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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アルカディアの怪獣使い

作者: 蟹沢刹那

 日付は二〇二〇年十二月三十一日。


 俺はこのとき自分が直面する運命のことなど知る由もなく、せっせと古本屋で商品陳列に勤しんでいた。

 

 珍しく店内に客は一人もいない。大晦日の二十三時ならそれも道理だろう。


 大学生活一年目の正月をバイト先で迎える羽目になったわけだが、それもまんざら悪くはない。俺にそう思わせる要因は今日同じシフトに入っている一歳上の女性にあった。


 端的に言うと、俺はその女性に恋愛感情を抱いているのだ。


 そして本日はその人の誕生日。俺はポケットの中にプレゼントのシルバーアクセサリーを忍ばせ、手渡しするチャンスを虎視眈々と狙っている。


 そわそわした気分のままカウンターに戻ってきた俺が見たのは、(くだん)の女性アルバイターのサボり現場だった。


「ちょっと。枢木(くるるぎ)さん、何やってんですか!」

 

「おっ、早見(はやみ)くーん。だいぶん陳列作業早くなったじゃん。ご苦労ご苦労」 


 そう言って枢木玲奈(れいな)先輩はひらひらと俺に向けて手を振っている。彼女はあろうことかレジカウンター内に休憩室のパイプ椅子を持ち込んで腰掛け、商品の漫画本を手にくつろいでいるではないか。


「ご苦労ご苦労じゃないんですよ。なんなんですかその勤務態度は」 


 俺は威圧するように枢木さんの前に立つと、彼女が持っている漫画本を取り上げた。

 

「ちぇっ。お堅いなあ、早見くんは。絶対童貞でしょ」 


 枢木さんはぷくっと頬を膨らませて子どものように拗ねている。


 悔しいが枢木さんは可愛い。


 顔は小さく目はぱっちりとしていて大きく、他にも顔の輪郭や鼻、口、耳といったありとあらゆるパーツがとにかく芸術品じみていて別次元の美しさを醸し出しているのだ。


 毎日入念な手入れがされているであろう黒くて艶々の長髪は流れ落ちる水のようにサラサラでしかも、脳をとろけさせるようないい香りを漂わせている。


 そして、男として絶対に目を背けることができないのが――エプロンの上からでもその大きさがよくわかる豊かな胸である。


「いや、俺がお堅いんじゃなくて枢木さんが不真面目なだけですよ。あと、童貞かどうかは関係ないでしょ」


 卑猥なことを考えていたとを悟られないよう、俺はいたって真面目な顔でそう吐き捨てた。ちなみに枢木さんの言うとおり俺は童貞である。事実であるがゆえに強く言い返せないのが悔しいところだ。


「ふぅーん」


「な、なんですか」

 

 枢木さんがこちらの心の中を見透かしたような意地の悪い視線を向けてきたので、俺はさっきとは別の意味でドキッとしてしまった。まさか、胸を凝視していたことに気づかれたのだろうか。のほほんとしているように見えて意外に鋭いのだ、この人は。


「早見くんさ、私の胸ガン見してたでしょ? いやらしぃー。不真面目なのはどっちなのかなぁー?」


 不安、的中。

 

 俺の脳内でヤカンの水が急速沸騰する音がした。顔から火が出るほど恥ずかしいとはこういうことを言うんだろう。


「ななな、何を言ってるんですか。見てませんって!」 


 なんて下手くそなごまかし方だろうと自分でも呆れてしまう。そんな俺の反応を見て枢木さんはますます愉快気に口角を吊り上げる。


「知ってるんだよ? 今日だけじゃなくていつも私の方チラチラ見てること。キモー」 


「だーかーらー! 見てないっつーの」


 否定に必死になるあまりついつい敬語を忘れてしまった。


 いつものことではあるが、こうやって枢木さんのペースにまんまと乗せられるのは結構悔しい。たまに仕返ししてやりたいと思うことがあるが、俺の力量では返り討ちにされるのがオチなので実行には移さずにいる。


