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オタクな僕と奇妙な猫  作者: 大原 藍
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そして迎えるエンドロール~僕~、の2

 雨はまだ止んでいない。ただ、ここ何日か降り続いた雨の勢いはすでに衰えていて、活発な高校生なら雨具をつけない選択をするだろう。

 迷った末、僕自身も雨具をつけるのはやめた。

 雨が止むんじゃないかという、予感めいた期待があったからだ。

 猫は渋った顔を一瞬だけしたが、「まあ、これならいずれ止むだろうが」と言った。


母親のママチャリは初期の電動アシストだ。見た目も今のものに比べれば武骨で、プロトタイプの名残りが強く残っている。

 だが初めて乗るそれは軽快そのもので、本当に急坂だろうが楽に登れる膂力を感じさせる。

 籐で編んだ自転車の前籠は母親の手作りだ。乗る前に猫にはバスタオルを渡した。籠にそのまま座るには痛いだろうし、好きこのんで雨ざらしになるのも嫌だろうという配慮からだ。猫は何を勘違いしたのか、渡されたバスタオルを器用に体に巻いた。


 どうだ。シーツでないのが残念だが、セミリアルE・Tに見えなくもあるまい。それとな、ゴミ袋をくれるとありがたい。被れば濡れんだろうしな。


 猫の口が減らないことに、思わず口元がほころぶ。

 猫の乗り気が伝わってくる。僕へのいささかの義理立てもあるのだろうが、気に入らないことには決して首を縦に振らないのがこいつだ。

 「もっと素直に喜ぶようなら可愛げもあるんだがな」

 「無理につきあってやろうというのだ。ビールだけではなく、私の好みそうなものを複数買うことを心がけて、財布を重くしていけ」


 籐籠はもともとあったフレームに合わせて作り、単純にそこに嵌めた仕様であったが、ぱっと見既製品のようにしか見えないし、自転車をこいでいてもまるでがたつかなかった。くがねが言う通り、もしかするとうちの母親はモノづくりの才能を持て余している才人なのかと疑うほどだ。

 「売れるぞこれは」と猫が珍しく打算的な台詞を吐いた。

 「そんなことより、乗りづらいとかそういったことはないか?」

  

 きわめて快適だ。

 車にも乗るには乗ったが、トランクであったし景色を見るような状態でもなかった。


 猫はアニマル・キラーの車に乗ったことを言っているのだろう。猫の言葉が自転車の進む勢いそのまま僕の耳に流れ込んでくる。

 咲きはじめの紫陽花のような色の雲に、少しずつ光が滲んできていた。僕は晴れの方へ自転車をこぐ。


 ゆるやかな上り坂を進んでいく。田舎道に車の数は少なく、すすんだ方角の道からは雨の気配も徐々にそこなわれていった。

 かれこれ十数分は走ったろうか。

 僕は自転車を止めた。

 

 「ずいぶんとまた、登ったものだ」


 街が、この場所からはほぼ一望できた。大きめのカレー皿の縁に立っているような風景。街の中央部付近に山がひとつあり、それが盛ったご飯に見える。そのすそ野に広がるビルや住宅街は、まさにカレーの汁とたくさんの具だ。それらが眼下に広がっている。

 「驚いたな。ここはすり鉢のような街だったのか。水を入れたら沈んでしまうのではないか?」

 猫からどう見えているのかはわからない。カレーと言ってもわからないだろうが、猫の解釈は的を得たものだった。

 見えるか?あの辺が僕たちの家で、あの辺に見えるのが、お前たちがたむろしている公園だ。左に見える高台は、ミイコの家がある高級住宅街で――。

 都度、指をさしてみせるが、猫の頭は僕の指先とは違う方向へ動いて、それがどうにもせつなかった。

 それからしばらくの間、僕も猫も黙った。

 ポケットからウイスキーを入れた小瓶を取り出して、一口含む。

 小さな口径から体に流れ込むウイスキーは舐める程度であっても十分な刺激がある。

 匂いに気づいたのか、せがむ猫にふたを開けた小瓶を近づけると、ひと舐めざらりとして、苦い顔をする。

 「お前、格好をつけたいのもわかるが、サマにならんから止せ。傍目で見ているとただの中毒者にしか見えんぞ。そういうのが決まるのはバイカーかもしくは旅人だけだ」


 間がもたなかっただけのことだ。これ以上何を伝えればいいのか、まるで見えてこなかった。

 もしも僕らの言葉がウイスキーであったなら、もっと違ったアプローチを猫にしてやれたかもしれない。

 お前のおかげで、少なくともこの街から悪いなにかが少し削れて、少しの善人が日の目を見ることができた。そんなことを口に出したらやつはきっと「馬鹿らしい」と一蹴するだろう。

 しかし今、いくら頭を引っ掻き回しても、僕がこいつにかける言葉はどうにも見つからない。

 

 街を覆っている雲が少しずつ晴れていって、隙間から天使の梯子が放射状に街を照らしていくのがここから見えた。着ていた服は少ししっとりとした程度で済み、薄いヴェールのようなひんやりとした空気だけが残った。


 もう、ゴミ袋は要らんな。


 顔まわりを前足で拭きながら、猫が言った。

 

 ゴミ袋を猫の体から外してやると、猫はもぞもぞとバスタオルから体を抜け出させる。そして毛づくろいをひとしきりした後で、じっとこちらを見てきた。互いの視線が絡む。

 「ここは標高が高いぶん空気が澄んでいて美味いな。ちなみに訊くのだが、この道な、まっすぐ街に続いているように見えるのだが、間違いないか?」

 猫の視線を外して、僕は眼下へと続く道の先をじいっと見据えた。 


 「いや、この道は途中で別な道にぶつかって、まっすぐは街へは行かない。途中で道も細くなるし、道案内の看板もなくなってわかりにくくなる」

 「――で、街へは無事に行きつくのか?」

 猫が妙な顔をした。その意味を知るのは、この、すぐ後だ。

 「紆余曲折はするが、街へは、行ける」


 にやり、と猫が笑った。

 「お前の人生もきっとそうだ。自信を持って行けばいい」


 してやられた。これじゃまるで面目が立ちやしない。

 

 心配するのはこちらだというのに。顔が渋った。


 

 



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