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オタクな僕と奇妙な猫  作者: 大原 藍
88/100

戦いすんで、日が暮れて、の8

 「あんた自分の値段知ってるか?たったの二百五十万ウーロンだぜ?――」


  ――安い男だな。


 かぶってもいないのに、帽子を横に払う仕草を、二人で真似する。


 「カッコいい~!そこに痺れる憧れる~!」


 このシーンを、僕と猫はすでに今日七回は見ている。この後、絶妙の間を置いて相手との格闘シーンに入るのだが、正直、何度見ても飽きない。これが昔隆盛だったビデオテープであったなら、このシーンが擦り切れて再生不可のテープが世の中に溢れていることだろう。


 「それを考えると、DVDとはなんたる利器か!」猫が絶叫した。

 すぐさまビールをあおる。

 おっと、――ブラッディー・マリー(血染めのマリー)でなくていいのかい?

 トマトジュースが切れてるんだからビールなんだよ!


 もはや交わす会話さえも、カオス(混沌)めいている。


 カウボーイ・ビバップ。近年、アメリカで実写化されるくらいに人気の高い日本のアニメだ。

 以前猫に見せたことのあるスペース☆ダンディの前に放送されたSF作品で、内容、キャラクターの個性、音楽、会話の間のとり方や台詞回しまで、まあセンスのかたまりを丁寧に削りだした逸品だ。


 朝起きてカーテンを開けたら驚くほどのどしゃ降りで、昨日のこともあってハローワークに行く気にもなれず、僕はまだ眠たそうにしている猫を叩き起こした。階下からビールと少しのつまみを持ってくると、テレビをつけて()()を流した。


 猫は疲れが抜けないのか、ここ最近なんというか体の反発力が少し鈍い気がする。前は無理矢理起こそうものならゴム毬のように爆ぜて暴れたのだが、どうにもあの事件の後からそういった勢いがそこなわれているような気がしてならなかった。

 「お前な、体調悪いなら言えよ?動物病院にかかる金くらい、どうにかなるんだからな」


 馬鹿も休み休み言え。


 そう言う猫の言葉が少し心許なかった気がした。


 朝七時になるとこのあたりでは時報がわりのサイレンが鳴る。我が家ではその音が朝食時間の合図だ。

 「やばい。朝飯のことすっかり忘れてた。顔が赤かったら、怒られそうだ」

 いまさらながら朝酒を後悔する。

 「かの小原庄助は朝酒呑みであることのみならず、さらに朝湯と朝寝を常としていた。それに比べれば、お前なぞ朝酒()()ではないか。なあに可愛いものだ。下に行って、堂々と振る舞ってこい!」


 猫の活気に、杞憂だったのかもしれないと思う。ああも元気なら心配もないだろう。


 朝食は、鮭の塩焼き、納豆。白米に味噌汁。野沢菜。


 朝のハードボイルドからはとても縁遠い。戻ったら、猫に言ってやらなければなるまい。

 「今日の朝は青椒肉絲だったぞ?――ただし、肉抜きの、な」


 朝食メニューを偽ってまでの僕のボケを、あいつはいったい、どう返してよこすだろうか。


 肉の入ってない青椒肉絲は青椒肉絲とは言わないんじゃないのか?


 そうしたら僕は、「僕に稼ぎのないうちは言うんだよ」とでも言うべきか。


 だがその台詞はあまりにも情けない。


 くがねに対して昨日切った大見得のことを思い出す。

 今思い返せば大言壮語甚だしい切り出しではなかったか。


 そのうちなんとかなるだろう。いや、なるか?


 スーダラ節は植木等がやるから『なんとかなる』のであって、正体胡乱の人間がなんの根拠もなしにやっても『なんとかなる』とは限らない。

 昔、よく妹が「兄貴はなんでも器用にこなせていいいな」と言っていたが、なんでも器用にこなせる特技は特技とは言わない。今となってはその中途半端さに足をとられている。


 猫に昨日のことを正直に話すと、猫はあからさまに呆れた体で「ハッ」という息を吐いた。

 「カレーもシチューもどちらも食ったら美味いだろうが。メニューも決まらないうちからその材料がグダグダと御託を並べるものでもあるまい」


 「おまえ、いつの間にカレーとシチューを食べたんだ?」


 「まあ、まだ食べたことはないが。美味いらしいぞ。今度是非に所望する」


 なにかの受け売りかよ。

 だが、今はそれでも有難かった。

 

 そうか。僕はまだ材料なんだよな。


 この時、最初に疑った猫の不調をもっと気にかけるべきだった。

 しかし、その時の僕は自分のことで頭が一杯で、普段なら勝手にでも回る気遣いをまるで回せずにいた。

 


 後になってこの事を酷く悔やむことになるとは、その時は思いもしなかった。そのかわり、後悔とは後からやって来るからそう呼ばれているのだと知ることになる。

 


 

 

 

 



 


 

 

 

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