「そんなに気になるなら今ここで見せてあげよっか?」


 枢木さんのさりげない追撃で俺は膝から崩れ落ちそうになる。

 

「真顔で何さらっととんでもないこと言ってんですか! 裏に店長いるしお客さんだってまだ来るかも知れないでしょうが」


「大丈夫、大丈夫。店長は書類の作成で忙しいみたいだし、売り場には出てこないよ。それに大晦日の夜中に古本屋に来る残念な人はいないでしょ」


 俺は反射的に周りを確認する。こんなこともし誰かに聞かれたりでもしたら信用問題である。


「しっ! お客さんがいるときはそういうこと言うの絶対やめてくださいよ?」


 俺の心配をよそに当の枢木さんは呑気に笑っている。まったく、この人がクビにならないのが不思議で仕方ない。


「もう、やっぱりお堅いなあ早見くんは。で、見せてほしいの? さっきの口ぶりだと誰にも見つからないのなら是非お願いしたいですぅ、みたいに受け取れるけど」


「受け取るなっ! 断固拒否だわ。ほら、そろそろレジ締めとかしないと。枢木さんは本棚の整頓でもしてきてください」


「あー、はいはい」

 

 俺が言うと枢木さんはしぶしぶ立ち上がって本棚の方へ歩いて行った。


「はあーっ……」


 俺はレジスター内の紙幣を数えながらため息をついた。


 大雑把で不真面目ですぐ俺をからかう困った人――でも俺は枢木さんのそんなところに惹かれるのだ。


 俺は子どもの頃から大人たちの言うことを忠実に守り、ただの一度も彼らの不興を買うことなく育ってきた。友人と馬鹿やったりルールに逆らったりした経験はない。


 つまるところ、俺は自分に自信が持てなかったのだ。正しいのは常に両親や教師。自分の意志を押し通すことは、いずれ取り返しのつかない事態を招くということなのだという強迫観念に俺は囚われていた。

 

 枢木さんは俺とは正反対だ。


 本能に忠実で、上手い具合に決まりを破るのが上手い。いろんなものにがんじがらめにされている俺と違って枢木さんは常に身軽だ。彼女と一緒にいると何にも縛られることなく、未だ見ぬ世界に連れて行ってくれそうな気がした。


「――くん、早見くんってば!」


 かすみがかった俺の意識に割り込んできたのは枢木さんの声だった。カウンターから離れた奥の本棚の陰に隠れていて彼女の姿は見えない。


「あっ、はい! なんですかーっ!」


 俺は枢木さんに聞こえるように大きめの声で返した。


「早見くんはこの世界が滅ぶとしたらどう思う?」


「……えっ?」


 あまりに唐突でしかも物騒な問いかけに俺は二の句が継げなかった。しばらくの間、互いに無言が続く。有線放送で流れている『蛍の光』がいやに大きく聞こえた。


「具体的には、怪獣とかが現れて文明を破壊しつくして全部全部、更地にしちゃうとかしたら早見くんはそれを受け入れられる?」


 噛んで含めるような口調で会話を再開させたのは枢木さんだった。何を思ってそんなことを聞くのかまったく理解が及ばなかったが、一呼吸おいて俺は答えた。


「受け入れられないに決まってるじゃないですか。たくさんの罪なき人たちが死んじゃうんですよ? 家族や友だち、大切な人もみんな。そんなの駄目だ」


「あはっ。やっぱりお堅い。あ、私、外ののぼり片付けてくるね」


「もう棚整理終わったんですか?」


「今日はお客さんほとんど来なかったから、あんまし乱れてなかったよ」

 

 枢木さんは伏し目がちに早足で自動ドアを通って外に出て行ってしまった。俺と目を合わせたくなさそうに見えたのは気のせいだったのだろうか。


 まあいい、枢木さんが外から戻ってきたらプレゼントを渡そう。


■ ■ ■


 俺が淡い恋心を抱きつつ、震える手でポケットの中の包みに触れていたときだった。


「――なんだ、今のデカい音」

 

