しかし、ついにアーチーが動く、勇敢なる我らが頭脳、優しく正しく諦めない男、その彼が立ったままのアゼリアの手を取り跪く。そして、愛の言葉を告げる。
「アゼリア…僕は君が好きだ。この前はちゃんと言えなくてごめんね。僕は君の全部を愛したい、知りたい。君の性格が好きだ…天真爛漫で、明るくて、少しおバカでそれでいて努力家で、いつだって僕達を思ってくれている…そんな君が好きだ。君の容姿が好きだ…陶器のように美しい白い肌、白うさぎを思わせる赤くて可愛い瞳、思わず触りたくなる長いグレーの髪、僕は君の今も、未来も、それこそおばあちゃんになった君も、ずっとずっと好きでいると誓うよ。だから…」
そこで一度言葉を区切りアーチーは立ち上がり、アゼリアと目をしっかり合わせ続けた。
「僕と、お付き合いしてください。」
かっこよかった。こんなにかっこいいアーチーは見たことない。まるで姫をさらう騎士のように、勇敢で、優しく、決意に満ちた告白。
さすがにアゼリアもこれは誤魔化せないと思ったのか。真っ赤になりながら一言だけ。
「はい…」
大喝采だ。大騒ぎ、感動の嵐、勇敢な騎士の告白に私達は大盛り上がりだった。そしてマスターが最初のイタズラを始める。
「チュー!チューしろ〜!しちゃえ!いけいけー!」
まったくこの大人は幼稚なんだからと思いつつ、私も二人の誓いのキスが見たかったので悪ノリする。バジルもローランもジャスティンさんまで一緒にコールする。あろうことかオリヴィアさんまで手を叩いて促している。そして、耳から全部真っ赤になったアーチーが自分より背の高いアゼリアの頬に背伸びしてキスをチュッと小さくした。みんなみたいのはそれじゃない。可愛いキスではなく騎士の熱いキスを見たかったのだ。でももう今のアーチーはいつもの彼、引っ込み思案で弱気、恥ずかしがり屋で優しい男の子に戻ってしまっていた。私達がブーイングをしようと構えた瞬間、アゼリアがしゃがんで小柄なアーチーをギュッと抱きしめる。そして熱い熱い、熱烈で強烈な、見てるこっちが恥ずかしくなるような、長い長い口付けをアーチーにした。そして一言。
「これからよろしくね?私のアーチー?それともダーリンって呼ぶ?」
アーチーは骨抜きだ。ヘロヘロと力が抜けたアーチーをアゼリアが愛しげに抱き寄せる。そしてもう一度アーチーの頬にチュッとしてからイタズラっぽく言う。
「ありがとうみんな!私の将来決まったっぽい!花嫁修業もしなくっちゃね!」
いつものアゼリア、いつものアーチーがそこには居た。ただ一つ、ほんのちょっとだけ違うのは、二人がカップルになった、それだけ。
すっかり暗くなった部屋の電気がパチッとつく。ダリア先生が扉の横でニヤニヤしながら電気を付けていた。この大物揃いの場で告白を決めたアーチーを見ながら一言。
「アゼリア?良い男を捕まえたわね…離しちゃダメよ?」
するとちゃんと素直なアゼリアはアーチーを抱きしめ直し、彼の頬に自分の頬を寄せ幸せそうに言った。
「はい…誓います!」
そう言ってまたギュッと抱きしめる。こっちがニヤニヤしてしまう光景を見ていると、ジャスティンさんが手首の鳥のブレスレットを弄びながらイタズラに言う。
「恋愛小説が書けそうな気分だ…幸せな気分になったよ!どうだい?私の小説のモデルにならないかい?謝礼は弾むよ?」
わざとらしく茶化すジャスティンさんを見て、お似合いの二人は仲良く一緒に首を横に振った。
ダリア先生が時計をチラッと見たあと私達に告げる。
「そろそろオークションの時間よ?みんなで会場に行きましょうか!」
【後夜祭-オークション-】
オークションの幕が開く。
ジャスティン・ハミングバードのオークション大会。老若男女、政治家からコメディアンまで、この国の多くの人々に愛される偉大なる小説家。
彼と私達が出会い起こった大騒動のフィナーレがついに始まったのだ。司会はまさかのダリア先生。おそらく人生で一番緊張しているだろう。それでも先生は学校の名誉のため、尊敬する大ファンの小説家のためにコホンって咳払いをして話始める。
「本日はお集まりいただき大変感謝いたします。本日の商品で出た収益は、全て戦争孤児への寄付とさせていただく予定となっております。」
そう言ってダリア先生は再びコホンと咳払いをして高らかに名前を呼ぶ。
「それでは!登場していただきましょう!今回の主催者、希代の大小説家ジャスティン・ハミングバードさんです!」
割れんばかりの拍手が鳴り響いた。その中を微塵も動じる様子もなく、まるで静かな湖畔を散歩でもするようにジャスティンさんは悠々と歩く。メディアに何度も出ているだけある。自信に満ちたその歩みはステージの中央で止まり、そして、オークションは始まった。到底私達が持つことの無い値段が何度も飛び出す。商品はジャスティンさんのサイン入りの新刊、彼の原文の原稿用紙、彼監修の万年筆などだ。どれもこれもふざけた値段で取り引きされ、買い手がつく。そして最後の商品をジャスティンさんが出す。それは私達の出店で買った私デザインのネックレスだった。私達は不思議に思った。確かにジャスティンさんが付けたとなれば価値が出るだろう。しかし、それはたった一度、数時間、一日も満たないほんのわずかな期間付けたものだ。私達の疑問は正しかったらしく、少しの駆け引きのあと落札の声が止まる。当たり前の結果、なぜ私達の作品を大トリに持って来たのか疑問に思っていると、突然ジャスティンさんが私を呼ぶ。