 俺は耳を(ろう)する獣の咆哮のような轟音に驚いて店のエプロン姿のまま外へと飛び出した。そこで見たものは夜の闇に包まれた街を煌々と照らすとても大きな炎だ。ただの火事でないことは直感的にわかった。


 予想もしなかった凄惨な光景に俺はただただ立ち尽くすのみ。

 

 ほどなくして俺は激しく燃え盛るビル群の狭間に、何か巨大な影がうごめいているのに気がついた。


 あれは、生き物だろうか。ありえない。きっとどこかの国の軍が持ち込んだ最新兵器か何かだ。この惨状はそれの仕業に違いない。


 しかし、ビルをなぎ倒して全容を晒した『それ』は紛れもなく生物だった。


 恐竜? いや、シルエットは似ているがやや人間に近い骨格をしているように見える。なにか別の人智を超えた存在であることを俺の直感は告げていた。

 

『それ』が強靭な二本の足で一歩踏み出すたびに道路が砕け、真っ赤な両目が火の玉のように闇の中を移っていく。


『それ』が太くて短い腕を振るうたび、ビルが積み木のように崩れ去っていく。


――怪獣

 

 俺の脳内にインプットされている名詞の中で、『それ』の最も適切な呼称を決めるとするならばその単語をおいて他にないだろう。

 

「くそっ、何がどうなってやがるんだ……」


 俺は小刻みに震える自分の両足を叩くことでなんとか震えを落ち着かせようとしていた。と同時に目の前の光景が夢でないことを実感した。


 新年の祝福に沸き立つはずだった街には今、狂乱と悲鳴の嵐が吹き荒れている。


 怪獣の咆哮が冷たい空気を震わせ、同時にその巨躯が悠然と建物を踏み潰していく。


 あちこちから火の手が上がり、街はまさに世界終末の様相を呈していた。


 一寸先は闇。未来には何が起こるかわからないものだが、これほどのイレギュラーが待ち受けていることなど誰が想像できただろうか。


「はっ! そうだ、枢木さんは?」


 店ののぼりは立ったままで、外に枢木さんの姿はない。もしかすると、怪獣に驚いて裏口から店の中に戻ったのかもしれない。俺は急いで店に戻り、バックヤードへと向かった。


「うわっ!」


 ドアノブに手をかけた瞬間、中から店長が飛び出してきて、俺のことを一顧だにせずそのまま走り去っていった。その顔は青ざめていて、まだ三十代半ばだというのにひどく老けて見えた。


 店の責任者が従業員をおいて真っ先に逃げるとは……だが今は店長を非難している場合ではない。


 幸いにも店内に客は一人もいなかったので、避難誘導の手間は省けた。


 俺はもう一度、店内を確認したが枢木さんはいない。そこで俺はやっとズボンのポケットに入っているスマートフォンのことを思い出した。


 勇気を振り絞って枢木さんの電話番号を聞いておいてよかったと心底思う。俺はさっそく電話帳に登録された枢木さんの番号をタップして電話をかける。


「くそ、繋がらない!」


 電話に出ないのではなく、電波の届かない場所にいるというのが気がかりだ。


 そのとき、俺の脳裏に枢木さんの言葉が蘇る。


『早見くんはこの世界が滅ぶとしたらどう思う?』


 まるで怪獣が現れることを予見していたかのような口ぶりだった。まさか、枢木さんは何らかの形で怪獣出現に関与しているというのか。俺の背筋に冷たいものが走る。


 確証はない。でもそうかもしれないと思うと、じっとしてはいられなくなった。

 

 もし、生まれて初めて本気で好きになった女の子が殺戮の限りを尽くす悪鬼に成り下がったのなら、俺にはそれを全力で止める義務がある。


 スマートフォンのロック画面を見ると、俺の安否確認と思しきメールの通知や着信履歴がずらりと並んでいた。


 俺は心の中で「ごめん」と謝るとエプロンを脱ぎ捨てて走り出した。


■ ■ ■


 往来はまだまだ逃げまどう人々で溢れていた。警察官や自衛隊の隊員が誘導を行っているが、民衆のあまりのパニックぶりに手を焼いている様子だった。これは俺にとっては好都合だ。俺が人の流れに逆行して怪獣の方へ向かっていても目立たない。


 俺は白い息を吐きながらひたすらに走った。怪獣との距離は次第に縮まってきたが、まだ遠い。


 投光車の光に照らされ闇の中に浮かび上がったその威容は、やはり肉食恐竜を連想させるものでありつつ人間っぽさも感じられるものだった。言ってみれば巨人が恐竜の着ぐるみを着て暴れているような印象だ。


 よく見ると怪獣の背中には鉱石のようなトゲが無数に生えており、ほんのり赤く明滅していることに気がつく。


 次第にその明滅は早さを増し、怪獣の口腔に太陽さながらに輝く赤い光球が発生していた。光球は膨張を続け、しまいには下顎を大きく押し下げるほどの大きさになっていた。


 次の瞬間、突如肌を焼くような熱風を伴って視界が真っ赤に塗りつぶされた。


「うわああああっ!」


 すさまじい衝撃波が吹き荒れる中に人々の阿鼻叫喚が響く。俺は咄嗟にブロック塀の陰に転がり込んだ。


 俺は、怪獣が何をしたのか理解できずにいた。いや、理解しようとする余裕すらなかった。唯一できたことといえば体を丸め、信じてもいない神様へ祈りを捧げることのみ。


 そんな状態がどのくらい続いただろうか。やがて衝撃波が収まり、俺は這うようにブロック塀の陰から出た。肺を焼くような熱気にむせ返りそうになりながら俺は周囲を見渡す。


「……」


 まさに凄惨の一言だった。


 右手に見えていた証券会社のビルは上半分が消し飛び、信号機や道路標識は灼熱にやられ、しおれた花のように首を垂れていた。衝撃の余波で砕けたガラスが広範囲に飛散し、逃げまどう人たちの行く手を阻んだ。

 

『どう? 早見くん。ディメーザの熱線の威力は』


 不意に、聞き間違えるはずもない枢木さんの声がする。だが、姿が見えない。


「枢木さん!? どこだ、どこにいるんですか!」


『やだなぁ。こんなに目立つ姿をしてるのに気づかないなんて』


「なんだって!? そんな、まさか――」


 俺の心臓が大きく脈打つ。


 冗談であってくれ。何かの間違いであってくれ。


 だが、枢木玲奈を名乗る声の主は無情にも俺の祈りを喜々としてへし折った。


『ふふっ、ご明察。きみの目の前にいる怪獣ディメーザの正体はきみの先輩、枢木玲奈だよ。どう? かっこいいでしょ?』


「嘘だろ!」と俺は彼方の怪獣を見据えて叫んだ。


『それが真実なんだよ、早見くん。さ、続きは私の内部(なか)で話そっか』


 次の瞬間、世界がモノクロームに変転し、俺の意識は深い海の底へと沈んでいった。


■ ■ ■


「……ここは?」


 意識を取り戻したとき、俺はどこともつかない謎の場所に立っていた。


 無限に続いているかのような宇宙に似た空間。


「ようこそ。ここはディメーザのマインドスクエア――いわば精神世界みたいなもんだよ」


 振り返るとそこには枢木さんが立っていた。


「枢木さんっ!」


「ふふふ。早見くんってほんとに馬鹿だね」


 この異質な空間の中においても枢木さんは普段と変わらずにこやかだった。それが逆に怖い。


「怪獣の正体が私だって言ったけどちょっと違うんだ。正確に言うと怪獣と一時的に融合して思いどおりに操ってるって感じかな。このマインドスクエアはちょうどコックピットにあたるスペースなの」