「アイリス!壇上へ!みんな新聞は見てくれたね?彼女が妖精の弟子達の一人だ。そして私と数奇な運命を持っていた子だ。アイリス?万年筆を出してくれるかい?」
そう言って私に促す。私は大勢の前でジャスティンさんとお揃いの万年筆を出すのに怯えながら、勇気を出してそれを取り出した。会場がどよめいた。それはそうだ年端もいかない少女が超有名小説家と同じ万年筆を持つなどおこがましい。
ましてや、それがオーダーメイド品のパーツとあればどんな値段が付くだろうか。私は売らないぞ。私はそんな強い決意を持って小鳥の万年筆を掲げた。ジャスティンさんがゆっくりと、よく通る声で話し出す。
「この万年筆は彼女の物だ。むしろ彼女以外が持つと価値が無くなってしまう。物語を話そう。あるところに傲慢で、自信家で、わがままな小説家が居た。彼はある時、妖精に頼んで事故で失った腕を取り戻そうとした。妖精は快く受け入れ彼に腕を作ってあげた。美しい美しい腕を見とれるような魔法で作って見せたのだ。彼は自らの未熟さに気づかされた。その美しさを形容する言葉が出てこなかったのだ。それから彼は心を入れ替え謙虚に貪欲に人々を幸せにする小説を書くようになった。」
そう言ってジャスティンさんは自分自身を指さす。きっとそれはジャスティンさんの経験、実体験なのだろう。そして次に私に手を向け続ける。
「あるところに、幼い少女が居た。その少女は心優しくそして家族思いな少女だった。しかし、世界は彼女に意地悪をした。彼女の父を嘘で陥れようとしたのだ。しかし、そんな時彼女は妖精に願った。父を助けてくれと。妖精はそれを聞き入れ彼女と彼女の父に魔法をかけた。そして、彼女の父は偉大な人になり、彼女は幸せになった。」
そこまで言うとジャスティンさんは私の万年筆と、自身の手首の万年筆を揃えて言った。
「これは彼女の十年、これが私の十年、同じ万年筆に見えるなら、その人はオークションなんて辞めた方が良い。もっと見聞を広げるべきだ。彼女には彼女の価値が、私には私の価値がある。それを合わせるとどうなるか今からお見せしよう。」
そう言ってジャスティンさんは商品のネックレスをおもむろに手に取りガリッと噛んで歯型を付けた。
「このネックレスは彼女がデザインした物、そして今私の歯型が着いて私の価値が付いた。このネックレスの価値が分かるかい?どうだい?分かる者だけに落札を許そう。」
誰も落札の札を挙げなかった。この商品は物欲だけでは買えないのだ。明確な答え、ネックレスの価値へのアンサー、このネックレスの本当の意味。それを知らなければ買えないのだ。一人の女性が手をあげた。ジャスティンさんが手で促すとその女性は立ち上がりライトで照らされる。緑色の眼帯型の義眼を付けた女性、私はドキッとした。もしかしてあの義眼はマスターの作品では無いだろうか、美しい見た目にシロツメクサ、つまりクローバーをあしらったデザイン何となくマスターの世界を感じる作品だった。その女性はゆっくりと、はっきりと、自信を持って言葉を紡ぐ。
「私は妖精の魔法を受けた者だ。だからかもしれない、私はそのネックレスの価値が分かる気がする。おそらく十年前に手にしたということは、彼女の万年筆は試作品ではなかろうか?酷い言い方だがゴミ箱に入っていただろう。それを彼女は手にしただけ、無垢な気持ちで手にしたのだろう。そして時同じくしてジャスティン氏が妖精の魔法で頭角を表し、その万年筆に魔法をかけた。有名小説家としての価値を。そして時は流れ彼女の万年筆は彼女の人生となり、ジャスティン氏の万年筆はジャスティン氏の人生となった。そしてその同じ形の万年筆が二人を引き合わせたのだろう…」
そう言って眼帯の女性は一瞬止まり再び話し出す。
「要領を得ない話をしてすまない。ネックレスの価値だったな…それは二人の数奇な運命そのものじゃないか?それぞれの成長を見届けて来た万年筆、それが引き合わせた十年目の奇跡、そしてそのネックレスはそんな二人が作った作品、二人の人生の交差点と言った所だろうか、どうだろう…語彙力が無くて恥ずかいが私はそのネックレスの値段は分からない、部外者が勝手に決めれるような物じゃないと思った。」
そう言って彼女は残念そうに座る。しかし、ジャスティンさんは大興奮だ。
「見てくれたまえアイリス!新しい運命が繋がったぞ!妖精の魔法にかかった三人目だ!そして素晴らしい解釈だった!そうさ!このネックレスに価値はほとんどない!今から付くのだ!残念だが落札者は決まった!眼帯の女性に拍手を!」
そう言ってジャスティンさんは壇上を飛び降りその女性に駆け寄る。そしてネックレスを首にかけ、さらなる拍手を求める。会場は割れんばかりの拍手に包まれ眼帯の女性を称えた。
壇上に戻ったジャスティンさんは拍手を止めると、改まった表情で声を張り上げる。
「私から魔法をかけよう!集まった全ての人々に!運命が交わる魔法を!」
そう言って深々と頭を下げ、ジャスティンさんは壇上を後にした。