「そんなことはどうでもいい!」俺は食い気味に叫んだ。「あんたはいったい何者なんだ? どうして街を破壊する?」


 俺が真剣に言っていることが伝わったのか、枢木さんから茶化すような笑みが消えた。彼女は一瞬背を見せ、ゆっくりと俺に向き直った。


「私は――」桃色の薄い唇がかすかに震える。「超古代民族『アルカディア』の末裔(まつえい)にして怪獣使い。神に最も近い存在だよ」


「神……だって?」


「ありえない!」と言いかけたが俺は言葉を飲み込んだ。こんな状況に陥った今、本物の神がいようと何ら不思議ではないと気づいたからだ。


「人類の再編――それが私の使命。遥か昔から現在に至るまで人間は欲深く身勝手で残酷な生き物であり続けてきたのは否定できないよね。何千年と猶予は与えられてきたのに結局人類は更生できなかった。だからここらでリセットをかけるんだよ」


「ふざけんなっ!」


 俺は喉が裂けるかと思うくらい叫んだ。硬くなっていた枢木さんの表情がわずかに揺らぐ。


「身勝手で残酷? それはあんたのことじゃないか、枢木さん。あんたの独善的な思想でたくさんの罪のない人たちが傷つき、殺されてる。いったい何の権限があってこんなことをしてるんだよ」

 

「あははははは!」

 

 何がおかしいのか枢木さんは腹を抱えて大きな声で笑った。枢木さんに何かが憑りついたようで俺は背筋に冷たいものを感じる。


「言ったでしょ。これは思想じゃなくて使命なの。世の理を超越した怪獣を操る者としてのね。私の最終目的は人類の九割をアトランダムに殺し、残った一割で穢れのない新たな世界を創造すること」


「そんなことさせてたまるか!」 


 俺は我慢ならなくなって枢木さんに駆け寄る。だがあと少しで枢木さんに手が届くいうところで何やら不可視の障壁のようなものに弾かれてしまった。


「うわっ! なんだこれ?」

 

「いいかな、早見くん? 怪獣も怪獣使いも君たちと違って差別をしない。だから公平に君にも死んでもらう。喜びなよ? 私の手で冥府に行くことができるんだからね!」


 言い終わるが早いか枢木さんの左腕が蛇のような不可解な動きを見せ、槍状に変化した。


「がはっ……」


 俺は突然平衡感覚を失いよろめく。そのうえ体が燃えるように熱い。何をされたのか理解できたのは、胸に触れた手にべっとりとついた周防色(すおういろ)の血を目の当たりにしたときだった。


 俺は、刺されたのだ。


 このまま倒れたら二度と立ち上がれないような気がして俺は必死に踏みとどまる。だがやはり傷が深すぎて気力でどうにかできるレベルを軽く超えている。俺の両足はすぐに身体を支えることができなくなり、俺は膝から崩れ落ちた。


「悪く思わないでね」


 枢木さんが俺にとどめを刺さんと槍状の左腕を振り上げる。そのとき枢木さんは何かに気づいてうつ伏せに倒れる俺の傍らにしゃがみ込み、それを拾い上げた。枢木さんに渡そうと思って用意していたアクセサリーが入った包みだ。


「『Happy Birthday』? これは、もしかして私に?」


「ぐ……そうですよ。こんなことにさえならなきゃ……あなたに……プレゼントするつもり……だったんですよ」


 薄れゆく意識の中、俺は絞るように声を出す。


 好きな人に喜んでもらいたい――今まで他人の言いなりだった俺が初めて抱いた自分の意志だったのに、それは叶わなかった。

 

 無情な巡り合わせに言いようのないやるせなさを感じながら、俺はただ死の瞬間を待っていた。


■ ■ ■


「笑わせてくれるね……」


 俺の頭上から枢木さんのしわがれた声が落ちてくる。今まで枢木さんのこんな声は聞いたことがない。


「私は人類を粛清する者、アルカディアの怪獣使いだよ。私が情にほだされて君を見逃すと期待したのならおあいにく様。ただの人間と私の違いを決定づけるものは徹底された平等主義なのよ」


 槍状の腕が容赦なく俺を襲う。俺は覚悟を決め、恐怖心を押し殺すように目を固くつむっていた。しかし、いつまでたっても俺の意識が途絶えることはなかった。それになぜだか体の痛みが大幅に和らいでいるような……。


 恐る恐る身を起こして確認すると、さっき俺と枢木さんの間に発生したのと同じような不可視の障壁らしきものが稲妻を散らしながら槍の刺突を食い止めていた。

 

「な、なに! ただの人間に私の真似ができるわけない。まさか、早見くんも私と同じアルカディアの末裔だっていうの!?」


 後退(あとじさ)る枢木さんを尻目に俺は自身の内側に満ちてゆく強大なエネルギーに高揚していた。今まで感じたことのない全能感と闘争心が深層から湧き出てくるような感覚だ。


 死の淵に立たされたことが引き金となり、今の今まで眠っていた力が覚醒したとでもいうのだろうか。


 いや――


「俺が何者なのかはこの際関係ない。あんたを止められる力が手に入ったのならためらいなく行使するまで。出てこい、俺の怪獣!」


 まばゆい光の中から鍵爪の生えた白くて巨大な手が伸びてきて俺を優しく掴む。そうか。お前が俺の怪獣――『アイノリュコス』


 気づいたとき、俺はまた宇宙のような異空間に立っていた。ここがアイノリュコスのマインドスクエアであることを直感的に理解する。


「これが、怪獣との融合……」


 妙な感じだ。まるで俺自身が『魂』となって怪獣に生命を吹き込んでいるような。


「――!?」


 そのとき強烈な横殴りの衝撃が、慣れない感覚に戸惑う俺を容赦なく襲った。枢木さんの操るディメーザの強靭な尾の一撃に俺――アイノリュコスはたまらず宙に舞い、ビルへと突っ込んだ。


「ぐああああ!」


 ディメーザは瓦礫に半身を埋めたアイノリュコスを尾で執拗なまでに殴打する。だめだ、反撃しようにも立ち上がる隙を与えてくれない。 


『有角の白狼――強そうな怪獣だね。いいなあ、綺麗。でもね、私たちの邪魔をする者は同じ怪獣使いだろうと容赦しないよ』


 ディメーザの口内に太陽のような光球が発生している。先程ビルの上半分を跡形もなく消し飛ばした熱線の発射準備だ。 

 

 いかに怪獣の身といえどあれを喰らったら無事では済まないだろう。どうにか避けるか発射を阻止しなければ――


 しかし無情にも冷静に考える時間は与えられず、ディメーザの吐き出した熱線は駅舎やホテルを巻き添えにアイノリュコスの全身を飲み込んだ。


「くっ、おぉぉぉぉ――」

 

 なんて威力だ。先程とはまるで比較にならない。本物の太陽と紛うほどの灼熱の炎が白いアイノリュコスの体毛を焼き尽くし、体表を炭化させていく。


 熱い……苦しい!


 アイノリュコスの苦痛が、マインドスクエアにいる俺にまで余波として伝わってくる。これが、怪獣と融合する代償か。


『あっけないね。もうおしまい? じゃあとどめといこうかな』


 熱線放射を止め、ディメーザは無様に倒れ伏すアイノリュコスを踏み潰さんと片足を大きく上げた。


 万事休すかと思われたそのとき、アイノリュコスの炭化した体表から銀氷のように煌めく体毛が芽吹くように生え始めた。否、これは銀氷そのものと言っていい。


「どうなってんだ、これ……」

 

『炭化した皮膚まで再生した? いや、こんなのハッタリだよ! ダメージはしっかり残ってるはず……構わず踏み潰して、ディメーザ!』


 枢木さんが叫ぶ。だがこれは決してまやかしなどではない。アイノリュコスと繋がれたパスを通じて情報が脳に流れ込んでくる。こいつの本質は「反撃」。相手の能力に適応し、それに対処し得る力を獲得する。傷めつけられることで初めて発動するアイノリュコスの特殊能力なのだ。


「形勢逆転だ。ディメーザの心臓(コア)を冷凍しろ、アイノリュコス!」


 アイノリュコスの角から照射された冷凍光線がディメーザの胸部に命中する。奴はすさまじい熱エネルギーを秘めた怪獣だ。急激な体温の低下は他の生物以上に大きな負担となるに違いない。


『きゃああああっ!』


 俺の読みどおり、ディメーザの動きがみるみる鈍化していく。冷凍光線を十秒ほど照射し続けると、ディメーザは石像のようにぴくりとも動かなくなった。


「枢木さん、最後のお願いです。投降してください」


 枢木さんは間を置かず即座に返答した。


『何度言えばわかるの! 私は早見くんたちと共存できない。決して相容れることはない。そういう運命なの!』


「なんでですか……誰よりも自由なあなたが……なんで運命なんてものの言いなりになってるんですか。俺は、何からも支配されないあなたに憧れてた。何者にも縛られないあなたが好きだったんだ!」


『うるさい! 早見くんの理想を押し付けないでよ。今の私が……怪獣使い枢木玲奈こそが本当の私の姿なんだっ!』


 だめだ、まるで聞く耳を持たない。どうするべきだ? 冷凍光線による凍結も、高熱を内包するディメーザに長くは続かない。とどめを刺すなら今しかないのだ。だが、そんなことをすれば怪獣と融合している枢木さんは――


「できない……」


 永劫かと思うほど長い逡巡の後、俺の口からこぼれたのはその一言だった。


「俺にはできません、枢木さん」


『私を殺さなきゃ早見くんが死ぬんだよ? それでもいいの?』


「このチャンスを逃せば俺は枢木さんに殺されるって意味ですか?」


 俺は熱のこもらない声で聞き返した。


『違うよ。早見くんは「罪」によって死ぬ。怪獣使いとして目覚めた以上、使命を遂行するまで目についた者すべてを平等に殺さなきゃいけない。それを放棄することは即ち自らの死を意味するんだよ』


 枢木さんの口から冷淡に告げられる事実にも、俺は不思議と動揺を覚えなかった。というのも、どうすべきかは既に俺の中で答えが出ていたからである。


「そうですか……じゃあ俺は死を選びます」


『ちょっと、本気!?』


「怪獣と融合した枢木さんと相対した時点でどちらかが死ななければいけないことは確定してたわけですよね。今思えば枢木さんはわざわざお店から離れた場所に怪獣を出現させていた。できれば俺を殺したくなかったんでしょ? それなのに俺は愚かにもあなたの目の前にのこのこと姿を現してしまった」


 そう、これでいいんだ。俺は所詮何者にもなれない有象無象の人間に過ぎない。最期くらいかっこつけて消えてもいいだろう。童貞のまま生涯を終えるのはやはり辛いけれども。


 そんなふうに物思いに耽っていると、いつの間にか体の自由を取り戻したディメーザが眼前に迫っていた。が、戦意はないようだ。いったいどういうつもりだろうと怪訝に思っていると、ディメーザはおもむろにアイノリュコスの手を掴み、その鍵爪を自らの喉元に突き立てた。


「枢木さんっ! 何を!」


 池ができるほど多量の鮮血が夜空を舞い、ディメーザは地響きとともに崩れ落ちた。


『ふふっ……アイノリュコスはディメーザを殺した。これで早見くんは……罪を犯したことにはならない。これから他の怪獣使いと戦って人類再編を阻止するもよし、逆に彼らに与するもよし。それは……君が「選ぶ」んだ』


「ふ、ふざけんなっ! どうしてあなたはいつもいつも自分勝手なんですか。俺はあなたに生きていてほしかったのに」


『やっぱり……早見くんはお堅い人だね。私の負けは……ずっと前から決まってたんだよ。いつかは覚えてないけど……早見くんのことを好きになったその日からね。だからさ……これでいいんだよ。おっと、もうそろそろお別れだ。早見くんが買ってくれたアクセサリー……付けてみたかったな』


 枢木さんが振り絞るように最期の言葉を紡ぎ終えると、それを待っていたかのように動かなくなったディメーザが光の粒子とともにゆるやかに消滅していった。その後に残されたのは瓦礫の上に横たわる枢木さんの亡骸だけだった。


 俺が選ぶ、か。わかったよ。俺はもう逃げやしない。


 決めるには時間がまだ少し必要だけど、そこに待ち受けるものが何であれ俺は決して後悔することはしないだろう。

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